池谷 |
ぼくが三日間
片目が見えなくなった時は、
今、お話をしたような
お年寄りの見えるリアルなもの、
みたいなのは見えませんでした。 |
糸井 |
短期では無理ですもんね。 |
池谷 |
お年寄りが
目が悪くなってくるから
見えるはずのないものが
見えてくるのか、
そこらへんの因果関係はわからないんです。
ただ、幻覚が見えはじめるというのは、
病気ではないもので、あるみたいです。 |
糸井 |
今は、科学以外の共同幻想を
持ちにくいけど、すこし前までは、
村人が坂道でオバケに出会ったり、
もう、ふつうに、
幻覚が見えていたわけですよね。
そう考えたら、
「ここにほんとにある」
ということは、
時代が決めているぐらいかもしれない。 |
池谷 |
異常かどうかの判断は、
変わりうることでしょうね。 |
糸井 |
環境が幻想のかたちを
決めちゃっているんだとしたら、
脳は、脳単体では、
何も脳たりえないということですよね。
生きて暮らしていくことのなかでしか、
脳は脳たりえない。
「脳をよくする」という方向に向かう、
最近の風潮は、要するに
そこのところが欠けているかもしれない。
過剰に脳というやつに期待しているけど、
脳という単体の話にとどまる話は、
やはりむなしいという……。 |
池谷 |
そうですよね。
脳はシステムだから、
動いてナンボの世界ですもん。
高層ビルだけを見てもしかたがなくて、
そのなかでどんな人が何をしているか、
そこを見ないといけないわけで、
そういう意味では、脳の話は、
ひとり歩きしてしまいがちですね。 |
糸井 |
ひとり歩きしてますね。
脳の経験について話すというのは、
ある人が生きてきた経験の蓄積の中で、
脳というものを考えていくことだから、
これはやはり、壮大なことになりそう。 |
池谷 |
そうですね。 |
糸井 |
これからそれについて
一緒に話すのは愉快でもあるなぁ。 |