立命館アジア太平洋大学(APU)副学長・今村正治+糸井重里
はたらく場所はつくれます論。


第4回
反対運動もあった。


糸井 反対みたいなことは、なかったんですか?
今村 ありましたよ。
糸井 そうですか。
今村 誰だって「大丈夫か?」と思いますよね。

でも、やはり最後は
大分県と別府市から「来てほしい」と言われて
きちんと
バックアップしてくれたことが
大きかったです。

つまり「お金の心配」が、当座なかった。
糸井 当座。
今村 ええ、当座。

でも、大学ってできたらおしまいじゃなく
続けていかなきゃいけないわけでしょう。
糸井 ええ、そうですね。
今村 「続くのか?」という心配はありました。
だって、あの山の上ですから。
糸井 ハラハラしますよ。
今村 「いつまでも学生が通って来てくれるのか?」と。
糸井 だってそもそも、
その学生に会ったことないんですもんね。
今村 立命館大学と言えば、
まあ、日本では知られていますけど、
海外ではほとんど知名度がない。

しかも、開学前、
学生募集のために海外を回っているときは
まだできてないんです、建物が。
糸井 ああー‥‥(笑)。
今村 だから「工事現場の写真」と、
分譲マンションのパンフレットみたいなね、
「ハトが空を
 自由に飛び回ってるような絵」を持って
「ここに大学ができるんです」と(笑)。
糸井 信用しづらい(笑)。
今村 詐欺じゃないかって言われたことも‥‥。
糸井 ある?
今村 ありますね。

だから、一期生で入学してくれた学生たちは
本当に「フロンティア」ですよ。
糸井 そうかそうか、そうですよね。
今村 まだ見たことも、聞いたこともない、
行ったこともない大学に‥‥。
糸井 まだ「建ってもいない大学」に。
今村 しかも、海外から来てくれたんですから。
大したもんです、本当に。
糸井 それも、東京とか京都とかならまだしも、
その国の教科書には
きっと「別府」なんて載ってないですよ。
今村 アフリカから来たある学生は、
本気で「騙された」と思ったらしいです。

だって、別府の街には
温泉がえりのじいちゃん、ばあちゃんが
洗面器を持って歩いているんですよ。

通学バスは
小高い山の上へ向かって登っていくし‥‥。
糸井 うん、うん(笑)。
今村 つまり、
「ケニアの都会っ子から見れば別府は田舎」
なんですよ。
東京の摩天楼をイメージして来たのに。
糸井 はー‥‥。
今村 だから「本当に、よく来てくれたな」と。
糸井 でも、そういうふうに学生が来てくれる
前の段階で、
今村さんは「特命社員」みたいにして
別府に住むわけですよね。

「大学をつくるから、別府行ってくれ」
と言われて。
今村 ええ。
糸井 それも、ぼくは実際に見たんですけど、
「薬屋の2階」なんですよ。
今村 はい、セスナ薬局という薬局の2階。

「セスナ機」が看板になっているんですが、
その2階に、
「大分別府事務所」をつくりました。

そこで、県庁や市役所の人たちと
毎日のように、ミーティングをしたんです。
糸井 もう、いちいちおもしろいでしょ?(笑)
今村 もう、やることが、山ほどありました。

学生は集めなければならない、
大学の建物は建設しなければならない、
制度も必要、
カリキュラムも必要、先生も必要‥‥。
糸井 学生だけじゃなく、先生もいなかったんだ。
今村 ええ。先生も公募したんです、世界中から。
糸井 どうです、おもしろいでしょう?

先生も、学生もいなくて、建物もなくて、
温泉街の薬屋の2階だよ?(笑)
今村 反対運動があったのも、無理もないかもしれません。

だって、学生の半分が留学生というのは
田舎の温泉街には、
なかなかのインパクトですから。
糸井 いなかったわけですものね、そもそも。
今村 未知の存在に対するアレルギーというか、
「治安が悪くなるんじゃないか」
とか、まあまあ、いろいろ言われまして。
糸井 なるほど。
今村 これはもう八方塞がりだなあって思うことも
しょっちゅうでしたが、
でも、味方になってくれる方々というのが
やはり、いるんですね。
糸井 そうですか。現地のかたで?
今村 はい。そういう方々のちからもお借りして、
徐々に徐々に、前へ進んでいったんです。

<つづきます>


2013年の秋に
ほぼ日全員で見学したときに聞いた
APUこぼればなし。


「本気で『騙された』と思ったらしいです」

あるアフリカの学生が別府に来たときに
本気で騙されたと思った、と
今村さんはおっしゃっていますが、
実際にはどうだったのでしょうか。

2期生、ケニアから2001年に別府に来た
ユジーンさんのお話です。

「えぇと、日本は、
 すごくおもしろいと思っていて、
 行ってみたいと思っていて。
 飛行機乗って、飛行機の中で
 『どんなところでしょう?
  どんなこと見るんでしょう?
  どんな人と会うんでしょう?』
 と思って。別府に着いて、鉄輪まで来て
 よし着いた、と思って、バスが動き出して、
 登って(笑)。
 あれ? 山だ、と思って、
 なかなか着かないなぁと思っていて(笑)。
 APUに着いてはじめて
 都会じゃないんだ! と、気づいたんです。
 それから徐々に、ああ、家族が遠いんだ、
 何かあってもすぐに帰れないんだ、と思いました。
 最初の夜は、すごいホームシックでした。
 で、翌日から4年間、
 イケイケだったんですけれどもね(笑)」

ユジーンさんは、ケニアの大都会から
やってきた方だったのです。
4年間、どうしてイケイケになれたのかは
また別の、このコラムでお伝えします。

(このコラムもつづきます)



2014-03-07-FRI



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