池谷 |
「没頭している時には、
発見はありえないんじゃないか」
ということを、すごく思っています。
つまり集中力のある人は
よくないんじゃないかと……。
集中力がないほうが、いろいろな
ものの見方ができるんじゃないでしょうか。
ものには、たくさんの可能性があるはずなのに、
集中力がありすぎると、
ひとつの用途にしぼって考えてしまう……
集中力のある人の弊害というのも、
あちこちで、よく見かけるような気がしまして。 |
糸井 |
ぼくも集中力はないので
興味がありますけど、もしかしたら、
どこかに「集中力のないことの限界」も、
あるのではないでしょうか。
若い時のぼくと
同じぐらい集中力がない人を見ると、
そういうことを、すこしだけ思うんです。
今は、昔よりは生きやすい時代ですよね。
だから、集中力がないままでも、
「そのままでいい」と言われて育つ……。
すると、どうなるかというと、おそらく、
その人は、ずいぶん生きにくいんですよ。
ぼくは、そういう人を見ていると、
「たいへんだろうな」とは思うんだけど、
そういう人とぼくの差って何かというと、
それは、ぼくのほうが少しタフなんです。
「集中力がないからタフ」というわけではなく、
「集中力がないけれども、それでも
それなりにある集中力のおかげでタフ」
というのが実情なんだと思うんです。
暗記や計算を敵視していたように、
ぼくも集中力を敵視していればラクですけど、
もしかしたら、やっぱりその集中力が、
どこかで自分を支えているかもしれない、
という話も、してみたいなぁと思いました。 |
池谷 |
なるほど。
おっしゃるとおりで、
ぼくがこうして集中力がないと言えるのも、
どこかの部分で、多少は
集中力を持っているからなのかもしれません。
たとえば「タフ」にいくら反論をしても、
それは、「タフ」が大きな価値として
そこにあるから、安心して
「タフじゃないことはいいことだ」
と言えるという種類なのかもしれませんよね。 |
糸井 |
ぼくがなぜタフかというと、
順風満帆な境遇ではいられなかったからです。
つまり、腹が減ったらいつでも食べられるよ、
というシステムがあったら、
人の体ってめちゃくちゃになると思うんです。
お腹が空いたというサインもまちがうだろうし、
感性そのものも鈍ってくるだろうと想像します。
感性って、生きていくための
最低限のノウハウが分化したかもしれませんし。 |