小中学校時代は
音楽にコンプレックスを持っていたという
伊丹さんですが、レコードを聞き込み、
楽器を演奏するようになってからは、
それを終生の友とするようになります。
ここには、愛用のヴァイオリンや、
すり切れるほど使い込まれたヴァイオリンの教則本、
レコードコレクションの一部などが展示されています。
中 村 | 伊丹さんは「音楽」が すごくお好きだったんですよね。 |
玉 置 | 私も湯河原のお宅にレコードが バーっと並んでるのを見たんですけど、 セレクトはどうやってやったんですか。 |
中 村 | もう入る量は決まっちゃうんでね。 ぼくの好きなレコードを選んじゃいました(笑)。 それより、展示の中で 「どうやって見せたらいいか」で悩みました。 |
糸 井 | この蓄音機で人を集めたんですもんね(笑)。 |
「二 音楽愛好家」の文字には蓄音機のイラストがそえられています。 |
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玉 置 | 万作さんの形見ですね。 下宿で一人暮らしをしていた時代には バッハやモーツァルトを聞きながら 本を読んでいたそうです。 それで友人たちのたまり場になったんですよね。 |
中 村 | そう。そうらしいですね。 その光景が目に浮かぶようです(笑)。 |
糸 井 | その話もおもしろいですよね。 魔法の小箱だ。 |
1954年、高校を卒業して上京した伊丹さんは、
商業デザイナーとなります。
最初は、雑誌の車内吊り広告や目次レイアウトをてがけ、
のちには書籍の装幀も仕事とし、
明朝体を書かせたら日本一、と呼ばれるまでになります。
自著のカバーデザインをはじめ、
監督になってからは台本のデザインにまで
こだわっていました。
中 村 | 伊丹さんは、きっと デザイナーとしてやっていても 第一線で活躍してたでしょうね。 |
糸 井 | 古びないタイプのデザインですね。 |
中 村 | そうそう。オーソドックスで、 奇をてらわないデザインですからね。 「伊丹明朝」といわれるレタリングを見れば、 そのことがよくわかります。 |
糸 井 | ああー。 『お葬式』の字で佐村憲一くんを泣かせた(笑)。 |
中 村 | そうそう、 大いに泣かせたらしい。 |
糸 井 | 泣かせたよ、そりゃね。 個性出てますね、やっぱりね、こう見ると。 |
中 村 | そうですね。 この表紙の、この絵も 伊丹さんによるものですし。 |
糸 井 | 恐れ入りますなあ。 あ、『小説より奇なり』の表紙、 これは斬新だったんですよ。 僕らは、その出た時に見てるんだけど、 やっぱりある種の、こう、 胸騒ぎさせるものがありましたよね。 |
1960年、27歳で伊丹さんは俳優デビューします。
ここではデビュー当時の伊丹さんと
1982年、NHK大河ドラマ『峠の群像』で吉良上野介を
演じた時の写真をメインに、
ハリウッド映画出演時の写真や
プログラムを展示しています。
中 村 | 俳優時代の写真をたくさん使おうと 思ってたんですが、 すっごい高いんですよ、使用料が(笑)。 それもう全部レイアウトし終って あとは写真を借りるだけってところで 交渉を始めたら高くて、結局、使えなかった。 それもね、毎年費用がかかるんですからね。 |
玉 置 | そうなんですよ。 |
中 村 | 年間で、いくらいくらなの。 地代みたい(笑) |
糸 井 | そうですか! |
中 村 | これはたまらないっていうんで。 |
玉 置 | 予算内で展示できるものを 中村さんが苦心して集めてくれました。 |
糸 井 | 本人が使うのにね。 |
中 村 | ねえ、まったく、 どうなってんだろう。 |
(つづきます) | |
2009-10-08-THU |
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図版:トリバタケハルノブ