1981年から、それまでの人生を総合するもののように、
伊丹さんは映画監督という職業にはまり込んでいきます。
社会的でありながらユーモラスで、毎回ヒットとなった、
伊丹監督作品は、全部で10編。
ここでは凝って作った台本や
自らすべて描いたという絵コンテを見ることができます。
中 村 | で、最後が、十三になります。 |
糸 井 | ああー。そうか、そうか! |
中 村 | フィルムがいっぱいありましたから、 ガラスの表面に貼りつけて うしろから照明を当てて展示しました。 |
糸 井 | なるほど、なるほど。 ここでまた、中村さんが出るんですね。 |
中 村 | 出てますかね(笑)。 |
糸 井 | 出ますね、やっぱり。 中村さんを出しちゃうんだなあ、同時に。 しょうがないですよね(笑)。 |
中 村 | しょうがないなあ。 どうもスイマセン(笑) それで、ここの場所に ポスターとパンフレットを。 |
玉 置 | ちょっと中村さんは映画には冷たいんです! なんて言ったりしてね(笑)。 |
中 村 | そんなことないですよ(笑)! |
玉 置 | 僕ら、伊丹さんのこと、 これしか知らないから、逆に。 |
糸 井 | そうか、映画しか知らない人には、 この時間が長いんですもんね。 |
玉 置 | このカチンコ、 湯布院の映画祭で 『お葬式』が上映されたときに、 チャリティーオークションで 伊丹さんが出したやつを僕が落札したの。 後で怒られちゃった。 |
中 村 | 関係者が買っちゃまずいと(笑)? |
玉 置 | でも欲しかったんです。 それに、その頃僕の意識は 素人ですから。 |
糸 井 | で、形式的にはここに寄付してあるわけですね。 |
玉 置 | そうです、はい。 |
ほぼ日乗組員 | これ、台本ですか。 |
中 村 | そうですね。台本です。 |
ほぼ日乗組員 | 台本の表紙ってこんなふうに 凝るものなんですか。 |
糸 井 | 伊丹さんは、凝ってますね。 |
玉 置 | 処女作の『お葬式』の時からね、 こういうふうにしましたからね。 別にお金が入ってからじゃなくて。 |
中 村 | 予算のない時からやってたんだから すごいですね。 |
玉 置 | それで、表紙も、改稿するたびに 何回も作り直してて。 その度に結構本当に、お金が。 |
中 村 | かかったでしょうねえ、 ハタ目にはムダなお金が、ねえ(笑)。 |
糸 井 | ヒヤヒヤですね。 |
1933年5月15日に生まれ、
1997年12月20日に亡くなるまでの、
64年間の年表が
展示室の壁を囲むように書かれています。
多くのことをなした伊丹さんの人生を、
1年1年、じっくりご覧ください。
糸 井 | そして、この年表も。 |
年表は、展示室のすこし高いところにあります。 |
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中 村 | これはね、裏に全部照明が仕込んであって、 展示室の全体照明にもなっているんです。 |
糸 井 | ‥‥参ったな。 亡くなられたの、64でしたか。 |
中 村 | そう。早かったですね。 |
糸 井 | ひえ〜。まずいな(笑)。 そんなに先じゃないな。 |
中 村 | そんなに先じゃない。 もうすぐだよ、糸井さんもぼくも。 |
糸 井 | どうしよう! |
中 村 | どうしよう? もうあと4年しかないぞ(笑)! |
糸 井 | あれだけたくさんの仕事をして、 まだ64ですか。 |
中 村 | そう。ねえ? |
糸 井 | ひっどいなあ〜。 あんまりだな、そりゃ。 |
中 村 | あんまりだね(笑)。 |
糸 井 | はい。そうかー。イタタタタタ。 伊丹さんは五十代が 映画の季節なんですね。 |
中 村 | そうですね。 |
糸 井 | なんか、踏ん切ったんですね。 もう俺も50だしと思ったんでしょうね。 年表に、はっきり見えてますね、それが。 |
中 村 | 51歳で『お葬式』ですもんね。 |
糸 井 | そうか〜。 |
玉 置 | クランクインした時は、 ちょうど51になった。 |
糸 井 | だから、その前に動いてるわけですよね。 |
玉 置 | ご飯食べながら、「もしかしたら映画を」 っていうのがあって、ちょうど1年ぐらいです。 |
中 村 | ああ、そうですか。早かったですね。 |
玉 置 | 早かったですよ。 |
(つづきます) | |
2009-10-14-WED |
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図版:トリバタケハルノブ