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糸井 |
作陶に関わるだとか、
特別展「細川家の至宝」の歴史の部分だとか、
いろんなものを拝見していると、
細川さんって、どこに本籍のある方なんだろう、
ご自分の意識は
どこにおありになるのかな、と思うんです。
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細川 |
あまりないんですね、どこにも。
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糸井 |
例えば学生時代は学生をやってらして、
その後、新聞社にお勤めですよね。
記者をやってらっしゃった。
それを本籍だという考え方もあるし。
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細川 |
それもあまり本籍じゃなかったと思います。
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糸井 |
そして熊本県知事になられて
総理大臣も。
今では気配も感じませんけれども。
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細川 |
どうもそっちは少し間違った道に
行ったんじゃないかと思うんですよね。
私は人と話すことも苦手で、
だいたい、人嫌いなんですね。
パーティなんかに出るのは
まったく苦手なほうなんですよ。
政治をやってる人たちは、
いろんな集会に、呼ばれもしないのに
厚かましく出ていきますでしょ。
私はまったく苦手でしてね。
私が行くと本当に言いたい放題言って、
票を減らしてくる。
家内のほうが話もはるかに
説得力があるもんですから、
殆ど家内のほうに押しやって、
行ってもらっておりました。
ちょうど知事をしてるとき、
九州新幹線の誘致というのが
九州の各県でたいへん大きなテーマで。
みんな県庁なんかに幟を立てて、
「九州新幹線実現」と
はちまき巻いてやってたんですよ。
私は、「そんなに急いでどうするのか。新幹線なんか要るか」
とわめいたりしてたものですから、
議会で弾劾決議をくらっちゃって。
ある時、福岡で九州新幹線の期成同盟の
大会というのがあって、
全九州の国会議員、知事、
県議、市町村長さん達、
5、6000人集まりましたかね。
私は徒党を組むのが苦手なものですから、
はちまきも巻かず、
しかし壇上には一応、
他の知事さん達と一緒に座っていました。
そしたら九州新幹線誘致期成同盟の当時会長だった
山中貞則代議士が開口一番、
「ここに一人、けしからん奴がいる」
って、私のことを指さして言ったんです。
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糸井 |
初っ端から?
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細川 |
ええ。初っ端から。
そしたら熊本の県会議員、
みんな新幹線賛成の連中ばっかりですけど、
うちの殿さんが罵倒されたと言うんで
壇上に跳び上がってきて、
山中さんにつかみかかろうとして
大混乱になったことがあるんですね。
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糸井 |
なんかマンガみたいですね。
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細川 |
私も熊本では、
「異風者(いひゅうもん)」、
「もっこす」と言うんでしょうか、
人が右と言うと左と言いたくなるとか、
ちょっとそういう気質があって。
──ですから、何に向いてるかというのは、
ちょっと私自身もわからないんですね。
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糸井 |
例えば上野の展覧会に
僕らが初めて行くと、
この膨大な時間を細川さんは
背負ってるんだろうかと思うんです。
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細川 |
私はあまり背負ってるという自覚がないんです。
全然ものを集める趣味もありませんしね。
祖父や父は収集家でしたから、
ものすごくコレクションというものを
大事にしましたし、
意欲を持っていましたけれども、
私は全然そういう気がないもんですから。
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糸井 |
ご自分で集めたものは一切ない?
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細川 |
一切ありません。
二、三、湯河原の家の
床の間に掛ける軸とか、
白洲さんと一緒に旅行したときに
奪い合った壺とか、
自分のところに置いて普段使うものばかりで。
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糸井 |
重要文化財ではないわけですね。
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細川 |
ではなくて。
ですから、ここを父から引き継いだとき、
国立博物館に寄付しちゃおうかとか
いろいろ思ったんですけども、
先祖から預かってきたものですから、
とりあえず引き継いでいかなきゃいけないかなと思って。
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糸井 |
先祖から預かってきたものって、
一般の家ではたかが知れてるんで
責任も感じなくてすむと思うんですね。
いざとなったら売ってしまえばいいやとか。
古本1冊でも、
たぶんそんなもんだと思うんです。
けれどもそれが自分の家にあって
形式としては所有してるのに、
躓いて欠けてはいけない、
そういうようなものが
暮らしの中に、あるわけですよね。
僕は、その気持ちになったことが
ないものですから(笑)。
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細川 |
でもあまり私、
それを意識してないもんですから
わりに気楽にやってると言いますか、
荷物を背負ってるという感じは
全然ないんですね。
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糸井 |
それは代々「荷物を背負え」っていう
教育は受けないで済んだ、ということですか。
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細川 |
そうです。
言われたことはありませんね。
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糸井 |
そうですか。
たしかに就職先が新聞社だったということを
考えたりすると、たぶんお父さん、
おじいさんがある意味、
楽な育て方をなさったのかな。
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細川 |
そうですね。
でも新聞社に行ったのは、
父や祖父もずいぶん反対しましたんですよ。
「そんなヤクザみたいなものに」と言って
とくに父はすごく反対しましたね。
祖父のほうは熊本からも
池辺三山(さんざん)とか、
鳥居素川(そせん)とか、
わりに立派な新聞記者の方々が
たくさん出ておられますから、
それも悪くないかなと
最終的にはそう言いましたけれども、
父は最後まで反対でした。
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糸井 |
その後、議員さんになるときも同じですよね。
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細川 |
勘当されてしまいましたからね。
なんとか辞めさせようという気持ちが
あったんだと思いますね。
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糸井 |
ご自分はその背景にある目に見えない
「殿様です」という力みたいなものは?
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細川 |
全然感じたことがないですね。
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糸井 |
それはものすごく恵まれていますよね。
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細川 |
そうでしょうか。
よくそういうお尋ねをいただくんです。
「いろいろ背負ってるから大変でしょう」
と言われるんですけど。
だけど、そんなこと、思ったことないんですね。
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糸井 |
はい、そんなふうにも見えないので、
訊く人も困ると思うんです。
「大変ですね」と言ってる人も、
大変そうにあまり見えていない(笑)。
自分がホームにしてる場所というのは、
今のご家庭、或いはろくろを回す、
あの場所(湯河原)なのでしょうか。
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細川 |
そうですね。あの場所ですね。
あれは祖父母が保養のために建てた
母屋は32坪ぐらいしかない、
本当に小さな家なんです。
そこにあった植木小屋とか、
そんなものを改造して、
窯場と工房とをつくりましたので、
ちょっと広くなってますけども、
もともと本当に小さな場所です。
手を伸ばすとなんでも届くような空間が
一番落ち着くので。
‥‥高校時代の終わりぐらい、
大学のときには明らかに、
「なんとかここに来て住んで、
終の棲家にできたらいいな」
と思ってました。
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糸井 |
あっ、既に?
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細川 |
ええ。
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糸井 |
じゃ、本当に夢が叶ったんですね。
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細川 |
そうですね。たまたま祖母が亡くなったときに
私がそこを継ぐことになったものですから。
祖母(近衛千代子さん)は
86で亡くなったんですが、
畑をして菜園をして、
本当にのんびりと暮らしていました。 |
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(つづきます) |