志の輔 |
近松先生、さきほど
旧暦は平均一ヶ月日付が遅くなってる
っておっしゃってましたが、
平均、なんですよね。
新暦にあてはめてみると、
その日付って毎年同じじゃなくて、
ずれるんですよね?
そうすると、例えば、
鮎の解禁日っていうのが、
いつも同じってのはおかしくないですか?? |
糸井 |
関東だと、新暦の6月の何日だかに、
毎年やってますよね。 |
志の輔 |
ってことは、鮎のほうがもう新暦に
合わせちゃってるんですか?
沖縄の魚とちがって。(笑) |
近松 |
鮎のお話は、
沖縄のお話とはちょっと違うところが
ありますね。
沖縄のほうの話は、
単純に「旧暦の日付はだいたい新暦の1ヶ月遅れ」
というところから来てますよね。
あくまでも、日付の部分のお話です。
でも、鮎の話は、ちょっと違うんですよ。
鮎の解禁日の場合は、
「このくらいの季節になったら、
充分に成長しているし、
鮎を釣ってもいいよ。」
ということですよね。
つまり、日付よりも「季節」のことと
考える必要がありますね。
旧暦の日付は、月の満ち欠けにもとづくものですから、
季節をはかる目安にはあまりならないのですよ。
季節は、あくまでも太陽の動きによるものです。
旧暦‥‥つまり太陰太陽暦の「太陽」の部分です。 |
糸井 |
あれ? ちがうんですか? |
近松 |
はい。
季節というのは、地球と太陽の関係ですよね。
地球と太陽の位置関係で、暖かさや寒さが決まります。
お月様がいくら光っていても、暖かくなりませんよね。
太陽の角度が高くなれば、
熱量が多くなるので、暑くなる、
ということなんですよ。
だから、だいたい梅雨の前ころに鮎が解禁になる、
という「季節」によることなら、
毎年新暦の6月に解禁になる、
ということでもいいんですよ。
けれどもしも、江戸時代から、
仮に旧暦の6月の3日に
鮎が解禁になったとしましょう。 |
糸井 |
まあ、そういうことは
なかったとおもいますけどね(笑い)。 |
近松 |
(笑)
そうですね。仮にそうだとして。
そのまま新暦にあてはめると、
平均して、6月3日という日付は、
平均すると旧暦よりも1ヶ月ほど
前倒しになってしまうので、
これはあくまでも平均で、
旧暦の同じ6月3日の日付でも、
新暦に直すとプラスマイナス
2週間ほどの範囲で動きますから
鮎にしてみれば、おかしなことになる、
という具合なんですよ。
これが、沖縄の話と同じ質のことです。
6月の3日っていうのは、
旧暦では必ずしも毎年同じ時期にはなりません。
でも、新暦のほうは「太陽暦」ですから
季節と日付は毎年毎年同じになりますよ。 |
糸井 |
はあ、なるほど。
ではつまり、魚はどういう立場でいるんだろう? |
近松 |
魚は、
五感で感じてるんじゃないでしょうか(笑)?
まわりの環境で、水温が上がったから、
動き出しましょうか、というように
本能的に動くというか。
つまり、水温が上がるというのは、
太陽の仕業ですから。 |
志の輔 |
なるほどね。 |
近松 |
さらに、沖縄の話でいうと、
その「たくさん魚がとれた日」というのは、
潮の干満の関係ということも
あるかもしれませんね。
例えば、その魚は何月かの大潮の日に
産卵をするために、浅瀬に集まる、だとか。
その枕の話からはちょっと
それてしまいますけど。 |
糸井 |
潮はお月様ですね。 |
近松 |
お月様と太陽の関係なんです。お月様だけじゃない。
お月様と太陽と地球の位置関係によってですから。
旧暦のメリットは、月の満ち欠けがわかる、
ということでもありますから、
潮の満ち干もわかるということなんですよ。
今日は新月だから、大潮だ、とか。 |
志の輔 |
先生、
夏至と冬至は旧暦ですか? 新暦ですよね。 |
近松 |
新暦というか「太陽暦」といったほうが
ぴたっとくるんではないでしょうか?
夏至と冬至は、昼間が一番長いか、
短いかということですよね。
ということは基準は「太陽」ですね。
もちろん、昔の暦でも夏至はあったんですけども、
旧暦の日付にすると、
それが、平均で約10日、
閏年になると約1ヶ月
ずれていきますね。 |
糸井 |
夏至と冬至は太陽との関係ですから、
当然今の新暦でピタッとくる。 |
志の輔 |
ああ、ピタッと。 |
近松 |
他にも、春分、秋分は。 |
糸井 |
ピタッとくる。 |
近松 |
全部地球と太陽の関係ですから。 |
志の輔 |
あ、そうか、太陽の関係ですものね。 |
近松 |
農業の暦なんかは、
やっぱり太陽暦です。
季節が重要な意味を持ちますからね。 |
糸井 |
二十四節気も太陽暦ですね。 |
近松 |
そのとおりです。
江戸時代は、一般の人も、
太陰太陽暦ばっかり使ってたというわけじゃなくて、
実際には太陽暦も使っていました。
カレンダーこそ、太陽暦じゃないんですけども、
二十四節気とか、雑暦の二百十日とか、
二百二十日とか、八十八夜とか、
これ全部立春からの何日目ということですから。
立春というのは、太陽暦ですからね。 |
糸井 |
太陽暦のなかにある
行事といったらおかしいけど、
そういうイベントを、
「日付」で考えようとすると、
昔と今とずれちゃって
わかんなくなっちゃう、ということですね? |
近松 |
そうです。そうです。
昔の暦は、それが今のように6月20日前後、
ということじゃなくて、極端なことを言うと、
夏至はたいてい5月に来るのですが、
時として前の月の末か
次の月の始めになる時がある、
ということなんですよ。 |
糸井 |
そうか。普段ベースにしてて、
目に見てるのは月で、太陰暦なんですね。
で、その日付と「太陽暦」の季節がずれて見えるから、
暦として、わざわざ日にちを
発表しなきゃなんなかったんだ。
じゃ、俺らは今も、
昔の暦で太陽暦に基づいたものは
全然ずれてないんだ。
そこに、あと、
月の概念を入れていけばいい、
ということなんですね。 |
|
志の輔 |
その、月の概念ってのが入ってるから、
バイオリズムとかそういうことにひっぱられて、
なんとなく、
「旧暦のほうが、自然」ということを
思うんでしょうね。きっと。 |
近松 |
そうかもしれませんね。 |
糸井 |
なんとなく昔の人のリズムに
ぴたっとあって、
しかも身近だったのは
お月様のほうな気がしますね。 |
近松 |
強くお月様だと思いますよ。
外にでれば、月はいつでも変化をしていますし、
それで「今日は○日だな」って
わかる仕組みが旧暦ですから。 |
志の輔 |
そんなふうに月と自然に暮らしていたんですね。 |