三谷龍二さんの、これまでの「場所」。 三谷さんからのレポートを掲載する前に、 三谷さんがこれまでどんな「場所」にいたのかを お聞きしました。 全5回でお届けします。

その4 あたらしい世代の買い手。
三谷 そもそも、家を作るとき、
「こういうふうなのがいいな」と思っていたものが
あったんですね。
でも著名なかたに頼もうとは
思ってはいかなったから、
近くの建築家に頼んでいたんですよ。
ところが、出来上がってきた
図面を見てたりするとね、
「なんか違うな」って。
でも僕は図面なんて読めない。
そうしたら、軽井沢のほうで、
木工をやってる人がいて、
その人が、ある建築事務所を
紹介してくださったんです。
ほぼ日 はいはいはい。
三谷 それで、図面だけ、見てもらうことになりました。
ほぼ日 「今、こんなふうになっちゃてるんだけど」。
三谷 そう、「これで僕の思ってる家に
なってますか?」って。
僕は住みたい家っていうのを箇条書きにして、
とにかく聞いてもらおうと。
簡単な小屋みたいな絵を描いたりして、
持っていったんですよね。
そうして会ったのが中村好文さんで、
図面と見比べて
「ぜんぜん違うよ」って言われた。
そして、ちょうど中村さんが
独立する時期だったから、
「ぼくがやろうか」ってなったんですよ。
それは僕が思ってる、
木造の小屋みたいな家と
彼が作りたい家が、
とても接点があったんでしょうね。
それはすごくいい偶然の出会いでした。
振り返ってもなかなか
そういう出会いはないと思うんです。
クラフトフェアがはじまって、
先の見えない不安と
熱い気持ちを持っていた頃、
中村さんをはじめ、
いろんな人と知り合ったわけです。
ほぼ日 一気に繋がってるんですね。
三谷

独立したばかりの中村さんもまだ30代。
60年代から70年代ぐらいにいろいろやった人が
10年ぐらい時間が経って、
一応社会に出ようって
言ってる時期だったんでしょう。

ほぼ日 なるほど。
そして「菜の花」で最初の個展。
そこから今に至る道は、
順調に、ものも、お客さまも、
だんだん増えてきたっていうふうに
考えていいんですか?
三谷 そうですよね。桜のオイル仕上げに
漆器が加わり、神代楡やチークといった
樹種が加わったり、少しずつでしょうね。
ただ器は2000年に入ってから
ちょっと変わった感じがします。
ほぼ日 2000年に入って?
三谷 お客さんの質が変わったっていうか、
年齢層が変わったっていうか。
若くなりました。
それまではやっぱり『家庭画報』とか
『ミセス』とか、
そういった雑誌の購読者層。
自分たちと同じ世代かちょっと上のかたが
お客さまでした。
それが、2000年に入って──
2002、3年かなぁ?
急に若い人がいらっしゃったんです。
ほぼ日 何かきっかけはあったんですか。
三谷 ちょうど僕がね、
『住む。』で連載を
始めたころなんです。
雑誌になにか書くって、
こんなに違うのかなって思ったぐらいに
一気に変わったんですよね。
で、それは後で聞くと、
ギャラリー全体がそうだった、
っていうんですよ。
大橋歩さんの『アルネ』が出てきて。
『住む。』が出てきてっていうのは、
全部2002、3年なんだけど、
その頃、ギャラリーも昔の客層から
新しい客層に変わったそうなんです。
作家によってはね、
その変化を受け入れられる作家と、
受け入れられなかった作家がいたように思います。
器屋さん(ギャラリー)も
ちょっとそこで分かれていった。
ほぼ日 オーナーの考え方によっては
それは嫌だと思うかもしれませんしね。
三谷 だから、変えていこうとしたところは
また違う客層になっていった。
ほぼ日 三谷さんの器を、若い人が買うようになった。
それはつまり、自分よりも年が下で、
生活に対して少し何か
よくしたいって気持ちのある人たちですね。
三谷 そうですよね。
ほぼ日 お金を握り締めて。
自分にもおぼえがあります。
三谷 そうそう。
お金はもちろんないんですよね。
だから、本当にスプーン1本、
みたいな感じですよね。
ほぼ日 それでも高いですよね、若い人には?
三谷 そう。当時、スプーン1本
1,000円でも高いんですよ。
でも、それでもスプーンだったら買える。
だから、そういう面で、スプーンっていうのは
結構僕にとって大きかったんじゃないかな。
器だとやっぱりまぁ、8,000円、9,000円、
10,000円になっちゃうじゃないですか。
そうすると、なかなか買えない。
でも、スプーン1本だったら買えるし、
そこから始めて、
木のものを身近に持つっていうことに、
スプーンが、すごく大きな仕事をしたと思うな。
ほぼ日 僕(シェフ)も
スプーンを薦められたんです、最初。
「三谷龍二さんを知ってる?
 いま個展をやっているから、
 スプーン1本買いなよ。
 使えばよさがわかるから」
って、わりと身近な、
信頼している人に言われたんですよ。
同じような意味で、
大橋歩さんは三谷さんの
フォークをとても誉めていらっしゃった。
三谷 うん。
ほぼ日 そんなふうにして若い人が
買うようになったんですね。
ギャラリーも、新しいのが
どんどんできましたしね。
三谷 それが、「ギャルリももぐさ」さんとか、
ああいう感じになっていくんですよね。
ほぼ日 作家の企画展メインで、
それを楽しみに訪れる人が
増えていくっていう。
三谷 2000年頃から、店が増えたと同時に、
作家も増えたんですよね。
クラフトフェアも、
20回目(2005年)頃から
変わったんですよ。
ほぼ日 時代の変化に
歩調を合わせるように。
三谷 本当に毎年毎年100組ぐらいずつ
増えていきました。
今は1,450組ぐらいの応募者です。
それで250ぐらいに絞るんですが。
2003年ごろにはまだね、800ぐらいでした。
その2003年超えてからは、
出品者も30代が増えたんです。
若い作家が増え、
それを扱うギャラリーも増えた。
それはもう繋がってますよね。
ほぼ日 今、陶芸のほうでは、30代ぐらいの、
学校を出られてすぐに独立されたような方たちが
バーッと出てきています。
三谷 で、その内容も、いかにも作品、
っていう感じのものではなく、
やっぱり本当に使いやすいものとか、
生活に馴染むものですよね。
それも大きく変わったことですよね。
(つづきます)

2010-09-22-WED
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