糸井 |
池谷さんが、こうして、対話形式で
本を作ることをよろこんでくださるのも、
すごくいい姿勢だなぁと思うんです。
対話には、つまらない質問が出たり、
つまらない話題が出るのはしょっちゅうで、
いつもその危険と隣あわせなわけですよね。
だけど、おもしろそうな話の時には、
それを逃さずに掴まえて、じっと見るなり、
話してみるなり、触ってみるなりするのが、
対話という共同作業で……つまりここでも、
おもしろさを発掘する作業になるんですね。 |
池谷 |
対話って絶対に波があるわけですよね。
おそらく、対話の中でも、
特に「つまらない状況」にこそ
宝物が潜んでいると思うんです。
つまらないというのは、受け手の問題です。
相手がなぜその話をしているのかを、
自分が解釈しきれていないわけですから、
そこには、まだ理解できていない
おもしろさがあるのかもしれない……
それを見出せるかどうかはむずかしいけど、
対話の魅力は、そこにあると思います。 |
糸井 |
そうそう。
だからぼくは「集団でいる子供」に
インタビューするのがきらいなんです。
「君たち、将来は何になりたいの?」
という質問って、おもしろくないんです。
それなら、その横にいるおばあちゃんに、
「若い時ぁ、モテたんでしょうねぇ」
と話しているほうが、ずっとおもしろい。
つまり、
おばあちゃんの言葉は全体像があるけど、
子供の言葉は何かのマネにしか過ぎない。
「イチローになりたい」
という答えをきいたところでその言葉は、
「○○になりたい」というよくある話に、
「イチロー」という空欄を埋めただけの、
平凡なものになるんですよ。
もちろん、目が雄弁に語っているだとか、
そういう子は、おもしろいんだけど、ね。 |
池谷 |
それ、なんかわかります。
おばあちゃんやおばちゃんの話って、
おもしろいですよね。
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