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糸井 |
今ね。俺はリリーさんは
この本を書いただけで
ほんとは終わってると思うんですよ。
たぶん販売促進をやることに対して
あんまり乗ってないんじゃないかなって
予想してるんだけど(笑)。 |
リリー |
はははは。 |
糸井 |
もう俺はやったじゃんかって
思いたいところで、
たまたま仕事柄、バッヂ作ることや
本の販促を想定できるような仕事をしてたんで、
「じゃあ、自分のことだしやるよ」
と、言ってるけど、
きっと、本人は書けばよかったんでしょうね。
プレミアグッズのバッジとライター。
リリーさんは何かとライターを作るのだが
それはマネージャーのBJ氏が
ここで書いてるように
BICライターマニアだからでもある。 |
リリー |
そうなんですよね。
これ、書き終わるまでに4年かかってて。
書き終わってようやく、法要が終わったみたいな、
肩の荷が下りたみたいな気分になるんですけど。
糸井さんがおっしゃる通り、
終わってからの作業の方が
また違うしんどさっていうんですかね。
※発売直後から山のようなインタビューや
サイン会を行ったリリーさん。
最新のサイン会のスケジュールはこのページで
知ることができる。 |
糸井 |
ですよね。 |
リリー |
今まで宣伝っていうものに
あんまり積極的じゃなかったけど
今回は本の腰巻きに周りの方からいろいろ
コメントにご協力をいただいたりして、
これまで自分の本でそういうことは
やったことがないんですけど。
とはいえ、今回の本とこれまでの本が
あんまり違うとは僕は思わないんでね。 |
糸井 |
あんまり違うんですよ。
あのね、何が違うかっていうと、
どんなに変なことしてても
「その変なことが君んちの隣で起こってても、
大丈夫、俺が正気だから」
と今までは書いてあったんですよ、
だけどこの本は、隣で起こってると
わりと困るなって気にさせるんですよ、
そこではたぶん距離感が違うんじゃないかなあ。 |
リリー |
うーん。
何か気恥ずかしさが増していきますね。
でも、今までと、書いてることは
さほど変わらないと思うんだけど‥‥。 |
糸井 |
今までと内容は変わらないけど、
書き方が違うんですよ。
リリーさんの本で今でも忘れられないのはさ、
玄関のところでクソするやつの話で、
そういうの見てたお前もお前だよ
てことじゃないですか。 |
リリー |
今までは自分とこの小さい小窓から
隣のやつがクソしてることを見て笑ったけど。 |
糸井 |
そうそうそう(笑)。 |
リリー |
今はその小窓の外側に俺がいて、
そこから俺がクソしてるのを
みんなに見られてるっていう。 |
糸井 |
そうそうそうそう。
それを覚悟しちゃったっていう意味では、
お母さんが亡くなったのは相当なことで。
僕は散文詩みたいに読んでたんだけど、
すごいことですよね、
人が1人亡くなるってことはね。 |
リリー |
そうですね。 |
糸井 |
それがBJだろうが、
俺であろうが、
親がどう思っていても
俺は俺っていう生き方をしてるつもりだろうから、
そこんところを書きたくもないということが
たぶん、あるわけですよね。
それをリリーさんの場合は、
書きたくもないところに
つっこんでいっちゃってるから
今までギャグにしてた、いいネタだったのが、
ギャグじゃなくなりますから。 |
リリー |
そうですね。 |
糸井 |
出版社が一生懸命やってくれるとか
そういうのが理想ですよね。
だってね、これね、
みんな褒めてる人が
「そうなんや。俺も生きにくいんや、今は」
って言ってるんですよ。
腰巻きにコメントを寄せてる
久世さんも仲畑君もそうだし。
フィクションは遠くにありて思うもので、
近所にそういう話があると困るっ!
という時代に近所にあるよってことだから。
※久世さん=演出家の久世光彦さんのこと、
仲畑君=コピーライターの仲畑貴志さんのこと。
ちなみに仲畑さんはこの本に
「矢沢永吉『成りあがり』以来だね。
友達に読んでほしいと思う本。」とコメント。 |
リリー |
読んでくださった方も、
みんな結局俺の話っていうか、
自分の親子関係に
フィードバックしていくじゃないですか。
これ例えばネエちゃんとかだったら、
すごい後悔を残すネエちゃんと
後悔を残さない人がいる。
だいたい後悔を残さず別れてる人って
もう会っても何にもしてあげられることはないし、
散々もういろいろしたなっていうことなんで。
恋愛関係なんかだと
そういう別れ方ができるけど、
でも親子関係みたいなのって
絶対どうあっても後悔が残るって思ってるから。
だからどの人も、
どういう年代の人でも
そこでは平等に悔やむ
っていう感じじゃないですかね。
(つづきます!) |