鈴木 |
大塚康生さんが
作品に関わったときのエピソードで
驚いたのは、
映画『ルパン三世 カリオストロの城』での
仕事のやりかたなんです。
この作品は宮崎駿の出世作ですが、
大塚さんはこの映画の作画監督という
「絵の責任者」をつとめたわけです。
宮さん(宮崎駿さん)というのは
とにかくまじめで神経質な人ですから、
とにかく絵をたくさん描くじゃないですか。
若い人が描いたものも、
ずいぶんたくさん修正を入れる。
大塚さんの役割は、
そこで宮さんが描きなおしたものを、
清書することなんです。
それが作画監督という
仕事のひとつの側面なんですね。
だけど、彼は……気分でなおすんですよ。
つまりどういうことかと言うと、
「気分が乗ったときは清書をする」という。
気分が乗らないと、
宮さんが直したものを捨てちゃって、
直さないでまわしちゃうんです。
そうすると、宮崎が
できあがった映像を見て
びっくりするわけですよ。
「直ってないよ、オオツカさん!」
と言われても、
「でも、もう時間がないんだからさぁ」
と押しきる。そういう人なんです。
「そうじゃないとできあがらなかった」
と、本人はあとで言っているんですけど。 |
糸井 |
それはそれで、
ほんとうのことなんですか? |
鈴木 |
ほんとうなんでしょうね。
『カリオストロの城』というのは、
4か月という、非常に短い期間のなかで
作らざるをえなかった作品ですから。
ただ、そうであっても
「宮さんは、まじめだからなぁ。
こんなことをぜんぶ直したら、
なかなかできないよね?」
と、どんどん仕事を進めてしまったり、
挙句の果てに、
『カリオストロの城』の絵を
あと1週間で終わらさなければならない、
というときに、パタッと行方不明になって……。 |
糸井 |
(笑) |
鈴木 |
大塚さんは作画監督ですから、
みんながその人の
チェックを得なければいけないのに、
自宅に電話をしようが、
どこに連絡をとろうが、ほんとに1週間、
行方不明になってしまったんです。
これはさすがに宮さんも怒りました。
それで彼がなにをしていたのかというと、
みんながいちばん忙しい時期に、
アメリカに行っていたんですよね。
それで、急にフラリと帰ってきた……。
『カリオストロの城』を
ご覧になってる方だとわかるんですけど、
冒頭で車のボンネットが
めちゃくちゃになるんです。
あそこには実在のクルマで、
日本にないものがけっこう登場する。
だから
「ボンネットの中が
どうなっているか調べていた」
っていうんです。それをもとに描くわけで。
なんか、好奇心の強さがあるんです。
旅人でもあるので、
とにかく世界中の言葉を活用して
いろいろなところに行って帰ってきて……
その話をするのが大好きな人なんです。
それに、みんな、
大塚さんの話を聞くことが好きなんです。
高畑さんも宮さんも、
大塚さんの話をきくことは
ほんとうに大好きで。
昔からフラリといなくなってしまいがちな人で、
郷里の山口県から、
勝手に電車に乗って家出をしちゃって、
九州を一周して帰ってくる、
というような子どもだったようですし。
ジープだけではなくて、戦車とか、
その類のプラモデルも大好きな人なんですね。
宮崎駿は大塚さんと親しかったので、
引っ越しというと、
他の連中と一緒に手伝いにいくんです。
そうすると、他のみんなが
重いものを持ちあげて
一生懸命にはこんでいるときに、
大塚さんが運んでいるのは
プラモデルだけなんだそうです。
……いい人ですよねぇ。 |
糸井 |
いまの話を、
「いい人ですね」の
一言でまとめる鈴木さんがスゴイ(笑)。 |
鈴木 |
大塚さんは、
ムードメーカーでもあるんです。
みんながゴチャゴチャと
理屈を言いあっているときに、
理屈をすっとばして
ものを言える人ですからね。
後輩のアニメーターを
鼓舞することについても、
もう非常にじょうずなんです。
「ぼくは絵はヘタでした。
ある程度はうまいと思っていたけど
井の中の蛙で、この世界に入ったら、
うまいやつはゴロゴロいる。
やっぱり、後輩で入ってきた
宮崎駿の絵にはかなわなかった。
だけどね、みなさん……」
こんなふうに、話しはじめるんですよね。
「たしかに、
宮さんがサラッと描くと1枚でそれでいい。
だけどぼくも100枚ぐらい描けば、
宮さんと似たようなものを描くんですよ」
こう聞けば、若い人は、
急に「あ、そうか」と安心するみたいなんです。
おだてかたがうまいというか、
現場のみんながドツボにはまって
悩んでいるときに
ポッと気持ちを軽くする才能を持っていたり……
これはぼくの、アニメーション界の
さまざまな知りあいの中には
なかなかいない人です。
だから、彼のそばについた
アニメーターたちは、非常に伸びますよ。 |
糸井 |
いっぱい育てているわけでしょう? |
鈴木 |
ほんとにたくさん、育てています。
大塚さんが、東映動画の社員でありながら、
アルバイトで
絵の学校の先生なんかをやっていたときに、
たまたまそこへ訪ねてきたのが、ジブリの映画
『耳をすませば』
の監督をやった近藤喜文なんです。
近藤さんは、
アニメーターになりたいとは思っていたけど、
どうやって食うかはわからなかった。
だけど、なんとなく、
大塚さんのことを知っていたんですね。
それで、学校にやってきていたんです。
授業もさることならが、終わると
近藤さんはそばにくっついてきてね、
なかなかクチベタな男だったので、
言うことはひとつだったらしいんです。
「……入れてください」
「……入れてください」
なにかと思うと、
会社に入れてくださいってことなんですね。
それを延々と
1か月ぐらいやられたらしいんです。
大塚さんもこまって、あんまりうるさいから、
自分の知りあいの
アニメのスタジオに入れちゃったらしいんです。
大塚さんいわく
「彼がどういう絵を描くかなんて、
見ていなかった」そうで……ところが、
この近藤さんが、うまかったんですよねぇ。
だから、スタジオの社長からは
「大塚さん、ありがとう。また紹介してください!」
と、こうなるわけです。
世の中なんて、そういうものなんですよね。
「絵なんてじょうずかヘタか半々なのだから、
入れてしまえば、半分はうまくいくんだ」
割りきりかたがすごいっていいますか。
そこは、先生として
向いているのではないかという気がします。 |
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(つづきます) |