山岸 | なぜ人間だけが「利他的な行動」をとるのか。 |
糸井 | ええ。 |
山岸 | そうすることで「いいこと」があるからなんですが‥‥ 大きく、ふたつの考えかたがあるんです。 |
糸井 | はい。 |
山岸 | ひとつは「集団競争」説。 |
糸井 | ほう。 |
山岸 | 集団にとって「いいこと」と、 集団内の個人にとって「いいこと」では、 どちらが進化すると思います? |
糸井 | うーん‥‥個人? |
山岸 | そう、集団にとっての「いいこと」は 基本的に進化しないんです。 ‥‥ふつうの動物の場合は。 |
糸井 | ほう。 |
山岸 | どうしてかっていうと、 みんなのために「いいこと」をする人が たくさんいる集団は、 他の集団よりも有利になりますが、 その集団のなかでくらべると、 「自分勝手」な人のほうが 大きな利益をあげることができてしまう。 つまり、集団の中で「いいこと」をする人が 淘汰されてしまう可能性が出てくるからなんです。 だから、集団にとっての「いいこと」は、 進化しないんですね。 |
糸井 | はぁー‥‥、なるほど。 |
山岸 | ところが、人間の場合には 「集団内を平等に保つ制度」をつくってきたため、 集団にとっての「いいこと」が進化できると、 「集団競争説」をとる人たちは、主張するんです。 |
糸井 | ええー‥‥と、わかりやすくいいますと? |
山岸 | たとえば、一夫一婦制です。 ボスじゃなくても、配偶者を得られる仕組みを つくり出してきた。 そうすることで 集団内での「淘汰圧」を低くしているんです。 |
糸井 | 淘汰圧が低くなるから‥‥つまり? |
山岸 | 集団にとって「いいこと」をする人たちが、 集団のなかで淘汰されなくなる。 そうすると 「いいこと」をする人たちのいる集団が 他の集団を淘汰して、 結局は、 みんなのために「いいこと」をする性質が進化する、 というわけです。 |
糸井 | じゃっかんややこしいですが‥‥わかります。 |
山岸 | こうして人間は、他の動物とは異なり、 「集団全体の利益に資するような性質」を 進化させてきた可能性がある‥‥というわけでして。 |
糸井 | ようするに人間は、集団の利益が上がるという 「いいこと」のために、 利他的な行動をとることができるんだ‥‥と? |
山岸 | そう。 |
糸井 | ははぁ‥‥。 |
山岸 | で、もうひとつが、 いわば 「情けはひとのためならず」説です。 ようするに、利他的な行動が 評判となり周囲に伝わっていくことで、 結局、その人自身の益となる。 それゆえに、利他的に行動することが 身についてきたんだ、という理論。 |
糸井 | なるほど。 |
山岸 | コンピュータによるシミュレーションでも このモデルに沿う結果が出ていますし、 生物学、人類学、経済学‥‥など さまざまな分野で、語られ始めてるんです。 |
糸井 | 先生は、どちらかというと よりこっちに近い考えかたですよね。 |
山岸 | そうですね。 |
糸井 | 『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』でも このことについて、書かれてましたし。 |
山岸 | 繰り返しますけれど こうした「情けはひとのためならず」という仕組みは、 人間にきわめて特殊なもの。 |
糸井 | うん。 |
山岸 | 何かしてやるから、返してくれ‥‥というのは よくある話じゃないですか、人間の場合。 |
糸井 | ええ、よくある話ですね(笑)。 |
山岸 | でも、チンパンジーを使った実験では、 こういうことは、絶対に起こらないんです。 |
糸井 | なるほど。 |
山岸 | 利他的な行動をとること自体には そこまで高度な知能を必要としないにも かかわらず‥‥ね。 |
糸井 | その‥‥人間とチンパンジーとの断裂って、 いったい、なんなんでしょうか? |
山岸 | おもしろいですよね、そのあたりは。 チンパンジーの研究者のなかには 「チンパンジーは人間だ」と 言ってる人もいるくらいですから。 チンパンジーを1匹2匹と数えるな、と。 ひとりふたりと数えなさい、と(笑)。 |
糸井 | そうですか(笑)。 |
山岸 | それくらい、 進化の面から見ると、すごく近いです。 |
糸井 | ほとんど同じといってもいいくらい? |
山岸 | ええ、でも、やはり、大きな隔たりは、 利他的な行動をとれるかどうか‥‥ 言い換えると、 たがいに協力できるかどうか。 これです。今までお話してきたように。 |
糸井 | 人間は、協力する‥‥なるほど。 でも、動物が集団で狩りをするときに ちからを合わせたりするように見えますけど、 あれって、協力とは言わないんですか。 |
山岸 | 専門的には「コーディネーション」と言って。 |
糸井 | 協力とは違うんだ? |
山岸 | たとえば、対面通行の道を歩いていて、 互いに右側通行をすれば、 みんな歩きやすくなるじゃないですか。 これが、コーディネーション。 調整がとれているという意味。 それに対して、「協力」という行為は、 自分自身にコストをかけて、 相手に何か「いいこと」をしてやるってこと。 |
糸井 | つまり、自己犠牲をともなうわけですね。 |
山岸 | そうなんです。それが人間特有の「協力」。 それと、もうひとつ。 まわりのみんなが 赤信号ならば停車するだろうと思うから、 交通ルールは 信頼して守ることができるわけですよね。 |
糸井 | ええ、はい。 |
山岸 | 赤信号、自分はGOだと思ってる。 ‥‥なんて人がいたら、 安心して、道を歩けないでしょう。 |
糸井 | はい、たしかに。 |
山岸 | そういう共通のシグナルを前提として 暮らしていることも、 すごく、人間に特有な事象なんですよ。 |
糸井 | なるほど‥‥だから 「みんながモラルさえ守れば」って考えも まかりとおっちゃったりするんだ。 |
山岸 | これ‥‥ぼくの表現なので ちょっと極端かもしれないんですけど、 「それぞれの個人に直接はたらきかけて、 その人の行動に影響を与えるもの」 それが「モラル」なんです。 |
糸井 | うん、うん。なるほど。 |
山岸 | これにたいして、共通の「シグナル」とは 他の人がそうするなら 同じようにしたほうがいいだろうってこと。 そっちのほうがトクだという自己判断。 |
糸井 | つまり、強制しなくてもいいんだ。 |
山岸 | そう、みんなが右を歩いているなら、 自分も右を歩いていたほうが なにかと安心だろうということなので、 強制する必要はないんです。 |
糸井 | そういう行動規範も、動物の世界にはない、と。 |
山岸 | ええ、ないんですね。 <つづきます> |
2009-01-15-THU |