細川 湯河原の家には、
とてもきれいな枝垂桜がありましてね。
山桜も2本あるんですけど、
私も花守人(はなもりびと)として、
何か小さな菜園でもやって
読みたい本を読んで、
気楽にいこうと思ってたんです。
知事を辞めたときから
そう思ってたんですけども、
行革審に引っ張り出されて、
日本新党だということになって
ちょっと変な方向に行っちゃったものですから、
おかしくなってしまいましたけど。
糸井 いわば政治とかの世界って、
熱を持つ、熱するタイプの仕事に思えるんですね。
逆に細川さんがおっしゃられていることは、
だいたい冷やしていく。
細川 そうですね。焼き物でも書でも、
そうかもわかりませんね。
糸井 熱を入れても、結局冷やしていって、
いわば平熱です。
二つのことを、細川さんの中で
両方経験なさってる。
細川 私、自分でもよくわからないんですよ。
面白いもんだなと思うんですけど、
例えば政治の世界のときは
1日に10か所も15か所も
街頭演説をするわけですね。
渋谷でやって、銀座でやって、
新宿でやってと、回るわけです。
ですが、私は先にお話ししたように、
人前で話すことは
非常に苦手とするところなんですね。
今考えると、あんなところで
よく恥ずかしげもなく
街頭演説をしたなと思います。
‥‥車に上るまでは、
嫌でしょうがないわけです。
ところが話し出しますと、
どんどん人が増えてき乗ってくる。
はじめ500人ぐらいだったのが
1000人になり、2000人になり、
膨れてくるわけですね。
3000人ぐらいになると
止まらなくなってくるわけです。
ここははじめから30分って決められてるのに
1時間でも1時間半でも
ぶちまくっちゃうわけですね。
それはどんどん熱が
上がっていってるわけです。
そういうところがありますのでね。
糸井 何かが降りてくるんでしょうか(笑)。
細川 「ゾーンに入る」
っていうんですかね。
面白いことなんですね。
自分でもわかりません。
今、そんなこと、考えられもしませんけど、
本当にその頃は
まだあまり下熱作用が働かなかったと言いますか。
糸井 間に知事が挟まってたというのは、
とても大きいような気がするんです。
細川 私に勘当を言い渡した父も
さすがにそのときだけは、
知事公舎に来たんです。
会話もその時はちょっと復旧した感じだったんですよ。
知事はやっぱり行政官ですから、
政治家とはちょっと違うということでしょう。
父も実際昔、知事選に
引っ張り出されそうになったことが
ありましたし。
知事を終えたら
それで政治の世界はおしまいということで、
私は今、護光が窯をつくってる阿蘇のほうに、
小さな畑を買いまして、
お百姓さんのまねごとをしたいと思っていた。
そう公言していましたので、
県の職員や記者クラブの人たちが
畑道具一式を送別で記念品として
みんなが贈ってくれました。
そんなつもりでいたんですが、
ちょっと行き道を間違って、
行革審のほうへいってしまった。
そこで答申を書いたら、
何も政府が尊重しない、反故にされた。
それで日本新党旗上げだと言うんで、
頭に来てのぼせて
それをドン・キホーテみたいにやってしまった。
糸井 そうか。ポジティブに
あっちに行くんだというよりは
押し出されたかたち‥‥。
細川 そういう感じです。
糸井 ご先祖からの流れをしたら、
それこそ武の道もあれば、文の道もあれば、
どちらでもない道もきっとあったでしょうけど、
結局、生きてきた土地があって、
お一人の中に全部が入ってしまっている。
細川 そうですね。
結果的にはいろんな道を
あっち行きこっち行きしながら
歩いてしまったことになりますね。
今、私は山居暮らしとか
晴耕雨読とか言ってますけど、
原稿を書いたり、
ここ(永青文庫)にも
出てこなきゃなりませんし、
国立博物館でなにかあると言えば、
そこにも顔を出さなきゃならないしとか、
けっこう雑用が多くて、
なかなか晴耕雨読どころじゃないんですね。
だから今の目標とするところは、
少しでも早く湯河原で
草取りに専念するということですね。
糸井 今も僕が余計なことを聞いてますけど(笑)、
雑用と言ったら失礼ですが、
晴耕雨読に表現されるようなことでは
“ない”ことが、
5割以上あるんですか。
細川 もう今はそれどころじゃないですね。
今はだいたい7割がそうじゃないでしょうか。
糸井 付け焼き刃でたくさん
細川さんがお書きになったものとか、
おつくりになったものを見て、
逆に新鮮な、ある驚きがあったんですね。
それは何かと言いますと、
ご自分の考えを熱く語ったり、
こうしたいと望んだりという部分が
細川さんには、基本的にはない。
「こういう熱い人がいたのを、私は好きだ」とか、
すべて間接話法なんですよ。
細川 そう言われてみますと、そうかもしれませんね。
糸井 敢えて似ているとすれば、
僕はそこのところが一番似ている部分なんです。
俺はこうしたいんだというのはあまり必要なくて、
「あれはいいぞ」というようなことを
繰り返しているような気がしたんですよ。
細川さんは、
例えばおつくりになってるものでも、
おつくりになってるものそのものを
語るというよりは、
もっといいのをつくった人がいるということを、
俺は知ってるよだとか。
細川 そういうことかもしれませんね。
わりに間接話法が多いんですね。
糸井 それは政治、
本当は向いてないですよね。
細川 そうですね。
ジャーナリズムの端くれに
いたということもあるのかもしれませんけど、
やっぱり客観視して見るという癖が
あるのかもしれませんね。
糸井 おじいさんがたくさん
集めていたということについて、
「おじいさんが集めていた」
ということを言えば、
集めていたということに対する
漠然とした肯定ができる。
しかし、一つずつの物事について
漠然とした肯定をきれいに集めていくと、
これは僕かもしれないな、とは?
細川 私は収集は全然趣味ではないので。
あまり僕だとは思っていませんけども、
集めたことは悪くないし、
それはそれでなんとか守れるだけ
守ってかねばと思っています。
自分にはそういう趣味はないということだけ、
はっきりしたうえで。
糸井 で、守ってきていますよね。
細川 はい。
糸井 だから必ず一つ、
またげるような垣根を
一つずつ、一つずつ
つくっていって──ああ、
庭師とかにも近いのかな。
細川 そうですね。はじめ庭師に
なりたかったもんですからね。
糸井 庭師って、自分の庭を
つくってるわけじゃないですもんね。
細川 私、盛んにそう言ってたもんですから、
護光は、はじめ庭師になっちゃったんですよ。
陶芸をやる前に3、4年やってたのかな。
庭師にしては彼は
あまり植木のことを知りませんけども。
糸井 そこまで自分の欲望だとか
意思だとかというものを、
間接で語っている方というのを、
僕もあまり知らないもんですから。
思えば、赤瀬川(原平)さんとか
(南)伸坊なんかも、
わりにそういうところがありますね。
細川 そうかもしれませんね。
糸井 僕、友達にどうも
そういう人が多いのかもしれないなと思って。
つまり“はちまき”できない(笑)。
細川 そうなんですよ。
はちまきして敬礼するというのが
どうもダメなんです(笑)。
(つづきます)


2010-05-19-WED