2010年2月1日発売の吉本隆明特集号の、
本格的な打ち合わせがはじまったのは、
2009年10月のこと。
この最初の打ち合わせでは、まず、
基本的な方針を「すりあわせる」ことに
なっていました。
実はこのとき、我々ほぼ日スタッフは、
「BRUTUSで吉本さんの特集をするなんて、
そりゃ読みたい、ぜひ実現してほしい」
と、ただ他人ごとのように
たのしみにしていました。
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その場で、BRUTUS編集長の西田善太さんが
ふたつのことを提案しました。
「吉本隆明さんの特集をやるにあたって、
ふたつのことをクリアできればと思っています。
まずひとつめは、特集のサブタイトルを 「ほぼ日と作った、吉本隆明特集」とする。
そしてもうひとつは、
吉本隆明さんに悩みごとを相談にいく、
という内容はやめる。
以上のふたつです」
ほぼ日と作る‥‥?
外野だと気楽に構えていた我々は
ちょっとした衝撃を受けました。
そもそも、雑誌の特集をいっしょに作ることが
具体的な動きとして何を指すのか、
よくわかりません。
それはいいとしても(よくないけど)、
吉本さんに相談なり質問をするという
スタイルをやめる‥‥?
その人の考えが浮き彫りになるような
テーマを設定して話を聞く、というのは
ひとつの方法だと思いますが、
西田編集長は、それはやらない、と。
ダブルで頭が固まって動けなくなっていましたが、
同席していた糸井重里は、
「わかりました」
と応えていました。
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10月19日
西田さんと糸井の同意で、
吉本隆明特集、動き出します。 |
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西田編集長はなぜ、
吉本さんに何かを訊きにいく、
というベーシックな方法を
最初の打ち合わせで「しない」と
みんなに宣言したのでしょうか。 |
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ですから、このBRUTUSの特集タイトルは
こうなっています。
「私たちが抱えている、
すべての悩みを解決するヒントは、
ある日本人の頭の中にありました。」
我々が訊きにいったから
吉本さんが答えたわけではない。
もうとっくに、吉本さんは
答えを見つけているのだ、と。
吉本さんの、そこのすごさに着目したのは、
この編集チームの制作リーダー的存在、
BRUTUS編集部の伊藤総研さんでした。
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暗澹たる会議は、こちらです。 |
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11月25日
総研さんが言うほど暗澹とはしていない。 |
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11月13日
最初の基本的な構成ができつつある頃です。 |
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総研さんの作った構成は、最初から
こんなことができたらすごいなぁ、という
ものだったんですが、
ところどころの局面で、総研さんはさらに
むずかしいほうむずかしいほうへ
行こうとしました。
ですから、みんなも宿命のように
粘りに粘ったものを
出すようになっていました。
その制作過程の苦労話はひとまず置いておいて──
さて、編集作業がスタートする前、
西田編集長から
『吉本隆明 五十度の講演』を
とりあえず全部聞け! と命じられ、
おおまじめにiPodに入れて聞き、
すべての要点をノートにまとめた努力家がいます。
編集部の中西剛さんです。
あのノートは、すごかったなぁ。
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11月4日
iPodがタイヘンなことになっていた中西さんと
最高に悩んでいた頃の総研さん。 |
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そして、我々は、
吉本隆明さんのところへ
BRUTUSで特集号を作ることを
ご報告に行きました。 |
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11月18日
この日、吉本さんは
おもしろい柄のトレーナーを
着ていらっしゃいました。 |
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11月18日
冷静にメモを取る西田さんと
まだ最高に悩んでいた総研さんです。 |
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特集号の進行はまだまだこれからです。
(明日につづきます) |