マンガ・鈴木みそ

鈴木みそさんのプロフィール」

第3回 誰もいない方向へ歩く。

糸井 震災直後、早野さんを頼りにしている人は
そうとう多かったと思うんですが。
早野 意見を求められることは多かったですね。
あまり表だっての発表はしてませんが、
当時の政府関係者などからも、
いろいろご相談はありました。
お断りしましたが、国際広報の担当の方からは、
当時、外国人記者相手に毎日やっていた会見の
英語のやり取りを手伝ってほしい、
というような要請があったりもしました。
糸井 それは早野さんの専門分野をわかったうえで
オファーしているんですか?
早野 まぁ、ぼくのツイートを見て、ですね。
糸井 うわぁ、そうなんだ(笑)。
早野 ツイートを見て、この人だったらできるだろうと、
先方が勝手に判断して。
でも、そういうことに時間をとられるよりは
やはり刻々と変わるデータを
自分の目で見ていたいという気持ちが強かったですね。
現実のデータを見ずになにか発言するというのは、
絶対にできないと思ってた。
ですから、ずっとモニターに張りついて
データをチェックし続けていました。
糸井 張りついているっていうことは、
早野さんの生活がそのぶんだけ
それに割かれているということですよね。
早野 そうですね。
生活が主にそれになってましたね、当時は。
糸井 フォローしている人たちは、
それぞれ個人的に切実な思いで見てましたから。
早野さんがどんなデータを出して、
なにをおっしゃるかっていうのは、
ちょっとした変化でも見逃せないほど
当時は注目されていたと思います。
早野 それはね、いまだから言えますけど、
ものすごい重荷だったわけですよ。
糸井 あーー、やはり。
早野 たとえば、首都圏のフォロワーの方々は、
ぼくが首都圏から逃げない限りは
自分も逃げないとか言ってるわけです。
そこまで言われてしまうと、
ぼくがなにか間違って変なことを言うと、
収拾がつかないことになる可能性がある。
ですから、やっぱり、そのときは
そうとうな重荷だったことはたしかですね。
糸井 からだは大丈夫でしたか?
早野 はい、それは大丈夫でした。
もう老人ですけど、いまだにからだは大丈夫です。
糸井 ぼくも老人の域ですが、
やっぱり、あのころのストレスって
知らず知らずのうちにかかってたと思うんですよ。
ぼく、自分の体重をずっと記録してるんですけど、
明らかにあの時期、減ってるんですよ。
早野 ああ、そうですか。
ぼく、まったく変わってないです(笑)。
糸井 それはやっぱり、知識があるからでしょうか?
不安が少ないぶん、ストレスを軽減するというか。
早野 それもあるかもしれませんが、
ぼくらは本職のほうの生活でも、
基本的になにかに張りついて見守っている
ということが多いので。
たとえば加速器という巨大装置をつかった実験って、
24時間、機械を動かさなくてはいけないので
チームでシフトを組んで
順番に休みながら生活するんです。
だから、やるとなったら、
そういうことが苦にならない。
糸井 慣れてたんですね。
早野 そういうことかもしれません。
頻繁にジュネーブに行ってますけど、
時差があっても、体重は大きく変化せずに
生活できてますから。
ですから、あのときは、いろんな意味で
そうとう大きなプレッシャーがありましたけど、
一方で平常心は維持できてたと思います。
糸井 その平常心の取り方といいますか、
心構えというものは、
練習して急に上手になったわけではないですよね。
早野 そうですね。急にできるものではないので。
糸井 経験ですか?
早野 経験‥‥でしょうかね。
やっぱり、若かったらできないとは思いますね。
糸井 その、たとえば早野さんを
フォローしている人たちのあいだでも、
早野さんを真ん中に置きながら、
当時、すでに、侃々諤々の論争みたいなものが
日々、起こってましたよね。
あれ説、これ説、嘘だの、本当だの、隠してるだの。
早野 そうでしたね。
糸井 つまり、早野さんが、こう、
みんなのちょっと上のところにぽっかり浮いていて、
その下の海は大荒れになっている。
その荒波が目に入ってないわけじゃないですよね?
早野 情報としては目に入れてました。
糸井 そのときの距離の取り方というのが
ほんとに見事で、見習いたいなぁと思って、
ぼくはじつは支えにしてたんです。
早野 ああ、そうですか。ありがとうございます。
糸井 早野さんが自分をきちんと保つために
気をつけているようなことってありますか?
早野 自分が持っている時間って、
限りがあるじゃないですか。
今回の震災があろうとなかろうと、
ぼくの基本のところには、
研究者としての自分がいるんですけど、
研究者って、自分が持っている時間と、
自分が持っているリソースを
何に使えばいちばん人と違うことができるか、
というふうな考え方をするんですね。
つまり、いかに人と違うことをやって
成果が出せるかというのが非常に重要なポイントで。
逆にいうと、人と同じことをやってたら
研究者って存在意義がないんです。
1000人が研究しているものについて、
1001番目として研究しても、あまり意味がない。
だから、まだ人がやってなくて、そのなかで、
自分が持っている力がもっとも活きることは何か、
というふうに考えて、そこへ向かっていく。
それが普段研究をやっているときでも、
いちばん重要な心構えだと思っているんですね。
糸井 なるほど。
早野 つまり、人のいない方向に向かって歩くんですよ。
だから、落っこちることだってあるかもしれない。
無事にたどり着いたら、たいして意味がなかった、
ということだってあるかもしれない。
でも、なるべくハズレがないように、
誰もいない方向に向かって一歩一歩、歩く。
そういうことを常に心掛けているはずなんですよ、
我々、研究者っていうのは。
震災以後、ぼくがやったことも、基本的には同じです。
「これはたぶん、いまぼくがやらなかったら
 誰もやらないだろうな」と思うことをやってきた。
そこに、自分の時間や、力や、リソースを
費やしてきたんじゃないかと思います。
だから、もちろん、いろんな論議は目に入りますし、
誤解や無理解や誹謗中傷に
コンチキショーと思うこともあるけれども。
だけど、そこで場外乱闘するのは、
自分の時間の使い方としては、
まったく愚かなことだと思っていたので。
そこには加わらずに、やってきました。
糸井 みんながそんなふうにできていたら、
ずいぶん価値が増えたでしょうね。
そういうことを方法論として知ってたら、
無駄な論争で変な傷を負ったりすることなく、
その人がやるべきことへ向かっていけたと思います。
早野 そうなれば望ましいんですけどね。
それから、やっぱり、ああいう、
みんなの心がギスギスしてしまうようなところでは、
余裕というか、ユーモアというか、
そういうものが必要だと常に思っていました。
糸井 ほんとにそう思いますね。
早野 ちょっとしたことでもいいと思うんですよね。
だからぼくは、まぁ、それは震災前からそうですけど、
自分の私生活に関するさまざまな
「余計なこと」をツイートしたりしてます。
糸井 あ、してますね(笑)。
早野 ホットケーキも含めて(笑)。
ですから、そういうことも、放射線量のグラフも、
ぜんぶ含めてトータルに、
見てくださる方は見てくださっていると思うんですよ。
それが、お役所のツイートみたいに
必要なことしか言わないとなると、
アカウントの裏に生身の人間が
感じられなくなってしまうんですよね。
糸井 あの、安斎育郎先生の本のあとがきで、
強い決意を持って述べられていたことが
すごく印象に残っているんですけど、
要するに、「誰が言ったか」ということが
どれだけ大事か、ということです。
つまり、あの人が言ったから信じるとか、
あの人が言ったから信じたくないっていうことは
必ずあることなんだと。
だから、同じことを言うにしても、
信じられるだけのことを
きちんとやってないとダメだと。
早野 ああ、はい。
糸井 たしかにぼくも、発言そのものとセットで、
信じられる姿勢を持っている人を
探して読んでいる気がするんですよ。
だから、ケンカする人全員がダメなわけじゃなくて、
正しいけれどもケンカっ早い人もいるし、
落ち着いて語るけど信用できない人もいるし。
そういうなかで、やっぱり、
長く発言をフォローしている人というのは、
自分ができることだけをポジティブにやっている人。
そういう人は、行動そのものが
きちんとした意見になっているんですよね。
早野 そうですね。
糸井 今日は、ここに、震災直後に
「ガイガーカウンターミーティング」という
放射線を正しく測ろうというイベントを企画した
八谷和彦さんとか、それを漫画にした鈴木みそさんとか、
福島で農業をしながら発信を続けている
藤田浩志さんもいらっしゃってますけど、
やっぱり、ひとりずつが、そういう方だと思うんです。
ある考えに基づいて集まってるパーティーじゃなくて、
ひとりずつの判断がたまたま重なっているだけで。
そのなかでも、早野さんはやっぱり
非常にシンボリックな立場だと思いますけど、
やっぱり、言えること、できることの範囲を決めて、
自分がそこを実際に歩いていくなかで、
パフォーマンスを最大にしていくっていう。
早野 そういうことは意識していましたね、やっぱり。
糸井 そういう人の姿そのものが、
自分の支えになるんですよね。
ありがたいことにぼくのことをそんなふうに
見ててくれる人もいたかもしれないけど、
ぼくは、早野さんを見てたんです。
早野 ああ、そうですか。
糸井 そうなんです。
素敵な人は世の中にいっぱいいるんですけど、
やっぱり、素敵だけど裏で震えてたりね、
素敵だけどちょこちょこ転んでたり、
素敵だけれど、どこか、
舞台の上で起こってる話のように
感じられたりするんです。
そういうときに、雲の上に浮いてるようで、
自分たちと地続きのことを書いてらっしゃる
早野さんの存在は、助かったんですよ。
それはもう、センスとしか
言いようのないことなのかなと思ってたんですが、
震災前からずっと心がけてこられたことというか、
研究者としての基本的な姿勢だったんですね。
早野 そうですね。
少なくとも、急にそうしたということではないです。
そういう意味では、ツイッターというものも、
3月11日以後、にわかに使いはじめたものではなくて、
これをどう使うべきかっていうことを
震災前から仲間内でずっと話してた、
というのも大きかったと思いますね。
糸井 なるほど。
早野 あと、やっぱり、なにかをツイートするときに、
「これはまずいかな」「言わないほうがいいかな」と
自分が思うことはあって、
そのときは、母ちゃんに聞くんですよ。
糸井 あ、奥様に。
早野 「母ちゃん、これやってもいいかね」って。
するとたいてい、
「父ちゃん、それはやめたほうがいいよ」
とか言うわけ。
糸井 あー、そうですか。
早野 いや、それがね、やっぱり
素人の読者が家の中にいるってね、
とっても助かるんですね。
糸井 よくわかります。
早野 たとえば、激情に駆られてコンチクショーと思って
発信しかけたツイートが、
それによってなかったことになるとか、
そういう場面はときどきありましたよ。
糸井 助かりましたね、それは。
早野 非常に助かっています。
2013-06-19-WED