むっつめのどうぶつ ゾウ
ねこのがんの治療って、人間と同じなの。
薬の与え方も同じ、治療のしかたも同じ。
回復も再発もおんなじ感じ。
抗癌剤治療をしたねこはうつ状態になったり、
たまに気分がよくなって、ごはんを食べると
家族みんなで「わーーーっ(喜)」って、
拍手したりする。
お金もすごくかかるんだ。

わたしはそのことをあまり
人には言わないようにしてたんだけど、
ねこに興味のない知人が
その話を耳にしたことがあってね。
そのとき
「限度をわきまえたほうがいい」
と言われたの。

「なんにも知らないくせに」
とわたしは思った。でも、その人は、
すごく考えて言ってくれたことなの。
いまとなれば「ああ、そうか」と納得できる
自分がいるわけです。
うん。
両方、ほんとうだよね。
もともと捨てねこだったその1匹に、
ちいさな車を買えるほどのお金を投じるのは
はたして行きすぎなのか?
「なんとか治るんじゃないか」と思って
一生懸命やる、その度合いというのは、
いったいどこなのか?

いま自分のうちにいるねこが病気になって、
あのときのねことおんなじふうにやりますか、
と問われたら
「いや、やりません」と思います。
それは、いっこ、学んだんだね。
うん、まさに、学んだの。
それは愛の話でもあるね。

うん。そして、どうぶつを飼っていない、
まったく興味がない人からすれば、
この話ぜんたいが、笑い話になっちゃう。
これもほんとう。
笑い話どころか
「アッコちゃん、かわいそうに」と
真剣に腕組みして考えたり、
寝る間際に飛び起きて
アッコちゃんのこと心配しちゃったりね。
そうね。
その「わけのわからなさ」を抱えるためにこそ
どうぶつを飼っているともいえるね。
そうかもね、
(大きく頷いて)そうかも。
心のなかにあるくるおしいもの、
人間の真のおかしさ、
それを見るために
どうぶつといっしょにいる気さえする。
いまぼくは
いぬといっしょにいるわけですけど‥‥。
いぬね。
あっこちゃんは、ねこにくらべると
なじみがない?
ううん、じつはいぬのほうが
飼っていた期間は長いです。
ねこっていう名前のいぬと、
くまっていう名前のいぬを飼ってました。
いわゆる血統書のついているようなのじゃ
ないんだけどね。
歌ではなにかある?
「I AM A DOG」とかかなぁ。
『LOVE IS HERE』収録曲)
ぼくが書いたのは「ただいま」ですね。
歌詞のないところでスキャットがわりに
「ワンワンワワワンワンワン」って入れた。
あれはぼくがはじめて
いぬを登場させた歌だと思う。
そのあと「自転車でおいで」で
町の景色の中に溶けこんでいるいぬを出しました。
『GRANOLA』収録曲)
あのようないぬが、昭和のいぬだったよね。
ねこもいぬもむかしはそんな感じだったな。
いまブイヨンといっしょにいるわけだけど、
昔飼ってたいぬと、ちがう?
ちがう。ぜんぜんちがう。
それはぼくがちがう。
そうなんだ。
どんな人と、どういう関係で飼ってるか、
それがそのまま鏡のように
いぬに映し出されることがあると思う。
若いカップルが飼ってたら若いいぬ、
年寄りが飼ってたら、そういういぬ。
不器用な人が飼ってたら、不器用に。

生きてくことにベテランになると、
夫婦どうしでいるのに
まるで「やもめとやもめがいる」ような状況に
なったりするでしょう?
それは、どちらかというと
「ひけつ」っていうほうね。
そう。それはたしかにひけつなんだけど、
最初からひけつのとおりにやれったって、
そうはできませんね。
それと同じように、この歳になるまで
どうぶつについてわからなかったことって
いっぱいあると思うんだ。
(明日につづきます)
イラストレーション:東久世
写真:松本昇大
2013-12-06-FRI
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