高平 |
‥‥ところでさ、こういう話もいいけど
ジャズのことも話しといたほうがいいんじゃないの? |
── |
ああ、そうですね!
あんまりおもしろかったので、つい‥‥。
じゃ、高平さんとジャズの出会い、みたいなところから
あらためて、お聞きしてもよろしいですか? |
高平 |
植草甚一さんというジャズ評論家が
雑誌『スィング・ジャーナル』で書いていた文章が、
大好きでさ。
で、植草さんが紹介しているレコードを追っかけたり、
ジャズ喫茶に行ってリクエストしたりしてたんだ。 |
── |
はじめて買ったジャズのレコードって‥‥。 |
高平 |
チャールズ・ミンガスの『Oh Yeah』ってやつ。
‥‥いま思うと、つまんないアルバムだったなぁ。 |
── |
あ、そうなんですか!?
はじめて買ったアルバムだけに
思い入れがありそうですけど‥‥。 |
高平 |
つまんなかったね、いまからすると。
クオリティ的にも、サウンド的にも。 |
── |
そのアルバムを買ったのは、なぜなんですか? |
高平 |
たまたま、古本屋で見つけたんだよ。
廃盤レコードを大量に売っててさ。
「ミンガス」って名前は
植草さんの評でよく見てたからさ、買ってみたんだ。
そしたら、なんだか奇妙きてれつな音楽で‥‥。
そうやっていくうちに、
ミンガスの素晴らしいアルバムは
どのあたりなんだとか、
だんだん、わかってくるんだけどね。
そうやって、中三から高二ぐらいまでのあいだに
80枚くらいになってたなぁ、レコード。 |
|
|
── |
当時は、いまみたいに
「ジャズって敷居が高そう」なんて意識は
なかったんですか? |
高平 |
そうだね‥‥たぶん、なかったと思うよ。
クラシックよりはわかりやすいしさ。
中学三年から高校生くらいの時期って、
知識欲があるでしょう。
近代美術館に行って、
「小津安二郎」とか「黒澤」を
かたっぱしから観たりとかもしたんだけど、
ジャズの場合も、
とにかく、ジャズの喫茶店に通いつめて。 |
── |
高平さんのまわりには
ジャズ同好の士、みたいなおともだちが
たくさん、いらっしゃったんですか? |
高平 |
いや、そんなにはいなかった。
だって、当時の世間は「ビートルズ」だから。
クラスのなかでも、数人だよね。
三橋美智也が好きなやつと、
同じくらいの比率だったんじゃない? |
── |
ははあ。三橋美智也さんと‥‥。
でも、ジャズが輝いていた時代だったことは
たしかなわけですよね? |
高平 |
うん、つまりね、
まだ「サブカルチャー」としてのちからを
持ってたんだよ、ジャズが。
ミュージシャンだって、
毎年のようにアルバム出してたし。
ジャズ喫茶だって、そこらじゅうにあった。 |
── |
なるほど‥‥。
じゃ、高校生の高平さんは
「植草甚一」と「レコード」と「ジャズ喫茶」で
ジャズに親しんでいったわけですね? |
高平 |
うん‥‥高円寺にジャズ喫茶ができたときには
あまりにもレコードが少ないから、
60枚くらい、俺が持っているやつを貸したことがある。 |
── |
ジャズ喫茶に貸すって、すごいですね(笑)。 |
高平 |
だんだんレコードがそろってくると
少しずつ返って来るんだ(笑)。
でも「ジャズ喫茶のオヤジと親しくなる」って、
当時のジャズファンの夢というか、
なんか目標みたいなところがあったんだよね。
「ちょっと、高平さん、
こんなアルバムが入りましたよ」なんてさ。 |
── |
でも、ジャズ喫茶でありさえすれば
どこでもいいってわけでもないですよね、やっぱり? |
高平 |
うん、いろんな店があったからね。
俺は高校三年のとき、ぜんぶ回ったんだ。
都内のジャズ喫茶、ぜんぶ。 |
── |
え! どのくらいの数なんですか、ぜんぶって!? |
高平 |
うーん、100軒以上はあったかなぁ。 |
<続きます> |