糸井 | 話を当時のことに戻しますけど、 早野さんがデータに張りついていた時期というのは どのくらいまで続くんですか。 |
---|---|
早野 | 3月中はずっとそうでしたね。 で、3月の終わりに一度、ぼく自身は 「もう、だいたいいいかな」と思った時期があって。 ツイッターもやめようと思ったんです。 |
糸井 | あ、そうだったんですか。 それは、どういう理由から? |
早野 | 要するに、人々の関心が、 放射線量そのものよりも、 健康への影響に移っていったんです。 水道からヨウ素が出たりとか、 そういう時期ですけど。 |
糸井 | はい、はい。 |
早野 | そのあたりから、ぼくは専門家ではないので 健康影響については言わないようにしようと思った。 まぁ、震災直後はほかに言う人がいなかったので 少しはそういうことも言ってましたけど、 それについては本当はもっとしかるべき人、 専門家が言うべきだと思っていて。 ぼくの周りのことでいうと、 東京大学の医学部の中川(恵一)先生が、 3月17日くらいにツイッターを始められたんです。 |
糸井 | たしか研究室名義で始めたんですよね。 |
早野 | そうです、「チーム中川」というかたちで。 で、人々の関心がすごく高かったので、 中川さんのチームのフォロワー数が すぐにぼくのフォロワー数を上回ったんです。 そのときにぼくの役目は一旦終わったなと。 4月になって、新学期もはじまるし、 ぼくは一度離れて本職に戻るぞと思ったんです。 実際、関係者に「もうやめるよ」って言いました。 そしたらですね、3月25日に、 東電がとっても変なデータを出したんです。 「塩素38が見つかった」というものなんですけど。 それで、これはきっと再臨界しているに違いない、 ということで、世の中が騒がしくなったんですね。 (※東電は4月20日にその測定値を撤回) ところがぼくは、データを見た瞬間に、 これは東電の発表が間違ってると感じたので そうツイートしちゃったんですよ。 これはあり得ないことで、 再臨界の証拠にはならないですよ、と。 そうにつぶやいたら、やっぱり反響が大きくて、 「新学期もはじまるし、ツイッターやめます」 とは言えない雰囲気になっちゃった。 それでけっきょくいままで続いているんですが、 ただ、ふり返ってみると、 その後にできたさまざまな人々との人脈が いまの僕の福島での活動を支えているので、 結果的にはあのときやめなくてよかったと思ってます。 |
糸井 | あの、いま、お話をうかがってて思ったんですが、 いま早野さんがトピックとして挙げられた 節目節目のツイートって、ぼく、ぜんぶ覚えてますね。 |
早野 | あ、そうですか。 |
糸井 | それほど染み入るように読んでたんだ っていうことを、いま自覚しました。 |
早野 | なんかね、そういうことを、 最近、いろんな方からうかがうんですよ。 あのころ、ツイートをぜんぶ読んでましたとか、 頼りにしてましたとか。 ぼくとしては、あんまり曖昧なことも言わず、 専門用語なんかもきちんとつかいながら 言うべきことを容赦なく、直球で言ってましたから、 そういう意味でいえば、 手加減せずにやっててよかったなとは思います。 |
糸井 | 本当に頼りにしてました。 懐中電灯の光で必死に地図を見てるみたいな、 そういう感じでした。 |
早野 | いや、そんな(笑)。 |
糸井 | 本当に、いろんな人が見てたと思いますよ。 人数だけじゃなくて、いろんな立場の人が。 |
早野 | ああ、そうですね。 役所の方も見ておられましたし。 最近は、マスコミの方から、 あのときは勉強させていただきました、 って言われたりします。 |
糸井 | あんな事態でなければ、 新聞に書いてあることを読めば だいたいのことは済んじゃってたんでしょうね。 あの時期って、新聞に書いてあっても NHKが何か言っても、 それで「そうか」とみんなが 納得するような感じではなくて。 |
早野 | そうでしたね。 |
糸井 | あらゆることが、 「どっちもあるかもしれない」と思わせたし、 どんなテーマだったとしても、まずは 「わからない」から出発せざるを得なかった。 だからこそ、脅したり煽ったりするんじゃなくて、 わかってるに決まってることだけを 言ってくれるっていう人が、必要だったんです。 それで、早野さんのツイートを、 みんなが頼りにしたんですよ。 |
早野 | ああ、なるほど。 |
糸井 | また、早野さんは、 「どうなってほしい」ということ、 自分の希望や立ち位置みたいなことを ひとつも書かずに、ただ事実を書いてらっしゃった。 そこがやっぱり、 みんなが信頼した理由だと思うんです。 「できたら、こうあってほしい」という気持ちは、 たぶん、ひとりの人間としてはあったと思うんです。 だけど、その色メガネをかけたまま データを見てると、やっぱり伝え方が変わってくる。 早野さんはそれをしてなかったから、 いろんな人が頼りにしていたわけで。 |
早野 | ああ、それをわかってくださっているのは、 さすがというか、ありがたいです。 やっぱり、ふだん科学者として 研究したり論文を書いたりしてる、 その「素の自分」がそういうスタンスなんですね。 |
糸井 | ああ、なるほど。 |
早野 | もちろん、研究しているうえで、 「このデータ、思い通りにこう出たらいいよな」 とか、思うことはあって。 |
糸井 | でしょうね。 |
早野 | 「大発見!」みたいな論文書きたいんだけど、 当然、そうは書かないわけで。 それとまったく同じことを、 あのときはツイッターを通じてやっていたんです。 また、我々が論文を書くときは、 たとえ煩雑だと感じても、 必ず参考文献って書くわけですよね。 それと同様に、ツイッターでなにか発信するときも、 自分が発言している内容の元の情報は どこにあるのかっていうことを 必ず添えるようにしていました。 だから、あれって、本当に 140文字ずつ論文を書いているような、 科学者として論文を書くのと、 ほぼ同じつもりでやっていましたね。 |
糸井 | ああ、だから、頼りにしていたのは、 早野さんが発信するデータだけじゃなくて、 そういう「姿勢」も含んでいたと思います。 そこも含めて、自分も身につけたいなぁと 思っていましたね。 やっぱり、自分の発言というのは、 自分という生身の人間と地続きですから、 「自分が生きやすいように」 発言してしまうんですよ。 それはそれで自然だと思うんですが、 大切なことがそれで曇ってしまうとしたら、 やっぱりよくないと思うんです。 かといって、生身の自分の発言を 禁じすぎてしまうのもよくない。 ということで、あのころは、 うまくしゃべれないことだらけだったんですね。 そのときに、早野さんを見て、 こういう距離感みたいなものを 学べるんだったら学びたいなと思ってました。 |
早野 | 学生として私の研究室においでになりますか。 冗談です(笑)。 |
糸井 | たぶんぼくは、その研究室には 不適格な人間だと思うんですが(笑)。 あの、恋愛の期間中に 「あばたもえくぼ」っていう言い方がありますよね。 反対の言い方をすると、 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」。 |
早野 | はい。 |
糸井 | 気持ちの持ちようで、なんでも素敵に見えたり、 逆に腹立たしく思えたりする。 たまたまポストにハガキを出しに行ったら 好きな人に出会って「運命だ」って思う。 その思い込みというかロマンチシズムというのは、 それはそれでみんな大好きなんです。 ただ、「運命じゃないよ、そういうことはあるよ」 っていう、もうひとりの自分がちゃんといないと、 そのロマンを味わうにしたって やっぱりおもしくないんですよ。 |
早野 | ああー、なるほど。 |
糸井 | とくに、震災のあと、 あれだけの大きな渦が社会にできてしまうと、 両方をきちんと持ってないといけない。 そうじゃないと、「こういう運命だ」って 言いたい人はその発想で事実をとらえてしまう。 |
早野 | はい。 |
糸井 | なんというか、運命を予告しておいて、 「ほら、言ったとおりだ」って言いたい、 みたいな人が出てきてしまうんですね。 そうじゃなくて、事実は事実として 見分けのつく人間でありたい。 数字やデータの完全な読み方はわからないにしても、 それはちょっと言い過ぎじゃないかとか、 好きだからそう言ってるんじゃないかとか、 そういうことがきちんとわかるというのが ぼくの理想のひとつなんですよ。 そういう、ひとりひとりの集まりでありたい。 |
早野 | なるほど。 |
糸井 | その意味で、ようやく言える時期が来たというか、 当たり前のことを確認し合える時期が きたんじゃないかなぁと思っています。 |
早野 | そうですね、そういう時期ですね。 |