糸井 池谷さんが、こうして、対話形式で
本を作ることをよろこんでくださるのも、
すごくいい姿勢だなぁと思うんです。

対話には、つまらない質問が出たり、
つまらない話題が出るのはしょっちゅうで、
いつもその危険と隣あわせなわけですよね。

だけど、おもしろそうな話の時には、
それを逃さずに掴まえて、じっと見るなり、
話してみるなり、触ってみるなりするのが、
対話という共同作業で……つまりここでも、
おもしろさを発掘する作業になるんですね。
池谷 対話って絶対に波があるわけですよね。
おそらく、対話の中でも、
特に「つまらない状況」にこそ
宝物が潜んでいると思うんです。

つまらないというのは、受け手の問題です。
相手がなぜその話をしているのかを、
自分が解釈しきれていないわけですから、
そこには、まだ理解できていない
おもしろさがあるのかもしれない……
それを見出せるかどうかはむずかしいけど、
対話の魅力は、そこにあると思います。
糸井 そうそう。
だからぼくは「集団でいる子供」に
インタビューするのがきらいなんです。

「君たち、将来は何になりたいの?」
という質問って、おもしろくないんです。
それなら、その横にいるおばあちゃんに、
「若い時ぁ、モテたんでしょうねぇ」
と話しているほうが、ずっとおもしろい。

つまり、
おばあちゃんの言葉は全体像があるけど、
子供の言葉は何かのマネにしか過ぎない。
「イチローになりたい」
という答えをきいたところでその言葉は、
「○○になりたい」というよくある話に、
「イチロー」という空欄を埋めただけの、
平凡なものになるんですよ。

もちろん、目が雄弁に語っているだとか、
そういう子は、おもしろいんだけど、ね。
池谷 それ、なんかわかります。
おばあちゃんやおばちゃんの話って、
おもしろいですよね。

(つづく)
2005-07-15-FRI
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