高平 |
晶文社のアルバイトでさ、
『ジャズの前衛と黒人たち』っていう
植草さんの本のポスターを、貼ってまわったんだよ。
都内100軒くらいのジャズ喫茶に。 |
── |
当時はジャズ喫茶のピークですよね? |
高平 |
うん、全国でいうと、
300軒くらいはあったんじゃないかな。 |
── |
岩手県の一関に「ベイシー」という
有名なジャズ喫茶があるじゃないですか。
伝説的な店のようにいわれていますけど、
なにが、すごいんですか? やっぱり「音」とか‥‥? |
高平 |
まあ、音はいいよね。
もともと「蔵」なんだよ、ベイシーって。
だから、壁が厚い。
ようするに、大きなスピーカーを置く壁としては
すごくいい構造してるんだよ、「蔵」って。 |
── |
オーナーの菅原さんというかたも、
オーディオ評論をやっていたりして‥‥
有名人というか、文化人なんですよね。 |
高平 |
ただね、他にそういう店が
なくなっちゃったってこともある。
新宿にあった「木馬」とかさ、
音も最高で、オーナーも有名で‥‥なんて店は
いっぱいあったんだよ、昔は。 |
── |
なるほど‥‥。
あと、よく語られる
ジャズ喫茶の「マナー」って、あるじゃないですか。
あれって、どれくらい本当なんですか? |
高平 |
いや、どのくらいといわれると困るけど、
たとえば、
レコードの演奏中にしゃべってたら
怒られるような店は、たしかにあったよね。 |
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五〇年代から六〇年代は
ジャズのレコードを聴かせる喫茶店がまだ全盛だった。
どの店もリクエスト中心で、
大型スピーカーから大音響でジャズを聴かせる。
話していると
「レコード演奏中はお静かにお願いします」と
書かれたボードを持ってくる店もあった。
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ー晶文社刊
高平哲郎『ぼくたちの七〇年代』p39 |
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── |
そういうマナーって
どこかで、だれかが始めたわけですよね? |
高平 |
うーん‥‥。
「喫茶店で音楽を聴く」っていう最初の形態は
「名曲喫茶」だと思うんだよね。
コーヒーを飲みながら、クラシックの名曲を聴く、と。
「モーツアルト」なんて店もあったし、
「ベートーベン」「田園」なんて店もあった。
そこからの発想だと思うんだよ、ジャズ喫茶って。 |
── |
ジャズ喫茶を知らない世代からすると、
なんとも不思議というか‥‥。
「ともだちと行っても
ひとことも喋らないで出てくる」とか
「メニューにはコーヒーしかなくて、
それがひたすらまずい」とか、
いろいろ、語られてることがあるじゃないですか。 |
高平 |
でも、俺からしてみるとさ、
名曲喫茶で
静かにクラシックを聴くっていうのはわかるんだけど、
なんでジャズ喫茶で
「シーッ!」なんていわれなきゃならないんだ?
という気も、するんだよね。
だって、そもそもジャズってのは
奴隷として新大陸に連れてこられた黒人労働者の
ワークソングだったわけだからさ。
「♪かあちゃんのためなら、えーんやこーらっ」
‥‥じゃないけど、
線路をつくったりしてるときに
口ずさんでた歌が、ベースにあるわけだから。 |
── |
日本独特の文化なんですね、ジャズ喫茶って。 |
高平 |
アメリカ人が、ライブハウスなんかで
酒を飲みながら聴いてるのと
あきらかに、態度としてちがうよね。
日本のジャズ喫茶の文化ってのは。
つまり、ジャズを聴くことが
「高尚なこと」とされちゃったというか、
ひとつの「スタイル」になっちゃったんだよ、日本では。
でも実際は、高尚でもなんでもないんだよ。 |
── |
なるほど‥‥。 |
高平 |
俺なんかが中学高校のときなんて、
「なんで威張って聴いてやがんだ」みたいな意識は
まだ、あったからね。 |
── |
だんだん、様式化していってしまったわけですね。 |
高平 |
うん、だから新宿の「DIG」って有名店が
「ジンライム」と「ジントニック」を置くようになったら、
他の店もマネしてメニューに載せたり、
「DIG」が店のなかに「古い時計」を飾ったら、
日本全国のジャズ喫茶に
「古時計」が置かれるようになったり‥‥さ。
そういう時代だったんだよ。 |
<続きます> |