糸井 | 38年前というと‥‥ 大坊さん、お店をはじめたときの年齢は? |
大坊 | 27歳です。 |
糸井 | 27歳で、深煎りがいいと思っていたわけですよね。 甘さを感じるコーヒーがいいと。 |
大坊 | そうですね。 |
糸井 | 喫茶店をやろうと決めたときにはもう、 「俺はちょっとわかったぞ」 と思っていたわけですか。 |
大坊 | いや(笑)、「わかった」といいますか‥‥。 あの、人生には‥‥ありますよね、 何を選択するかを判断しなければならないことが。 「再就職先を探して勤め人を続けよう」とか、 「思いきって珈琲屋をやろう」とか、 そういう、一種の岐路みたいなものがありますね。 |
糸井 | あります。 |
大坊 | もうすこし勤め人をやって、 資金を貯めてから喫茶店を始めるという選択肢と、 「もう決めちゃえ」という選択肢があったときに、 私は、「決めちゃえ」のほうに 足を踏み出したわけです。 その時点で、 自分のコーヒーが完成していたかというと、 まったく完成してなかった。 ただそのときも、やはりアパートの台所で、 深煎りのコーヒーを焙煎してました。 甘みが出るか出ないかばかりを探してました。 |
糸井 | それをいっしょに探す仲間はいたんですか。 |
大坊 | 仲間と言いますか、 1年間だけ珈琲屋さんに勤めていました。 「だいろ珈琲店」というお店で。 |
糸井 | 「だいろ珈琲店」‥‥。 |
大坊 | 青山のお店です。 |
糸井 | ああー、はい。そこはぼく行ってます。 いまはもうないお店ですよね。 |
大坊 | ないです。 |
糸井 | 「だいろ」は、たしかに深煎りでしたよね。 |
大坊 | そうです。 あそこで私は、それまでで 一番おいしいコーヒーに出会ったんです。 |
糸井 | そうかぁ。 じゃあ、南青山でお店を始めたのは、 この辺でっていうのがなんとなくあったんですね。 |
大坊 | まぁ、そうですね。 でも、自分は岩手県出身の田舎者で、 そのころ青山はすでに 最もハイセンスな街だったですから、 肌が合わないんじゃないかとも考えました。 |
糸井 | そうですか。 |
大坊 | でも、そういうコンプレックスを持っていたのに、 不思議だなぁと思うのは、 やっぱりそうするしかなかったんですね。 この場所で、自分を率直に出そうと考えたんです。 |
糸井 | 率直に。 |
大坊 | 自分にはそれしかできない。 味にしろ、使うものにしろ、流行ではなくて、 自分がいいと思うものを示すしかできない。 それをどのくらいの人が受け入れてくれるか‥‥。 |
糸井 | よかったですね。 そのときに、「それしかない」と思えて。 |
大坊 | ええ。 そうかもしれません。 |
糸井 | そのとき下手に、 「ちょっとこの街に合わせた店に」 とか思ったら、今はないですね。 |
大坊 | ‥‥ほんとうだ(笑)。 続けられていないですね。 |
糸井 | 率直に自分を出そうと決めた大坊さんは、 いくつかの約束をしています。 たとえば、「年中無休宣言」。 ご近所に配ったチラシにも書いてある。 |
大坊 | はい。 |
糸井 | それを、言っちゃったんですよね(笑)。 いや、ぼく自身も、 「ほぼ日刊イトイ新聞」ということをやってますが、 これを始めたときと似ているんです。 あのとき、 「そういえば俺は日曜日にやってる店が好きだ」 って思いついたんですよ。 「なんか食べに行こうか」となったとき、 日曜日にやっていると、 「よく開けててくれた」って、すごくうれしい。 他がみんな土日に休んでたので、 「じゃあうちは日曜日も開けよう」と。 ですから、これは、 自分に武器のない人間の思いつくことなんです。 |
大坊 | ‥‥あぁーー、なるほどぉ。 |
糸井 | なんにも、武器がないんですもん。 |
大坊 | そうですね。そうです。 まったく、あのころ武器というのはなかったですね。 |
糸井 | ないですよね。 で、自分でおいしいと思っていても、 それが通じるかどうかわからないわけですから。 |
大坊 | そうです。おっしゃるとおり。 まったく通じませんでした。 しかし、何度も来てくれる人には 評判がいいわけです。 私が好きなものを好んでくださる、 そういうお客様がぽつぽつと、 ほんとにすこしずつですが増えてきました。 |
糸井 | 時間はかかりますよね。 |
大坊 | はい。ですから妻には、 「あなたは経営者でもあるんですよ、 すこしはそのことも考えてください」と。 |
糸井 | (近くにいらっしゃる奥様に)言いましたか。 |
奥様 | 言いましたねぇ。 |
一同 | (笑) |
糸井 | パートナーとしては心配ですよ(笑)。 |
大坊 | そうでしょうね(笑)。 でも、その‥‥ 私が淹れたコーヒーを飲んで、 お客さんが帰って行くっていう、 そういう行動の中に‥‥「手応え」と言いますか。 |
糸井 | はい、はい。 |
大坊 | なんて言うんでしょうね、 その、何かの「手応え」。 なんの根拠もないんですよ。 しかし、その手応えが、 自分にとっての応援と言いますか、支えでしたね。 |
糸井 | あぁ‥‥。 |
大坊 | 売り上げが伸びないから、 お昼にパンをやるとか、 何か定食をやるとか、 いろんなことを周りから言われましたし、 自分でもそうしなければやっていけなくなるかなぁ と思うこともありました。 数字はそれを示してるわけですから。 お昼にポトフっていうのをやろうかと、 試作をしたこともありました。 でも、ついにやらなかった。 |
糸井 | やらなかったんですね。 |
大坊 | やらなかった理由は、 その、根拠のない「手応え」です。 「手応え」だけが拠り所でした。 自分勝手な思い込みだったかもしれませんが、 「そのうち、いつかそのうち」と。 「大丈夫だ、大丈夫だ」って、思い続けたんです。 |
糸井 | 実際に、大丈夫になるまでには、何年くらい? |
大坊 | それは‥‥(長く考える)‥‥。 私のお店では最初、毎年の開店記念日に、 1周年パーティー、2周年パーティーなんていうのを やっていたんですね。 いつも来てくださるお客様を呼んで。 それで、ある年のこと‥‥10周年の日でした。 台風だったんです。 ざんざん降りの雨の中、 来てくれると言っていた人を待っていました。 誰も来ません。 そのとき、雨を見ながらしみじみと思ったことを よく覚えているんです。 「自分はこうして10年間、待っている。 来るかどうかわからない人をずっと待っている。 これからも待ってるんだなぁ」と。 |
糸井 | はい‥‥。 |
大坊 | 当てもないのに待つことを今までやってきたし、 これからも待ち続けなきゃいけないんだと、 台風の日にあらためて思ったんです。 それで、そういう開店記念日のパーティーは、 もうやめにしました。 |
糸井 | 呼び込むことをやめて、「待つ」ことに決めた。 |
大坊 | 10年目のころは、 「来ないかもしれない」 という不安のほうがまだ強かった時期です。 それが‥‥どうでしょうねぇ‥‥ 「大丈夫かも」とようやく思えたのは、 15年くらいでしょうか。 |
糸井 | ‥‥15年。 「10年やっていっちょまえ」という説があって、 ぼくらはそれをよく言ってるんですが、 そうですか、10年でも足りなかったんですね。 |
大坊 | 不安でしたね。 根拠なき「手応え」だけの15年だったと思います。 (つづきます) |