糸井 |
子供と話しても
おもしろくないと言いましたが、
ただ、それが自分の子供となら、
おもしろく話をできるんですね。
たぶんそれはどこの親もそうでしょうが、
自分の子供は、背景をわかったりするので。 |
池谷 |
ひとことの厚みがちがうんでしょうね。 |
糸井 |
うん。
こちらを刺激してくれる分量がちがう。
ただその「刺激」の源を辿ってみると、
やはり問題になるのは、愛情ですよね。
その人に、強い興味を持てるかどうか。
そこでやはり、「好きになる力」というのが、
受け手の能力として問われるのかもしれない。
悪人まで含めて好きになる力がある人は、
つまり、悪人が活躍する小説を書けますよね。 |
池谷 |
確かにそうですね。
小説家が悪人を書くためには、単なる
嫌悪感では魅力的にはならないですもんね。 |
糸井 |
そこまで踏みこんでいるから、
ドストエフスキーの小説に出る悪人たちは
「近所にいる頭のいい人よりも好きだなぁ」
っと感情移入ができるわけですよね。
……つまり、池谷さんとぼくとの話題は、
やはり「好き」ということになるのかも。
「好きじゃないから」と、逃げてきたことで、
道を狭くしていったようなことを話したけど、
それは、脳の頑固化ですよね。
「俺は頭がやわらかいから暗記や計算は苦手」
という言い方をする頑固な人になっちゃった、
ということが、自分にもあったわけですから。
「馬鹿になれ」の話で、
「好き」を開いてゆくことでしょうし──。 |
池谷 |
はい。
脳はそもそも、
頑固化しちゃいがちなんですよね。
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