マンガ・鈴木みそ

鈴木みそさんのプロフィール」

第7回 福島で起きたことを残す。

糸井 その後も早野さんは
給食の計測を続けてらっしゃいますよね。
数値の検出も含め、大きな問題はなく?
早野 そうですね。福島県内の給食は
ずっと測ってきて、幸い、セシウムも
ほとんど検出されていないんですが、
この結果が地元の方にきちんと届いているかというと
残念ながらそうでもないような気がして。
糸井 そうなんですか。
早野 あの、給食の測定結果を福島県の教育委員会が
ホームページに掲載しているんですね。
で、あるときぼくがそのデータを確かめに行ったら
リンクが切れていたんです。
おそらく、長い間切れたままだったんですよ。
つまり、いまはもう見ていないんですよ。
糸井 あー、数値が検出されたりすると、
みんな問題意識が高まるけど、
とくに問題がない普段の状態の
放射線量を確かめたりはしていない。
早野 そういうことじゃないかと思うんです。
あと、今年の1月から給食のお米を
福島のお米に切り替えることになったんですが、
保護者の方々から、不安だという声が出たんですね。
でも、1月以降のデータを見ると、
以前と変わらず数値は検出されてないんですよ。
もちろん、人の心の問題ですから
データで不安が完全に払拭されるとは
思いませんが、それにしても、
数値としてはまったく問題ないということが
不安を感じてらっしゃっる
保護者の方にきちんと伝わっているのかなと。
糸井 きちんと測定しても、それが伝わらないと
あまり意味がないんですね。
早野 そういった、実データと、
住民のみなさんのイメージの違いを
きちんと埋めていかなくてはいけないと思います。
もうひとつ例を挙げると、
去年の夏、福島市のホームページに、
市民の意識を調査した
アンケートの結果が載ったんです。そこに
「2011年と2012年を比較して、
 何に対する不安が増えましたか?」
という質問があったんですが、
いちばん多かった答えは、
「内部被曝に対する不安が増えました」
ということでした。また、
「現在何がいちばん不安ですか」
という質問に対しても
「家族の内部被曝がいちばん不安である」
っていう答えがいちばん多かった。
でも、それは我々が調査した
実際のデータとは大きく異なるんです。
福島で暮らしてらっしゃる方に関していうと、
相対的には、内部被曝よりも、
外側から浴びている線量のほうが少し多いんです。
内部被曝はほとんどないので。
でも、そのことは、あまり知られていない。
糸井 なるほど。
早野 しかし、だからといって、このことを
ひたすら声高に言えば解決するかっていうと、
もう、そうではなくなってしまっている。
糸井 ああ、そうですね。
早野 だから、ぼくらにできることは、この先も、
「データとしては、そうではないんですよ」
ということを、淡々と出していく。
徐々にみなさんに浸透するまで出し続けていって、
それを、報道の方にもわかってもらう。
そういう段階にあるのかなということを思ってます。
糸井 心配な人は、放射能があろうがなかろうが、
気にされているということですよね。
それは、生活している人にとっては
ちっともおかしいことではない。
早野 はい。だから、
「測ってみたところ、数値としては大丈夫です」
ということを言い続けるしかない。
糸井 けっこう、問題のレンジは長いですね。
早野 時間がかかると思いますね、これは。
説得して、っていう感じではないんですよね。
だから、データを出し続けることによって、
納得できる人の割合がちょっとずつ増えていく。
本当にじわじわだと思うんですけど、
そういう感じだと思います。
糸井 ぼくは早野先生と年齢が同じぐらいなんですけど、
いまふり返ると、
ぼくらの小学生時代の記憶の中には、
原爆に対する無知、無理解っていうのが、
すごくあったような気がするんです。
早野 ああ、そうかもしれません。
糸井 ぼくが10歳のときには、
もう原爆が落ちてから13年経っているわけですけど、
正直にいって、その段階でも、あの場所に
原爆の影響がまだ生々しく残ってるような、
ちょっと怖ろしいイメージを
ぼんやり持ってたように思うんです。
つまり、なんというか、
正しいのはこうだよっていうのを
知らないままだったというか。
だから、福島の件については、イメージじゃなくて、
いま正しくはこうなんだっていうことが
きちんと伝わればいいなと思います。
早野 そうですね。
ほかの国のことですけど、
かつてチェリノブイリで事故がありましたよね。
そこで何が起きたかっていうことに関して、
完全ではないけれども、様々なデータがあるんです。
そこから今回、我々が学んだことって、
やっぱり、たくさんあるんです。
だから、今回、福島で起きたことを、
正しい形で、何十年か後にも伝わる形で、
ちゃんと残しておくというのが
非常に大事だと思うんですよ。
糸井 そうですね。
早野 そういうこともあって、
最近、ぼくは、専門でもないのに、
福島県の内部被曝の状況をホールボディカウンター
(whole body counter:
 体内に取り込まれた放射性物質の量を
 体外から測定する装置。全身測定器)
で調査して論文に書くという、
まぁ、暴挙をしまして。
糸井 はい、それについてもうかがおうと思ってました。
え、あの調査と論文は専門外なんですか?
早野 専門ではありません。
あと、人を対象とした論文を書く時は
「倫理審査委員会」の承認が必要なのですが、
その届け出の方法すら、知りませんでした(笑)。
どうしてあの論文に関わったかというと、
もともとは、福島の医療の現場で苦労している
若いお医者さんたちがいて、その人たちから
ツイッターを通じて相談を受けていたんです。
お医者さんっていっても、
ほんとに町の内科の先生とかで、
放射線についてのこととか内部被曝に関しては
ぼく以上に専門外だったりするんです。
そういう人たちからいろいろと相談されて、
やっぱり現場に行かないとわからないこともあるので
現場に何度も行きながら、
彼らの駆け込み寺としてサポートをしていた。
そういう立場で2011年の夏くらいから
内部被曝の検査に関わっていったんです。
そこまでは、まぁ、お手伝いですね。
糸井 そうですね。
早野 それが、なぜ柄にもなく、
論文を書くまでになったかというと、
今年、これから夏にかけて、
放射線影響に関する
国連の科学委員会っていう人たち、
UNSCEAR
(United Nations Scientific Committee
 on the Effects of Atomic Radiation)
っていうんですけど、
それが福島原発事故に関するレポートを
まとめることになってるんです。
糸井 国連の人たち。
早野 はい。
このレポートというのがなかなか重要で、
たとえば、我々がチェルノブイリのことを学ぶとき、
何を読むかっていうと、まず最初に、
事故から2年後の1988年に出た
国連の科学委員会のレポートを読むわけです。
それを読んで、なるほど、
チェルノブイリの事故っていうのは
こういう状況だったんだなって知るんです。
糸井 そのレポートにあたるものが、
これから国連の科学委員会によって
書かれるわけですか。
早野 そうなんです。
で、彼らは、どういうものを材料にして
そのレポートを書くかっていうと、基本的には、
「英語で書かれている査読つきの論文」を
参考にしていくわけです。
「査読つきの論文」というのは、
著者の主張をそのまま載せるのではなくて、
複数の専門家にその論文をチェックしてもらって、
そこに書かれていることは大丈夫か、
人が読んだときに誤解を生まないように
書かれているか、ということを確かめたものです。
そうして、大丈夫だといわれたものが、
論文として雑誌や専門誌に掲載される。
それが、アカデミックな世界での
慣行になっているんです。
糸井 そのようにしてオーソライズされたものが
「査読つきの論文」というわけですね。
早野 そうです。
国連の科学委員会の人たちは、
そういう「査読つきの英文の論文」を
参考にしてレポートを書いていくわけです。
ところが、福島の内部被曝に関して、
我々がやったような、
ホールボディカウンターでの検出数値をもとにした
英文査読つきの論文がいくつあるかというと、
ぼくが書く前は1本しかなかったんです。
それは、南相馬の坪倉正治先生が去年書かれた論文で、
「南相馬における内部被曝は思ったよりも少ない」
「1ミリシーベルトを超える実行線量の人はいない」
という内容なんですけど、それ1本しかないんです。
福島県内のホールボディカウンターって
いまや50台もあって、
のべ二十何万人検査を受けているはずなんですけど、
その数値を元にした論文って1本しかないんですよ。
で、これはちょっとまずいな、と。
国連の科学委員会の人たちが
福島の現状を記録するレポートを書くときに、
ホールボディカウンターでの測定結果を
誰も論文に書いてなかったら、
委員会の人たちが何をどう書くかわからない。
糸井 なるほど、なるほど。
早野 そんなふうに、「まずいな」と思ったのは
今年の正月休みのときだったんです。
で、ぼくが思ったのは、これって、もしかしたら、
「ぼくが書かないと誰も書かないのかな?」と。
糸井 (笑)
早野 もう、締切が迫ってることもわかってました。
数ヵ月先にレポートがまとめられてしまうとすると、
それまでに論文として出なきゃいけない。
それで、うちの母ちゃんと会話のない
正月を過ごすことになりました。
糸井 論文にかかり切りだったわけですね(笑)。
早野 はい(笑)。
といってもぼくひとりの力ではなくて、
事故のあと、わりとはやい時期から
ぼくが相談に乗っていた
若いふたりの先生と協力して書きました。
ひとりは、さきほど話が出ました
南相馬の坪倉正治先生。
もうひとりは、福島県立医大の宮崎真先生。
おふたりといっしょに、いままで見てきた
3万人を超えるデータをもとに論文を書きました。
これが、福島の内部被曝に関する
やっと2本目の論文ということになります。
糸井 ああ、論文を書かれた経緯がよくわかりました。
これから夏にかけて国連の人たちが書くレポートが
まさに福島の歴史として残ってしまうんですね。
早野 そうです。
「2013年の国連の科学委員会のレポートには、
 こう書かれている」というのが、
福島の歴史として残ってしまうわけですから、
やはりそこにはちゃんとしたデータが出てないと。
いまの福島の実態とかけ離れた変なものが
載っちゃったらイヤじゃないですか。
だから、専門外ではあるんだけど、
絶対にこのタイミングで
論文を書かないとまずいと思ったんです。
あと、まぁ、さっきも言いましたけど、
「いまぼくが書かないと絶対誰も書かない」
ということに関しては確信がありましたので(笑)。
糸井 なるほど。
2013-06-25-TUE