糸井 すこし話題を変えましょう。
「宅急便」は、誕生して何年になりますか。
木川 1976年からですので、35年ですね。
糸井 35年。
木川 国民のひとりひとりにご利用いただいて、
いまではもう、
電気、ガス、水道、電話の次にくるぐらいの
社会インフラに育てていただきました。
糸井 そうですね、そうなりましたよね。
木川 最近の若い人の場合は、
生まれたときから宅急便があるから、
ごく自然に、とても気軽に、
このサービスを利用してくれています。
これは、
糸井さんやぼくの若いころには、
考えられないことですよ(笑)。
糸井 あり得なかった(笑)。
木川 個人が荷物を送ろうと思ったら、大変でした。
糸井 「とても気軽に」の真逆です。
木川 小包は大きいものを送れないし。
鉄道小荷物というのがあって、
それは貨物駅まで自分で持ってくんですよね。
糸井 台車とかリヤカーで。
木川 大学生になって田舎から出てくるとき、
布団袋に荷物をつめて送りました。
それを自分で駅に運んで、
荷札をつける。
糸井 ああー、荷札!(笑)
木川 何枚も持たされて。
「取れたら運べないぞ」って怒られながら。
5枚くらい荷札をつけるんですよ。
荷物の縛りかたが悪いと
「ほどけたらどうするんだ」とまた叱られて、
その場でやり直しをさせられて。
ようやくあずかってもらえたと思ったら、
「いつ着くかはわからない。着いたら連絡する」
って言われるんです。
で、やっと電話がきたら、
またリヤカーで取りに行く‥‥。
糸井 それが当たり前でした。
木川 そういう時代に宅急便が生まれているわけです。
つまり、
個人から個人に物を送る文化をつくっちゃった。
糸井 すごい発明でした。
宅急便誕生のエピソードについては、
これはこれで長い物語になりますよね。
興味のあるかたは
小倉昌男さんの『経営学』の中にそれがあります、
というご案内の仕方で大丈夫でしょうか。
木川 ありがとうございます(笑)。
糸井 あの本自体が、
クロネコヤマトのDNAとも言えますからね。
木川 そうですね。
糸井 その本に詳しくあるように、
宅急便の誕生はとにかく大発明でした。
木川 発明といえば、
宅急便は食文化を変える発明もしています。
糸井 ‥‥ああー、はい。
木川 クール宅急便です。
市場と小売店を通すと、
時間がかかって鮮度が落ちてしまうところを、
クールの技術を使って産地から直送するという。
糸井 たしかに、食文化の変化ですよね。
木川 それと、もうひとつ、
「手ぶら化」という発明があります。
ゴルフ宅急便、スキー宅急便。
糸井 スキーはねぇ‥‥
昔はかついで行かなきゃならなかった。
木川 夜行列車で、朝からスキーぶらさげて。
糸井 あれは地獄でした(笑)。
木川 行くまででへとへとになって。
糸井 いやー、ほんとにねぇ、
個人が荷物を送れるということで、
いろんなことが楽になりました。
木川 ですからやっぱり、
宅急便が世のため人のためになっていることは、
われわれ社員全員のなかに、
自負心としてあると思います。
糸井 もちろん、そうでしょうね。
木川 生まれたときすでに
宅急便があった世代の社員にも、
その自負心はあるんです。
糸井 それは‥‥
宅急便誕生のエピソードを、
あとで聞いたりしたんでしょうか。
木川 そうですね、おそらくは。
若い世代にも、
モチベーションというか、マインドとして、
綿々とヤマトのDNAが伝わっています。
糸井 ちゃんと伝わっている理由には、
社訓を毎日、復唱していることも‥‥?
木川 理由のひとつとして、あると思います。
ことばは悪いですが、
復唱というのは、洗脳なのかもしれない。
糸井 そうですね、ある意味で。
木川 毎日、唱和することによって、
自然にこびりついちゃった。
糸井 プロフェッショナルに何かをやり続ければ、
「体がその形になってくんだ」
という言い方をぼくはよくするんです。
つまり、そういうことですよね。
木川 そうですね。
毎日の唱和で、しみついていく。
宗教のように。
糸井 ぼくらの「ほぼ日」も、
よく人から「宗教みたいですね」って
言われることがあるんです。
で、ぼくは、
「そうです」と言っちゃうんですよ。
「ただし出入自由な宗教です」と。
宗教は囲い込むけど、
ここは出ていくのも自由ですからって。
木川 なるほど。
いや、うちの宗教も自由です。
なにしろ、現場に権限を渡してますから。
糸井 そうですよね。
その現場主義のかっこよさに、
まさしくぼくがいま
洗脳されそうになっているわけです(笑)。
(つづきます)


2011-08-23-TUE