糸井 | 冒頭の「情けは人のためならず」説をはじめ、 先生がお話なさることって、 むかしから、 庶民のあいだに根付いてきた考えだったり、 物語や宗教のなかで、 語られてきたことだったりしますでしょう。 |
山岸 | そうかもしれませんね。 |
糸井 | だから、すごく納得がいくんですよね。 きっと「そう、そうなのよ!」なんて 近所のおばさんも、うなずいてくれそうな。 |
山岸 | あはははは(笑)。 |
糸井 | 同じような意味で、ぼくの教科書のひとつに 「落語」というものがあるんです。 |
山岸 | ええ。 |
糸井 | 落語のなかに出てくる道徳とかの話なんかは、 かんちがいも含めて、 見事なくらいによくできてると思うんですよ。 それに何より、為政者の物語じゃないし。 |
山岸 | そうですね。 |
糸井 | 自分がずーっとやってきた仕事も、 為政者の物語じゃなく、 大衆の物語を どれほど大切にするかということだったよなって 最近、つくづく思うんですよね。 |
山岸 | 落語もそうですし、ことわざなんかにも 「生きかたのコツ」みたいなものが いろいろと入り込んでるじゃないですか。 |
糸井 | ええ。 |
山岸 | 西洋と東洋の文化の差異は 価値観の問題じゃなく、 そういう「生きかたのコツ」の違いじゃないかと わたし自身は、思ってるんです。 |
糸井 | ほう。 |
山岸 | たとえば「出る杭は打たれる」ということわざ。 これなんか、まさに「生きかたのコツ」ですよ。 日本じゃ「あんまり出ると、生きづらいよ」と 言ってるわけですから。 |
糸井 | なるほど。 |
山岸 | つまり「出るのが悪い」と言ってるわけじゃない。 |
糸井 | そうか、出ると「打たれるぞ」と(笑)。 |
山岸 | こういうことしちゃうとマズいから 止めときなさいと。 そういう視点から 文化の差異を調べる研究を、始めたんです。 |
糸井 | へぇー、おもしろいなぁ‥‥。 こういうふうに、 山岸先生のお話が身近に感じられる もうひとつの要因として 「実験」というものが、あると思うんです。 |
山岸 | ええ。 |
糸井 | ものすごく、楽しそうにやってらっしゃる。 お話を聞いていると。 |
山岸 | はい、楽しいです(笑)。 |
糸井 | そこでお聞きしたいんですけど、 実験って、なんなんですか? あるいは、なぜそれが有効なのか‥‥でも いいんですけれど。 |
山岸 | まず、実験というのは、 わたしの言葉で「こころの解剖台」なんです。 |
糸井 | ほう。解剖台。 |
山岸 | われわれがやろうとしていることは、 解剖台のうえの「こころ」を 切り分けて、つぶさに調べあげること。 |
糸井 | ここはどうなってるんだろう、 そこはどうなってるんだろう‥‥と。 |
山岸 | で、何かが、わかったとしますね。 |
糸井 | ええ。 |
山岸 | たとえば、ネコのからだのある部分に こういうものが、あることがわかった。 でも、わたしたちが「わかったこと」は、 わかったからと言って それが、ネコ本人にとって、 あるいはネコの飼い主にとって、 どんな意味を持っているかはわからない。 |
糸井 | それはつまり‥‥自然科学でわかることと、 わたしたちが 直感的に「わかった」と思うことはちがう、 という意味ですね。 |
山岸 | 自然科学の場合には、積み重ねとなるんです。 ネコにとっての痛みを 理解できない人でも、 ネコの身体がどうなっているかは 他の人の研究でわかる。 だけど、人文学の領域では、 ある人がネコの「本質」を理解したからといって 他の人が、ネコを理解できるようには、ならない。 |
糸井 | ええ。 |
山岸 | だけど、自然科学の場合には ある人が理解したことは、 次の段階に進むための、 応用の効く、「使える知識」になるんです。 |
糸井 | なるほどなぁ‥‥。 |
山岸 | 私自身の研究は科学だと思っていますけど、 だからといって 人文学的な世界の理解が不要だとは思っていない。 |
糸井 | ははぁー‥‥。 |
山岸 | そして、人文学という学問は、 対象を「そのまま理解したい」と思い‥‥。 |
糸井 | ええ。 |
山岸 | ネコの身体に示されている真理を 「理解した」と思ったら「理解した」んです。 |
糸井 | うん、なるほど、そうですね(笑)。 |
山岸 | 少なくとも、人文学の領域においては、 それ以外に「理解した」の定義はない。 |
糸井 | おもしろい‥‥。 |
山岸 | もちろん、実験によっては 世のなかのミニチュア模型をつくって そこで人々がどのように動くのかを調べて、 法則を抽出し、それを一般化したいと 思っておられる研究者もいます。 でもそれは、われわれの実験とは、また別。 少なくとも、ミニチュアの世界で 人間がどう行動するかを調べることだけが 「実験」の目的であるとは思わない。 |
糸井 | いまの話は‥‥聞いてよかったです。 |
山岸 | ときどき、言いたくなるんですよ、わたしも。 |
会場 | (笑) |
山岸 | だって、こればっかりは、 説明しないと、わかってもらえないんで。 |
糸井 | ‥‥ついでに言うと、 「人文学では、 理解したと思ったら、 理解したんです」って なんというか、すごく‥‥いい(笑)。 |
山岸 | そうですか(笑)。 |
糸井 | いや、だって、そのとおりじゃないですか。 ぼくが言ってることも、たいがいそうだし。 |
山岸 | あはは、そうですかね?(笑) |
糸井 | で、相手がわかったような顔したのを見て、 「だろ?」で おしまいにしちゃえば、いいわけでしょう? |
山岸 | ええ(笑)、でもこれ、 じつは、けっこう重要だと思うんですよ。 だって、 人間をすべて科学的に扱ってみたところで、 たぶん、何も出てこないですから。 |
糸井 | なるほど‥‥そうですね。 |
山岸 | その物語のようなものが背景にあってこそ、 科学的、分析的な視点も いっそう活きてくるんだと思っています。 <つづきます> |
2009-01-21-WED |