「青空応援団」という、
社会人の応援団があります。
ほぼ日は、この方々に
応援を依頼することにしました。
がんばりたいことがあるからです。
団長の平了さん、副団長の佐々木良さんに
ほぼ日の菅野がお話をうかがいました。
- ほぼ日
- 応援団は、いじめる側も応援するんですね。
- 平
- 応援団の伝統として、
そういうふうに育てられたんです。
嫌いなやつも、応援しなきゃなんない。
- ほぼ日
- ライバルであっても?
- 平
- そう。敵のことも応援する。
いま、応援団はどんどん少なくなってて、
ぼくが高校生だった26年前でも
充分時代遅れで、人気はなかった。
でもやめなくてよかったと思います。
応援団で教わったことは、とにかく認め合うこと。
試合前に敵を応援し、
試合中にも敵にエールを送って、
試合後は、結果のいかんを問わず、
「いい試合ありがとうございました」
とエールを送ります。
たとえば剣道って、
勝った直後にガッツポーズをしたら失格です。
武道ごとはだいたいそう。
スポーツ化していくとそういうのがなくなっちゃって、
勝ったその場でよろこぶことも多いです。
でも、それってどうかな?
なぜならば、目の前で負けた人がいるんだよね。
- ほぼ日
- そうか‥‥。
- 平
- 俺は子どもの頃、応援団って嫌いでした。
時代遅れだし、団員にやらされてる感もあるし、
まっぴらごめんでした。
- ほぼ日
- 厳しそうだし。
- 平
- しかも恥ずかしいでしょう。
しかし、高校の合格発表のとき、
その高校の応援団に出会ったんです。
合格発表を友達と見にいって、
自分は受かって、友達は落ちた。
自分の名前を見たとき、
ちょっとよろこんじゃったんだよね。
- ほぼ日
- それは、合格したんだししょうがない。
- 平
- 15歳の、まだ子どもの、
卑怯な心があったんだと思う。
まわりにも「万歳」「やったー」って、
やってるやつがいた。
そのときに応援団の先輩たちが出てきて
俺たちを一喝しました。
「隣で泣いている人間がいるのに、
自分のことで喜ぶな。
自分だけのことで喜んでいる君たちを認めない。
そもそも人間としていかがなものか。
我々は、今回、残念ながら
落ちてしまったあなたたちにエールを送ります。
いつかまた大学で、いつかまた社会で、
時間を共有するそのときまで、
達者で、がんばってください」
そういってエールを送る先輩たちがかっこよくて、
自分が情けなくて情けなくて。
そのまま俺は入団して
自分を叩き直してもらおうと思った。
いっしょに発表を見にいったのは、
本当に大事な友達だったんです。
なのに俺はよろこんだ。
その贖罪の気持ちもありました。
そうやって入った応援団で学んだのが、
「敵も応援する」ということ。
これはもっともっと、
外国にも、知られたらいいと思う。
ぼくらは応援がつらくても応援するんです。
- ほぼ日
- つらくても、というと?
- 平
- さっきも言ったけど、
「支援」は一時のもので、
やりつづけてはだめです。
子どもの靴ひもをずっと結びつづけるって、
できませんよね?
子どもにずっとごはんを食べさせるのも無理。
どこかのタイミングで「応援」に切り替えないと、
お互いが不幸になります。
「あなたが決めたことなんだからがんばりなさい」
と子どもに言うタイミング、
何歳で来るかわかりません。
でも、応援すると決めたらとことんやるんだよ。
子どもが途中で何かをあきらめようとしたら、
激励しなくちゃいけない。
「あなたが決めたんじゃないのか、
俺は応援してるんだぞ!」
と、ずっと言ってあげないと。
それが応援団なんです。
あまい言葉はかけません。
マラソンの選手がヘトヘトになっていても、
「無理しないで。やめていいよ」とは言わない。
俺たちは応援団だから。
応援団は「立て、この野郎!」と言います。
「最後まで走りきれ」
「応援してるから」
心を鬼にしてランナーにそう言います。
大変なのはわかってる。
「だってお前が決めたことだろう」
「こっちもつらいんじゃ。早く立て」という話です。
こんな時代遅れ甚だしい応援団が、
世の中に迎え入れてもらえるとは
思っていませんでした。
でもいま、子どもたちを中心に、
仙台ではちょっと応援団ブームがきています。
- ほぼ日
- この青空応援団を見て?
- 平
- そう。青空応援団の応援を見て、
中学生になったら応援団に入ると言う。
「団長の後輩になりたい。
勉強がんばって仙台一高の応援団に入ります」
なんて言う子たちがいっぱいいる。
各地の大学で、なくなっちゃった応援団を
復活させた子たちもいます。
(明日につづきます)
2019-10-26-SAT
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN