糸井 | 震災直後、早野さんを頼りにしている人は そうとう多かったと思うんですが。 |
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早野 | 意見を求められることは多かったですね。 あまり表だっての発表はしてませんが、 当時の政府関係者などからも、 いろいろご相談はありました。 お断りしましたが、国際広報の担当の方からは、 当時、外国人記者相手に毎日やっていた会見の 英語のやり取りを手伝ってほしい、 というような要請があったりもしました。 |
糸井 | それは早野さんの専門分野をわかったうえで オファーしているんですか? |
早野 | まぁ、ぼくのツイートを見て、ですね。 |
糸井 | うわぁ、そうなんだ(笑)。 |
早野 | ツイートを見て、この人だったらできるだろうと、 先方が勝手に判断して。 でも、そういうことに時間をとられるよりは やはり刻々と変わるデータを 自分の目で見ていたいという気持ちが強かったですね。 現実のデータを見ずになにか発言するというのは、 絶対にできないと思ってた。 ですから、ずっとモニターに張りついて データをチェックし続けていました。 |
糸井 | 張りついているっていうことは、 早野さんの生活がそのぶんだけ それに割かれているということですよね。 |
早野 | そうですね。 生活が主にそれになってましたね、当時は。 |
糸井 | フォローしている人たちは、 それぞれ個人的に切実な思いで見てましたから。 早野さんがどんなデータを出して、 なにをおっしゃるかっていうのは、 ちょっとした変化でも見逃せないほど 当時は注目されていたと思います。 |
早野 | それはね、いまだから言えますけど、 ものすごい重荷だったわけですよ。 |
糸井 | あーー、やはり。 |
早野 | たとえば、首都圏のフォロワーの方々は、 ぼくが首都圏から逃げない限りは 自分も逃げないとか言ってるわけです。 そこまで言われてしまうと、 ぼくがなにか間違って変なことを言うと、 収拾がつかないことになる可能性がある。 ですから、やっぱり、そのときは そうとうな重荷だったことはたしかですね。 |
糸井 | からだは大丈夫でしたか? |
早野 | はい、それは大丈夫でした。 もう老人ですけど、いまだにからだは大丈夫です。 |
糸井 | ぼくも老人の域ですが、 やっぱり、あのころのストレスって 知らず知らずのうちにかかってたと思うんですよ。 ぼく、自分の体重をずっと記録してるんですけど、 明らかにあの時期、減ってるんですよ。 |
早野 | ああ、そうですか。 ぼく、まったく変わってないです(笑)。 |
糸井 | それはやっぱり、知識があるからでしょうか? 不安が少ないぶん、ストレスを軽減するというか。 |
早野 | それもあるかもしれませんが、 ぼくらは本職のほうの生活でも、 基本的になにかに張りついて見守っている ということが多いので。 たとえば加速器という巨大装置をつかった実験って、 24時間、機械を動かさなくてはいけないので チームでシフトを組んで 順番に休みながら生活するんです。 だから、やるとなったら、 そういうことが苦にならない。 |
糸井 | 慣れてたんですね。 |
早野 | そういうことかもしれません。 頻繁にジュネーブに行ってますけど、 時差があっても、体重は大きく変化せずに 生活できてますから。 ですから、あのときは、いろんな意味で そうとう大きなプレッシャーがありましたけど、 一方で平常心は維持できてたと思います。 |
糸井 | その平常心の取り方といいますか、 心構えというものは、 練習して急に上手になったわけではないですよね。 |
早野 | そうですね。急にできるものではないので。 |
糸井 | 経験ですか? |
早野 | 経験‥‥でしょうかね。 やっぱり、若かったらできないとは思いますね。 |
糸井 | その、たとえば早野さんを フォローしている人たちのあいだでも、 早野さんを真ん中に置きながら、 当時、すでに、侃々諤々の論争みたいなものが 日々、起こってましたよね。 あれ説、これ説、嘘だの、本当だの、隠してるだの。 |
早野 | そうでしたね。 |
糸井 | つまり、早野さんが、こう、 みんなのちょっと上のところにぽっかり浮いていて、 その下の海は大荒れになっている。 その荒波が目に入ってないわけじゃないですよね? |
早野 | 情報としては目に入れてました。 |
糸井 | そのときの距離の取り方というのが ほんとに見事で、見習いたいなぁと思って、 ぼくはじつは支えにしてたんです。 |
早野 | ああ、そうですか。ありがとうございます。 |
糸井 | 早野さんが自分をきちんと保つために 気をつけているようなことってありますか? |
早野 | 自分が持っている時間って、 限りがあるじゃないですか。 今回の震災があろうとなかろうと、 ぼくの基本のところには、 研究者としての自分がいるんですけど、 研究者って、自分が持っている時間と、 自分が持っているリソースを 何に使えばいちばん人と違うことができるか、 というふうな考え方をするんですね。 つまり、いかに人と違うことをやって 成果が出せるかというのが非常に重要なポイントで。 逆にいうと、人と同じことをやってたら 研究者って存在意義がないんです。 1000人が研究しているものについて、 1001番目として研究しても、あまり意味がない。 だから、まだ人がやってなくて、そのなかで、 自分が持っている力がもっとも活きることは何か、 というふうに考えて、そこへ向かっていく。 それが普段研究をやっているときでも、 いちばん重要な心構えだと思っているんですね。 |
糸井 | なるほど。 |
早野 | つまり、人のいない方向に向かって歩くんですよ。 だから、落っこちることだってあるかもしれない。 無事にたどり着いたら、たいして意味がなかった、 ということだってあるかもしれない。 でも、なるべくハズレがないように、 誰もいない方向に向かって一歩一歩、歩く。 そういうことを常に心掛けているはずなんですよ、 我々、研究者っていうのは。 震災以後、ぼくがやったことも、基本的には同じです。 「これはたぶん、いまぼくがやらなかったら 誰もやらないだろうな」と思うことをやってきた。 そこに、自分の時間や、力や、リソースを 費やしてきたんじゃないかと思います。 だから、もちろん、いろんな論議は目に入りますし、 誤解や無理解や誹謗中傷に コンチキショーと思うこともあるけれども。 だけど、そこで場外乱闘するのは、 自分の時間の使い方としては、 まったく愚かなことだと思っていたので。 そこには加わらずに、やってきました。 |
糸井 | みんながそんなふうにできていたら、 ずいぶん価値が増えたでしょうね。 そういうことを方法論として知ってたら、 無駄な論争で変な傷を負ったりすることなく、 その人がやるべきことへ向かっていけたと思います。 |
早野 | そうなれば望ましいんですけどね。 それから、やっぱり、ああいう、 みんなの心がギスギスしてしまうようなところでは、 余裕というか、ユーモアというか、 そういうものが必要だと常に思っていました。 |
糸井 | ほんとにそう思いますね。 |
早野 | ちょっとしたことでもいいと思うんですよね。 だからぼくは、まぁ、それは震災前からそうですけど、 自分の私生活に関するさまざまな 「余計なこと」をツイートしたりしてます。 |
糸井 | あ、してますね(笑)。 |
早野 | ホットケーキも含めて(笑)。 ですから、そういうことも、放射線量のグラフも、 ぜんぶ含めてトータルに、 見てくださる方は見てくださっていると思うんですよ。 それが、お役所のツイートみたいに 必要なことしか言わないとなると、 アカウントの裏に生身の人間が 感じられなくなってしまうんですよね。 |
糸井 | あの、安斎育郎先生の本のあとがきで、 強い決意を持って述べられていたことが すごく印象に残っているんですけど、 要するに、「誰が言ったか」ということが どれだけ大事か、ということです。 つまり、あの人が言ったから信じるとか、 あの人が言ったから信じたくないっていうことは 必ずあることなんだと。 だから、同じことを言うにしても、 信じられるだけのことを きちんとやってないとダメだと。 |
早野 | ああ、はい。 |
糸井 | たしかにぼくも、発言そのものとセットで、 信じられる姿勢を持っている人を 探して読んでいる気がするんですよ。 だから、ケンカする人全員がダメなわけじゃなくて、 正しいけれどもケンカっ早い人もいるし、 落ち着いて語るけど信用できない人もいるし。 そういうなかで、やっぱり、 長く発言をフォローしている人というのは、 自分ができることだけをポジティブにやっている人。 そういう人は、行動そのものが きちんとした意見になっているんですよね。 |
早野 | そうですね。 |
糸井 | 今日は、ここに、震災直後に 「ガイガーカウンターミーティング」という 放射線を正しく測ろうというイベントを企画した 八谷和彦さんとか、それを漫画にした鈴木みそさんとか、 福島で農業をしながら発信を続けている 藤田浩志さんもいらっしゃってますけど、 やっぱり、ひとりずつが、そういう方だと思うんです。 ある考えに基づいて集まってるパーティーじゃなくて、 ひとりずつの判断がたまたま重なっているだけで。 そのなかでも、早野さんはやっぱり 非常にシンボリックな立場だと思いますけど、 やっぱり、言えること、できることの範囲を決めて、 自分がそこを実際に歩いていくなかで、 パフォーマンスを最大にしていくっていう。 |
早野 | そういうことは意識していましたね、やっぱり。 |
糸井 | そういう人の姿そのものが、 自分の支えになるんですよね。 ありがたいことにぼくのことをそんなふうに 見ててくれる人もいたかもしれないけど、 ぼくは、早野さんを見てたんです。 |
早野 | ああ、そうですか。 |
糸井 | そうなんです。 素敵な人は世の中にいっぱいいるんですけど、 やっぱり、素敵だけど裏で震えてたりね、 素敵だけどちょこちょこ転んでたり、 素敵だけれど、どこか、 舞台の上で起こってる話のように 感じられたりするんです。 そういうときに、雲の上に浮いてるようで、 自分たちと地続きのことを書いてらっしゃる 早野さんの存在は、助かったんですよ。 それはもう、センスとしか 言いようのないことなのかなと思ってたんですが、 震災前からずっと心がけてこられたことというか、 研究者としての基本的な姿勢だったんですね。 |
早野 | そうですね。 少なくとも、急にそうしたということではないです。 そういう意味では、ツイッターというものも、 3月11日以後、にわかに使いはじめたものではなくて、 これをどう使うべきかっていうことを 震災前から仲間内でずっと話してた、 というのも大きかったと思いますね。 |
糸井 | なるほど。 |
早野 | あと、やっぱり、なにかをツイートするときに、 「これはまずいかな」「言わないほうがいいかな」と 自分が思うことはあって、 そのときは、母ちゃんに聞くんですよ。 |
糸井 | あ、奥様に。 |
早野 | 「母ちゃん、これやってもいいかね」って。 するとたいてい、 「父ちゃん、それはやめたほうがいいよ」 とか言うわけ。 |
糸井 | あー、そうですか。 |
早野 | いや、それがね、やっぱり 素人の読者が家の中にいるってね、 とっても助かるんですね。 |
糸井 | よくわかります。 |
早野 | たとえば、激情に駆られてコンチクショーと思って 発信しかけたツイートが、 それによってなかったことになるとか、 そういう場面はときどきありましたよ。 |
糸井 | 助かりましたね、それは。 |
早野 | 非常に助かっています。 |
2013-06-19-WED