糸井 | ああ、話しているうちに だんだん思い出してきました。 ぼくが最初に伊丹さんと会ったのは、 「モノンクル」(1981年創刊) という雑誌の仕事で 呼ばれたときなんですけど、 そのときって、もう、 ぜんぶ、キャスティング済みだった。 |
玉置 | ああ、「モノンクル」。 |
糸井 | はい、伊丹さんが編集長を務めた‥‥ なんていうんでしょう、 非常に分類にしづらい雑誌ですよね。 心理学とか、思想とか、文化とか、 伊丹さんの趣味が雑多に入ってる雑誌。 そこでぼくが頼まれた仕事っていうのは、 マンガの原作だったんですけれども、 「誰とやるかっていうとね‥‥」って言って、 伊丹さん、急に絵本を出してきて、 「絵はこの人に頼みたい」って、 ぼくの知らない、ちょっとリアルな 絵を描く人の名前を挙げたんですね。 「この人と、あなたがいっしょに」って。 もう、ぜんぶ決まっちゃってるから、 ぼくはその人と会う必要さえなくて。 |
玉置 | (笑) |
糸井 | 昆虫の絵とか描いてる人なんですよ。 もう最初から決まっていて、 雑誌のほかの企画もだいたい決まってた。 他のページではこういうことやろうとしてるって ざっと説明してくださいましたから。 |
玉置 | 糸井さんはそれをそのまま やってくださったんですか? |
糸井 | だって、ぼくは、超若造ですから(笑)。 ふつうに対等に話をしてくれるという態度だけで とってもうれしいわけです。 しかも、いわば枠組みのところだけ決まってて、 こうやりなさいってことはまったくなく、 あとは結果を出しなさいっていう プロデュースのしかたでしたから。 |
玉置 | ああ、わかります。 伊丹さんって、自分の指示だけを ずっと待ってるような人は 絶対に使いませんでしたから。 |
糸井 | あ、そうだったんだ(笑)。 |
玉置 | それは、助監督とか、 自分の下につく立場の人にも、 同じように言ってました。 「自分で考えろ!」と。 アイディアを出してくる人じゃないとダメ。 |
糸井 | なるほど。 そういう意味では自由にやった記憶があります。 もう、内容は忘れちゃったけど(笑)。 どんなマンガだったかなぁ‥‥。 (「いま、ありますよ」と聞いて) えっ、あるの? 見たい、見たい。 ちょっと持ってきてくれる? なんであるの? へぇ、武井さんが。 当時買ってたんだ。ああ、そう。 |
糸井 | はぁーー、ああ、これだ。 あらためて見ると、すごいなぁ。 |
玉置 | すごいですね。 |
糸井 | ああ、オレがやったのは、これだ。 |
玉置 | 当時、おいくつだったんですか。 |
糸井 | 1981年ですから‥‥28年前、32とかです。 いやぁ、32歳って、 いろんなことできるんだなぁ(笑)。 |
玉置 | (笑) |
糸井 | いま30そこそこの子見てるとなんだか、 すごく坊やに見えるけど、はぁー‥‥。 こんなことしてたんだ‥‥。 |
玉置 | このページの原作を。 |
糸井 | ええ、そういう役目でした。 こういうお話にするっていう 構成と原作をぼくが考えて、 このマルス松岡さんが絵にして‥‥。 |
玉置 | ふーん。いや、すごいですね、これは。 |
糸井 | やっぱり、忘れてる、内容も。 こんなにページ数があったんだ。 いや、いやいやいやいや‥‥ 自分が驚いた(笑)。 |
玉置 | (笑) |
糸井 | あの、このつくり方って、ひょっとしたら、 ぼくの頭の中に残ってたのかもしれないです。 というのもぼくは、 ほぼ日刊イトイ新聞をはじめるときに、 「こういうことが実現したらいいな」 っていう、もくじをつくってたんですよ。 それは、コンテンツのジャンルから、 読む人の対象年齢から、めちゃくちゃなんですけど、 「でもオレはやりたいんだよ!」っていうもので、 こういう人をこう使って、タイトルも仮につけて、 メモのかたちにもしてあったんです。 実現するかどうかは深く考えてませんから、 人に見せても笑われるくらいの 豪華メンバーなんですけどね。 でも、「できたらすごいのになぁ」って、 ぼくは思ってた。 そしたら、けっきょく、それ、 ぜんぶ実現しちゃうんですね。 |
玉置 | あぁーー。 |
糸井 | のちの「ほぼ日」でぜんぶ実現したんですよ。 大瀧詠一さんと話すとか、矢沢永吉さんを呼ぶとか、 落語をもっと広く伝えるとか。 それは、その「理想のもくじ」を ぼくが持ってたからなんですよね。 |
玉置 | そうですね。 |
糸井 | その、ぼくの「理想のもくじ」と、 この「モノンクル」が相似形に思えるんですよ。 きっと、当時の伊丹さんの 「こういう人とこういう人で、 こういう記事ができたらいい」っていう思いが この「モノンクル」になってるんだろうなと。 心理学をこう掘り下げてみたい、とか。 こういう間口ならおもしろがられるのに、とか。 |
玉置 | ええ、そうだと思います。 |
糸井 | いやぁ‥‥しかし‥‥ もう、28年も前なんですねぇ。 |
(続きます) |
1981年(昭和56年)、 この雑誌は、 創刊号の表紙にはこんなコピーが書かれています。 この雑誌をつくるときに、 ほかにも赤瀬川原平さん、タモリさん、YMOの3人、 ▲多種多様な方が登場しました。 そんなふうに華々しく立ち上がった そして最終号となった6号では、 「内容とイレモノがあっていない」という無理が次第に強くなってきました。「モノンクル」は理論的な雑誌ですから、どうしても読む雑誌にならざるをえない。それをパラパラと見て楽しむためのイレモノにいれたのがどうも失敗であった。じっくり読みたい人と、パラパラ見たい人と両方に異和感を与えてしまった。ヨシ、それでは思いきってイレモノを変えてみよう、というので次号から「モノンクル」は「読む雑誌」というイレモノの中で花を咲かせてみることにします。新しいイレモノ第一号のテーマは「笑い」どうぞおたのしみに。 つまり、リニューアル宣言がなされたのですけれど、 じつは、当時高校1年生だった私(シェフ)、 ちなみに『mon oncle(モノンクル)』の記事は (「ほぼ日」シェフ)
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