カレーライスの正体
第8回
カレールウという不思議な存在(1)
2017.3.26 更新
# カレー粉とカレールウの
違いは何か?

 オーケストラ的カレー粉というユニークなアイテムを手にした日本人は、それで満足しなかった。これを使って次のアイテムを生み出したのである。カレールウだ。カレー粉とカレールウというのは、カレーを作るために使われる便利な道具という意味では仲間だが、その実は全く違う商品である。

 料理教室をしていると、よくこんな質問がくる。
「いつもカレールウで作っているレシピをカレー粉で代用したらまずくなりました。なぜですか?」
 似たような経験を持っている人はいるかもしれない。詳しく説明しようとすると長くなるが、たいてい僕はこう答えるようにしている。
「それぞれの商品の原材料を比較してみてください」
 参考までにここに例を記してみよう。

【カレールウの原材料】
食用油脂(牛脂、豚脂)、小麦粉、カレー粉、ソテー・ド・オニオン、砂糖、食塩、でん粉、フォン・ド・ボーソース、乳糖、バナナ、ソースパウダー、ミルクパウダー、フライドオニオンペースト、バターオイル、マッシュルームペースト、リンゴパウダー、香辛料、ぶどう糖、チキンブイヨン、カラメル色素、調味料(アミノ酸等)、乳化剤、酸味料、香料、(その他卵、大豆由来原材料を含む)

【カレー粉の原材料】
ターメリック、コリアンダー、クミン、フェネグリーク、こしょう、赤唐辛子、ちんぴ、香辛料

 これ以上、何も説明することはない。カレールウがてんこ盛りの味であるのに対し、カレー粉には味がほとんどないのである。同じレシピのカレーにある日はカレールウを使い、別の日にカレー粉を使ったらどんなに差が出るのか、誰もが想像できるに違いない。それだけカレールウは、ハイブリッドなアイテムなのである。

# カレールウの4つのパターン

 カレールウが全国の家庭で一般的に使われるようになったのは、1960年代前半ごろと考えていいだろう。全国的にヒットし、一時期は市場シェアの過半数を奪うまでのヒット商品に成長したハウス食品「バーモントカレー」が発売されたのは、1963年のことである。そう考えると、54年が経過した今も同じブランドが市場に残っているのはすごいことだ。 バーモントカレーだけではない。ゴールデンカレーもジャワカレーもディナーカレーも熟カレーも、発売以降いまだにスーパーマーケットの棚に残り続けている。要するにカレールウ市場(即席カレー市場)はずっと顔ぶれが変わらないのである。即席カレー市場は、これまで大きく4つの分野において各社の商品がしのぎを削る争いを行ってきた。

 1.スパイシーカレー
 2.甘口カレー
 3.コクのあるカレー
 4.高級カレー

 初めに生まれた分野は、スパイシーカレーである。当初、カレーは辛いのが当たり前だった。エスビー食品のゴールデンカレーに象徴されるスパイスの香りや刺激が際立ったカレールウが主流だったが、その常識に待ったをかけたのが、バーモントカレーである。独自のマーケティング調査により、母親と子供をターゲットにした甘口のカレーに勝機があると踏んだ。「カレーが甘いなんてありえない」という社内の反対意見も出たそうだが、発売したカレーはまもなくヒットする。

 辛い、甘いという味わいとは別のものさしを提案したのが、グリコの「熟カレー」である。「ひと晩寝かせたあのうまさ」というキャッチコピーは斬新だった。「コク」というおいしさを日本人に印象づけた熟カレーに触発され、コクまろカレーなどのルウが追随した。結果、1990年代以降、カレールウのブランドは多様化した。

 高価なカレールウとして、ハウス「ザ・カリー」、エスビー「ディナーカレー」、グリコ「ZEPPIN」などが生まれるようになると、「熟カレー」や「コクまろ」はスーパーで特売対象となり、安価なカレールウのイメージが定着した。ただ多様化といえどもプレイヤーの数は少ない。カレーメーカー大手のハウス食品やエスビー食品でも、主力で売れているカレールウのブランドは、3つ程度というのが現状だ。

 カレールウは、ブランドスイッチが起こりにくい市場だと言われている。それは、おふくろの味として各家庭で習慣的に食べられているということに関連する。「いつもと同じおいしさ」を作るアイテムとして、ある家庭であるブランドのルウが選ばれる。そのルウは、その家庭において、「おいしいカレー」の基準を作ってしまう。すると、別のカレールウを買ってきたところで、「この味じゃない」となるケースが少なくない。

 家庭の味を決める主婦や母親もリスクを背負いたくないから、なかなか新しいブランドに手を出したがらない。よって、新商品を出しても売れにくいし、ブランドスイッチも起こりにくいという結果になる。

 競合のカレールウに残されたチャンスは少ない。それは、ある家庭の生活環境がガラリと変わるとき、すなわち家庭の構成メンバーが変わるときである。大きくは2通り。結婚するとき。Aという家庭で育った男性とBという家庭で育った女性が結婚する。ここで、Aで食べられていたバーモントカレーとBで食べられていたゴールデンカレーがバッティングする。「じゃあ、半分ずつブレンドして使おうか」なんていう建設的な協議はほとんどの場合、行われない。混ぜたところで両者が納得する味にはならないからだ。このとき、バーモントカレーにするかゴールデンカレーにするか、いっそのこと、新しいカレールウにするかが決まる。ここでブランドスイッチのチャンスはやってくる。

 もうひとつは、子供が生まれた時。この時も家庭の構成メンバーが変わる。しかも、このときは、当然、子供の味覚に合わせたカレールウが選ばれる。そのため、Aの男性やBの女性の好みはともかく、甘くてまろやかで食べやすいカレールウを子供のために選ぶことになるのだ。ここで2度目のブランドスイッチがやってくる。

 ちなみに僕が幼少期に食べていたのは、ジャワカレーの中辛、もしくは辛口である。これは極めてまれな例だ。父親が、「子供の味覚に合わせる必要はない。子供は大人が食べたいもの我慢して食べればいいんだ」という典型的な亭主関白ぶりを発揮していたため、僕は小さいころからスパイシーなカレーを家庭で食べるという極めて特殊な環境で育った。

 他にブランドスイッチが考えられるとすれば、子供が成人し、巣立っていくときだろう。年老いた夫婦が家庭に残る。ただこの場合は、残念ながら、家庭でルウカレーを作って食べる機会自体が減ってしまう傾向にあるのかもしれない。バブルのような日本の経済が大きく変化したタイミングにもチャンスはやってきただろう。日本全国の家庭が豊かになった。水野家もその時期、ジャワカレーから高価なザ・カリーにスイッチしたのを記憶している。

……つづく。
2017-03-26-SUN