記念館の建物に入って右に常設展示室があります。
展示室の入口では、伊丹さんのやさしい笑顔と
「やあ、いらっしゃい」の文字が、迎えてくれます。
中 村 | 常設展示室は、伊丹十三という人を 1から13までのコーナーに分けて 見てもらおうということになりました。 これは宮本さんをはじめ、 息子さんの万作さん、万平さん、玉置さん、 それからこの記念館の影の立役者である 新潮社の松家仁之さんたちとの話合いの中から 決まってきたことです。 伊丹十三って人はいろんなことをした人ですよ、 っていうことを 知ってもらおうって思ったわけですね。 |
糸 井 | 1から13。 |
中 村 | 漢数字で行くと、 最後が13(十三)になるんです。 |
糸 井 | ジュウゾウ! |
中 村 | そう! ジュウゾウになる(笑)。 もう無理してでも13にしよう、 ということでね(笑)、 「確か最初は商業デザイナーだったよね」とか、 みなでいろいろ話し合って決めました。 |
糸 井 | うまくいきましたね。 |
中 村 | うまくいった! それで13が、映画監督っていう、 伊丹さんの最後の仕事に 流れ込んでいく感じになっています。 1から12までは、伊丹さんにとって、 なんて言うのかな、 映画監督になるまでの助走みたいな感じだった ような気がするんで、 それを展示で表現したんですけどね。 |
糸 井 | うん、うん。 この「いらっしゃい」の手描きの文字は? |
常設展示室の入口。 |
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中 村 | これはね、伊丹さんの直筆の文字をいろいろ 組み合わせて作ったんです。 |
糸 井 | ああ、そういうことですか。 |
中 村 | 息子さんの池内万平さんが作ってくれたんです。 さあ、最初に、このリストを持っていただいて。 みなさん、どうぞ(手渡す)。 このリストと一緒に見ていけば 展示の内容がよくわかります。 |
糸 井 | ありがとうございます。 (伊丹さんの描き文字を見て) ははぁ‥‥こういう文字と、 声って、やっぱり近いものなんですね。 |
中 村 | はい。伊丹さんはすっごく、 字がいいじゃないですか。 |
糸 井 | はい、はい。 |
中 村 | 字がいいから、それをなんとか活かそうと。 そして、写真もすごくいい写真ばっかりで。 |
糸 井 | なるほど。 |
玉 置 | じつは、整理しきれていない資料を全部見て、 中村さんが展示内容を決めてくださったんです。 |
糸 井 | えっ(笑)。 |
中 村 | 資料がね、細かいものを入れると 約8万点あるっていうんです。 その中からどれが展示できるか、 全部、選び出したんです。 膨大な作業量でした。 |
糸 井 | その仕事、建築家じゃないなあ! |
中 村 | ほんとにね。 我ながらやり過ぎだと思うんです(笑)。 |
玉 置 | 時間がないから、 もう本当に整理しながら 展示を決めていく、っていう形で。 |
中 村 | 常設展示室はそんなに広くないですけど、 なるべく実物を 数多く見せていただこうということですね。 |
伊丹十三さんは映画監督伊丹万作さんの長男として
1933年に生まれました。
このコーナーには子供時代から上京するまでの写真や、
絵やノートが展示されています。
利発な子供で、
英才教育のためのクラスに入るだけあって、
緻密に描かれたノートには驚かされます。
糸 井 | おお‥‥結構ちゃんとした 写真が残ってるんですね。 |
中 村 | そう、すごくちゃんとしてるんです。 |
糸 井 | すごいことですね。 恐ろしいな。 |
中 村 | やっぱりお父さんが伊丹万作さんだからですよね。 写真をちゃんと撮っている。 普通にはああいうふうに撮れないですよ。 |
糸 井 | ありえないですよね。 |
中 村 | ありえないと思う。 |
糸 井 | 「写真」になってますもんね。 |
中 村 | ライティングもすごいじゃないですか。 |
糸 井 | すっごいですねえ。 |
中 村 | ねえ、すごいでしょう。 |
糸 井 | 驚いたな、こりゃ。 親の作品だったんだ。はあ〜。ありえないね。 |
中 村 | 小学校のときのノートも、 ちゃんと全部残っている。 普通残ってないですもんね。 |
糸 井 | ないですねえ。 |
玉 置 | それは、お母さんですよね。 |
糸 井 | お母さんですよね。 よく「へその緒をとっておく」 みたいな言い方するけど、 そういうことなんでしょうね。 昔の人はやりたがったんですね、結構。 |
中 村 | そうなんでしょうね。 でも、そのことだけじゃなく、 「この子はきっとすごい子になる」 っていうふうな予感もあったんじゃないかなあ。 |
糸 井 | いやあ、写真、すごい。 ライティングしてるし それこそすごいレンズのカメラですよ、全部。 参ったな。 これは‥‥映画ですよね。 |
中 村 | ええ。もう映画です。 |
糸 井 | 驚いた。 大人になってからのは 親じゃない誰かが撮ってるから、 写真がゆるい(笑)。 はあ、驚いた。 のっけからびっくりさせますね。 |
中 村 | ノートもね、すごいですよね。 伊丹十三は観察力の人ですものね。 全てにおいて観察力と表現力の人ですよね。 |
玉 置 | で、この野菜の絵が小学校1年の時に描いたもの。 お父さんの万作さんが自慢して、 中村草田男さんにあげちゃったんですって。 で、ずっと誰も知らなくて、 宮本信子さんと僕が中村草田男さんのお嬢さんのところに 5年前にお邪魔した時に、 三女の弓子さんが、これを出してこられて。 これは中村家ではすごく大事な お父さんの恩人の息子さんが描いた絵だ、 って、引き継いでこられたんです。 それを、宮本さんに下さったんです、その場で。 |
野菜の絵。機会があったら実物をぜひ、見てください。 |
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糸 井 | へえ〜! |
玉 置 | それが建築家の中村さんと会う直前のこと。 記念館にとっては、 すごくシンボリックな存在の絵なんです。 |
糸 井 | そうですね。 |
中 村 | 茄子が光ってるんです。 |
玉 置 | 何色も色を重ねて描いて。 |
糸 井 | ですよね。光、入れてますよね。 |
中 村 | この茄子のテカりはすごいですよ。 いやな子ですよね(笑)。 |
糸 井 | 周りの子は困りますね。 |
中 村 | 困ります(笑)。 |
糸 井 | これ、レタリングしてる。 おかしいよなぁ。 |
中 村 | 全部全部自分で製本してね。 |
糸 井 | 「池内義弘」というのが‥‥ |
玉 置 | 伊丹さんの、戸籍名です。 池内家では男子の名前には 義の字を入れるのが代々の習わしで、 お祖父さんの意向で戸籍はそうなっているんですが、 万作さんはそれを受け継ぐつもりがなく、 ふだんは「岳彦」と呼んでいたそうです。 「タケちゃん」とか。 |
糸 井 | いや、もうはなからびっくりさせられますね。 |
(つづきます) | |
2009-10-07-WED |
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図版:トリバタケハルノブ