カレースターの水野仁輔さんと
ほぼ日の通学講座「カレーの学校」。
「学校には通えないけれど、
授業を受けたい!」という声に応え、
水野さんが「ほぼ日」上で
課外授業をしてくれることになりました。
日本のカレー文化を世界に発信するべく、
日本人がまだ気づいていない
カレーライスの正体について、
エッセイ形式で綴ってくださいます。
カレースターの水野仁輔さんと
ほぼ日の通学講座「カレーの学校」。
「学校には通えないけれど、
授業を受けたい!」という声に応え、
水野さんが「ほぼ日」上で
課外授業をしてくれることになりました。
日本のカレー文化を世界に発信するべく、
日本人がまだ気づいていない
カレーライスの正体について、
エッセイ形式で綴ってくださいます。
「和食」が日本人の伝統的な食文化だとして、ユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、2013年の冬のことだった。当時、ジャパニーズカレーのルーツを取材するために渡英していた僕は、このニュースを滞在先のロンドンで知った。直後に頭をよぎったひとつの疑問がある。
そこにカレーはあるのか?
そう、あの東京オリンピックが決まったときの気持ちがフラッシュバックしたのである。ところが、あのときとは答えが違っていた。世界文化遺産の和食にカレーが名を連ねているかって? そんなはずはない。そもそもカレーが和食だという認識を持つ日本人はきっと極めて少ないだろう。
日本のカレーは、インドからイギリスを経由してやってきた。でも、直接的なルーツとなったイギリスのカレーがどんなものだったのかを深く掘り下げた調査や文献は存在しない。日本のカレーとはいったい何なのか。それを突き止めようと訪れたイギリスで3か月の滞在中に改めて実感したことは、日本のカレー文化の素晴らしさだった。
バラエティが豊かで奥が深くて、みんなに愛されている。家庭にはおふくろカレーがあり、外に出れば街にはカレー専門店があふれている。ご当地カレーと呼ばれる地域ごとに特色のあるカレーが開発され、特産品のPRや観光誘致の一翼を担っている。レトルトカレーは何百種類も売られ、湯煎すれば数分でおいしいカレーにありつける。うどんもラーメンもスパゲティもせんべいも……、周りを見渡せばみんなカレー味だ。こんなカルチャーは世界中どこにも存在しない。
カレーは、国民食ですか? 尋ねられた日本人のほとんどすべてが自信を持って頷くだろう。和食じゃないのに国民食。なんとも不思議な食べ物である。
あれからおよそ3年半が経った。ふと疑問がよぎる。今、日本のカレーは海外の人たちの目にはどう映っているんだろうか? ラーメンは、今や世界的な人気を誇るメニューに進化しつつあるといっていい。カレーはどうだろうか。残念ながら、この日本独自の特異なカレー文化が存在することはほとんど、というか全く知られていない。観光などのために一時的に来日した外国人でさえ、知らずに帰るケースがほとんどだろう。
ある食文化が成熟して世界中に伝播され、親しまれるようになるまでには、気の遠くなるほどの時間がかかるだろう。中国3千年の歴史なんて言葉があるけれど、日本のカレーの歴史はまだたったの150年である。とはいえ、じっとそのときが来るまで待っているわけにもいかない。日本のカレー文化のために何かをしたい。何かを残したい。
インパクトや影響力のあることは、大手カレーメーカーやカレーチェーンがやってくれるだろう。最近僕は、海外にカレー文化を広めようとしている企業にいくつも取材させてもらう機会があったのだが、そうした企業の活躍を振り返れば、将来への期待をせずにはいられない。
ジャパニーズカレーの世界が今よりもっと加速して盛り上がっていくために、僕のレベルで考えられるステップは、こうである。
2年の春に僕は、ひとつのサービスを立ち上げた。「AIR SPICE」という。本格カレーを作れるレシピつきのスパイスセットを毎月、自宅に届けるサービスだ。「Spice up your life!」をスローガンに「スパイスの魅力を普及する」をコンセプトにした取り組みだが、実は、裏コンセプトがある。それは、「カレーのオープンソース化」である。
僕自身がこれまでの知見を駆使しておいしいカレーを作るためのレシピを開発する。それに必要なスパイスは、丸のままのスパイスも粉状のスパイスもすべてグラム単位まで公開してセットする。買った人は、プレーヤーになれる。自分でスパイスを揃えるという面倒な作業がなくても、届いたスパイスとレシピを使ってトライ&エラーができるのだ(エラーがないことを祈ってはいるけれど)。
今はまだユーザー数は少ないが、それでも全国各地のカレー店のシェフから一般のカレーファンまでさまざまな人が使ってくれている。こんな草の根的な活動でも、「1.オープンソース化」から「3.トライ&エラー」までは叶えることができるだろう。おそらく最も難しいのは、「4.イノベーション」である。「その手があったか!」というような切り口をカレーで実現してくれる人が現れたら、後はその人がニューヒーローになれるかどうかは運を天に任せるしかない。そんな人はきっと今は日本のどこかに身を潜めているだろう。
この連載「カレーライスの正体」もカレーのオープンソース化の一環になるのではないかと期待しているし、それ以前にこの一連のテキストによって日本のカレー文化に少しでも興味を持つ人がいてくれたら嬉しい。これはカレーの世界にいて常に感じていることだけれど、僕がこのような機会に「カレーライス」の「進化論」なんていう大それたことを発表できるのは、150年間にわたる先駆者たちの挑戦のおかげだと思っている。
僕がカレーの世界でアウトプットしていることは、すべて“後だしジャンケン”のようなものだ。遠い先を見渡しても後ろを振り返ってもどこにも誰もいないような荒野に立ち、それこそトライ&エラーを繰り返しながら開拓してきた人たちがいる。僕は眺めのいい気球にでも乗って彼らの轍を上から見下ろしながら、おびただしい数の成功と失敗を短期間で頭に入れてきた。それらを手にして編集を繰り返し、あたかも自分の手柄であるかのように表現しているにすぎないのだから。
いつの時代も後から出てくる者がうまくやるに決まっている。先を走る人はどれほど大変だっただろうか。自分自身がカレーの世界でイノベーションを起こしたい。はたしてそれができるかどうかはわからないが、かつて、カレー粉を作り、カレールウを開発し、カツカレーを生んだ人がいたように、これからを歩む僕たちもせめてこのカレーの世界に何かしらのヒントを提示できたらいいなと思う。
そんな僕が今最もやりたいことは、フランスにカレー専門店を開くことである。ある意味で世界で最も料理が進化している国、世界で最も食べることに関心が高いフランス人がいる国で、日本のカレーを提供したらどんな反響があるだろうか? パリで人気レストラン「Dersou」を営む日本人オーナーシェフの関根拓君とは会えばそんな話になる。彼はオーセンティックな三ツ星フレンチで修業を積み、世界各国を旅して自身のレストランを開き、独自のアプローチによる料理を提供して数々の賞を獲得している。
カレーを偏愛する彼の店でジャパニーズカレーを一緒に作ってイベントができたらいいね、という飲み屋で盛り上がった話をぜひ実現させたい。そのときは、やっぱりカツカレーを作るのがいいんだろうなあ。スケールの大きな話ではないが、細やかな試みの積み重ねが何かを動かすこともあるはず。そうやって日本のカレーライスは少しずつ進化していくのだと信じている。
(カレーの学校 課外授業「カレーライスの正体」はこちらでおしまいです。ご愛読、ありがとうございました)
<今までの更新>
第1回 〜プロローグ〜日本のカレーはなぜこんなにも魅力的なのか
(2017.2.5更新)
第2回 日本人は1年に100億のカレーを食べている
(2017.2.12更新)
第3回 なぜカレーライスは日本人の心と舌に愛されてきたか
(2017.2.19更新)
第4回 カレーはインドから日本にやってきた?
(2017.2.26更新)
第5回 日本のカレーはイギリスからやってきた
(2017.3.5更新)
第6回 日本にカレーがやってきた
(2017.3.12更新)
第7回 カレーを研究した日本人がたどり着いた魔法の粉
(2017.3.19更新)
第8回 カレールウという不思議な存在(1)
(2017.3.26更新)
第9回 カレールウという不思議な存在(2)
(2017.4.2更新)
第10回 家庭のカレーの未来
(2017.4.9更新)
第11回 レトルトカレーという名の革命
(2017.4.16更新)
第12回 日本のカレーをおいしくする7つのテクニック(1)
(2017.4.23更新)
第13回 日本のカレーをおいしくする7つのテクニック(2)
(2017.4.30更新)
第14回 日本のカレー=欧風カレー
(2017.5.7更新)
第15回 カレーとラーメンの決定的な違い
(2017.5.14更新)
第16回 会いに行けるアイドル、ご当地カレーの世界
(2017.5.21更新)
第17回 世界に散らばるカレー
(2017.5.28更新)
第18回 カレー文化の未来
(2017.6.4更新)