BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


独身上手と結婚上手の間で
(全4回)


待つ人がいると思うと、
家路は遠い?近い?
創作とシングルライフは相性がいい?
五十代男性三人が語る、結婚・離婚・
家族サービスから肉体まで


構成:福永妙子
撮影:橘蓮二
(婦人公論1999年9月22日号から転載)


篠原勝之
ゲージツ家。
1942年北海道生まれ。
17歳で上京、
深沢七郎、
唐十郎らとの交流を
経て創作活動へ。
鉄の作品シリーズを経て、
ガラス、
石のゲージツに取り組む。
愛称は“クマさん”

橋本治
作家。
1948年東京生まれ。
『桃尻娘』を振り出しに、
小説や評論、
時評など健筆は
多岐にわたる。
93年に
『窯変源氏物語』
全14巻を完結、
現在『双調平家物語』
(全12巻・小社刊)を
執筆中
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

このお顔合わせならでは、なのでしょう。
糸井さんが赤面し、ついには
「許してくれよー」と白旗を上げる展開なんて!
なにしろ、
「あんたんちは?」
「あんたは何で結婚したのよ」と
ゲストのお二方の突っ込みに
容赦はありませんでした。

“ 打ち明け話”もふんだん、
独身&結婚生活のヒントもふんだん、
作家・ゲージツ家の知られざる創作現場も語られて、
オトコの井戸端会議もかしましいのです。

第1回
ひとりの似合う男です

糸井 お二人はシングルのベテランですが……。
篠原 俺は昔、カカアがいたよ。
糸井 そのあと、シングル歴は何年?
篠原 シングル、長いぞ。
三十六歳からだから……もう二十年越えたね。

橋本の旦那はずーっとシングルでしょ。
橋本 俺、四ヵ月、同棲してたことがある。
そういう意味じゃ、
ずーっとシングルだったわけじゃないよ。
そのとき感じたんだけど、人といるとラクだよね。
糸井 いきなり「太字」になること言うねえ。
ラクだったの?
橋本 帰ると「お帰んなさい」って言われて、
ご飯もつくってあってさ。
それに、俺、それまでは他人といると
ダメかと思ってたんだけど、
ぜんぜん違う。
こっちが原稿書いてる横で、
相手が寝転がってテレビ見てても平気なんだよ。
いても平気な人間がいるんだってことがよくわかった。
それから、“万人に対する愛”みたいに、
誰かを選んではいけないんじゃないか、
なんてヘンな思いも以前はあってさ。
でもそうじゃなくて、
好き嫌いをハッキリさせていいんだというのもわかって、
気がラクになったよ。
だから誰かいればいたでいいし、
どっちでもいいんだ。
篠原 何で四ヵ月でやめたの?
橋本 相手が仕事の都合で遠くに行っちゃったから。
篠原 原因はそれだけ?
橋本 うん、それだけ。
糸井 クマさん(篠原氏の愛称)の結婚生活は
どのくらい続いたの?
篠原 正式には十八年くらいかな。
だけど、だんだん家に帰らなくなって
外での生活が長くなってきたんだよ。
橋本 通い婚なのね。
篠原 それに近い。
知り合いのヤクザから、
「大晦日と元旦くらいは家に帰れよ」
って言われて、帰ったこともある。
糸井 ヤクザって礼儀があるね。(笑)
橋本 帰らなきゃいけないっていう考えは、
どこかにあったの?
篠原 最初の頃は
「帰んなくちゃな。
でも、もうちょっと街をウロウロしてたいな」
と思いながら、
そのうち「あっ、三日たったな」とかね。
三日もたつと、もう帰りづらくて、
「こんな夜中に帰っちゃいけねえな。
明るくなってからにしよう」なんて考えてるうちに
足が遠のくんだよ。
糸井 じゃあ、きょうは帰らなかったって、
ドキドキした日もあったんだ。
篠原 あったさ。
俺は昔、けっこう生真面目な青年だったんだよ。
橋本 その生真面目さが結婚をさせた。
篠原 そうなのよ。
孕んじゃったから。
それで子どもが生まれるときに籍入れて。
でないと子どもが存在不明になっちゃうだろ。
だから俺の場合、
入籍するっていう紙っぺらを役所に出して、
離婚するときはそれを×点にしただけのことでね。
糸井 また結婚しようとは思わなかったんでしょう。
篠原 一度してみて、結婚という形が
俺には向いてないのがわかった。
また前と同じになるような気もするしな。
糸井 女性のシングルって、
「シングルライフは住まいの確保から」って、
よくマンション買ったりするけど、
二人の場合、家については……。
橋本 俺は家に対する執着はまったくない。
ないから逆に、人に言われるまんま
家建てさせられたというのがあって。
要するに、どうせカネいらないから、
今のうちに借金で縛っときゃいいかなって、
すごく大ざっぱなこと考えたの。
それで、結局、もうこれ以上、
不動産にカネ出せないから、
誰かと暮らそうにも、できないのよ。
だから不動産関係のカネによって、
シングルは決まりという面はあるね。
糸井 経済的にシングルになった?
橋本 今、荷物が三十坪全部を占領してて、
屋根裏部屋にベッドと机を置いて、
そこで原稿書いてる生活だよ。
これ以上のことをしようと思ったら、
あと二十年以上、借金返し続けて、
それが終わったあとじゃないとできないもん。
すごくわかりやすいでしょ。
篠原 俺も山梨の村に工場なんか建てちゃったもんだから、
生きてるうちに返済できません、
て事務所の経理に言われた。
橋本 クマさんはそのファクトリーに一人で住んでるんでしょ。
助手とかは?
篠原 いないよ。
窯に火を入れるときだとか、
必要なときは職人を呼ぶけど。
橋本 クマさんのファクトリーって広いじゃん。
あのくらい広かったら、
俺だと、誰かいないとダメかなっていう気がする。
糸井 ああ、空間の問題なんだ。
篠原 俺は普段は人がいると鬱陶しいの。
橋本 でも、田舎って一人暮らしができないでしょう。
篠原 暮らしはできるさ。
糸井 近所づきあいはしてる?
篠原 近所たって、まわりに家がないんだから。
お神楽があるよ、なんていうときには
ちょっと行って、役の練習したり、
ということはあるけどね。
糸井 そういうこともしてるんだ。
橋本 それは本当に一人暮らしに慣れているんだね。
俺は都会は平気だけど、
田舎は自分一人じゃ絶対に無理だなあ。
それで、メシ炊きなんかは?
篠原 自分でするさ。
仕事終わったら、自分で掃除して、
ご飯炊いて……。
糸井 クマさんは、自分で自分の面倒を見てきた歴史が
長いもんね。
飲み屋で味噌盗んで、
着物の袂に入れて
持って帰ったりしたこともあったし。(笑)
篠原 コメだよ。(笑)
味噌はさすがにな。
だけど五十過ぎると煮炊きは面倒になるな。
最近はお湯沸かしてレトルトの袋、
ぽんと放り込んでね。
今、ヒジキまでもレトルトになってやがんだ。
何でもある。
それ温めて……。
宇宙食みてえなもんだ。
橋本 俺も昔は料理してたけど、最近はしない。
原稿書いて、料理つくってと、
一日中クリエートしてるのイヤだもん。
糸井 じゃあ、食事はどうしてるの。
橋本 今は夜だけ母親に弁当つくってもらってる。
俺、人にものを頼むの、
わりと拒んでた部分があったのね。
でも今になって考えれば、
頼むことから人との関係は始まるし、
甘えちゃうのも重要だなと思って。
シングルで母親に
弁当つくってもらってるといえばマザコンで、
二十、三十代の頃に
そう言われるのは死ぬほどイヤじゃん。
だけどこのトシになると、
五十でマザコンも悪くないかと……。
糸井 誰も何も言えないよ。
橋本 マザコンに関して、みんな誤解してるから、
正しくマザコンを実践してみようという気も
ないわけじゃないし。

(続く)

第2回 女帝は君臨する

第3回 「あきれさせたい」人々

第4回 「結婚」より「ゲージツ」

2000-08-01-TUE

BACK
戻る