- 糸井
- 日本には芥川賞と直木賞という
分け方がありますよね。
- 又吉
- ああ、はい。
- 糸井
- ただの賞の名前なんだけど、
その分け方があるせいか、
小説にはその2タイプがあるように
みんなが勝手に思ってますよね。
たとえば刑事が犯人を追ってどうのこうの
という内容だったら、
「あ、直木賞ね」みたいな。
哲学的要素があったら、
「あ、それはどっちとも言えないな」みたいな。
一方、海外のアメリカ文学とかだったら、
「おもしろいの? いいの?」だけですよね。
日本だと、又吉さんが書くものは直木賞じゃなくて
「芥川賞かな」って人は思ってしまうんです。
書かれているときは、そういうことも
特に意識されなかったんでしょうか。
- 又吉
- 一応、『文學界』という媒体があるんですが、
ぼくも純文学の定義がわからないし、
その定義に従順であるよりは、
まず第一におもしろいものを書こうと。
ぼくは普段、劇場に立っているんで、
お客さんの顔が常に見えてるんです。
小説を書くとなっても、
そのお客さんたちを排除したものを
書くことは絶対ないなと。
- 糸井
- ああ、なるほど。
- 又吉
- それを踏まえたうえで、
自分が読んできた、いろんな好きな小説の
影響も絶対受けてるし。
だから、「純文学とはこうや」みたいな気持ちは
あんまりないんです。
- 糸井
- そういうのも全部よかったですねえ。
読んでて気持ちよかったもん。
ぼくも素人のままで
言うしかないんだけど、
小説にも流行みたいなものがあるんです。
自分なりに自由に書いているつもりでも
その時代の流行に合わせているわけで、
破滅型の人が出てきてウケてると、
「俺のほうがもっと破滅型だ」って
やつが出てくるし‥‥。
- 又吉
- (笑)
- 糸井
- やっぱり何が人の心に届くかを考えると、
時代の影響を受けざるを得ないわけです。
又吉さんがテレビでしゃべってるのを聞いてると、
「ああ、このへんのことを
おもしろがってるんだな」
というのがわかるし、やっぱり
ある時代を背負っているわけです。
だから又吉さんの小説も、
「どれどれ」っていうような思いで
読みはじめたんです。
ぼくが自分で『文學界』を買ったのって
これがはじめてじゃないかな。
- 又吉
- 本当ですか。
- 糸井
- うん。友達が書いたからというので
送ってもらったことはあったけど、
多分、買ったのははじめてだと思う。
ほかの芸人さんが書いた小説も知ってるんだけど、
それは映画化しやすいものだったり、
自叙伝みたいなものだったり、
だいたい見当がつくものなんです。
又吉さんの場合、
「俺がどうしてきた」という話を
書くとは思えないんで、
どうするんだろうと思って、
ハラハラしながら読みはじめました。
で、「師匠」と友達になりそうになった
シーンあたりから、安心して読めて。
- 又吉
- あ、そうですか(笑)。
- 糸井
- 小説の中で芸人さんが話している
カギ括弧の中のセリフについては、
又吉さんがずっとやってきたことなんで
安心感があるんです。
そこはプロですからね。
台詞に関しての安心感が引っ張ってくれているのに、
台詞だけに逃げないから、ものすごくおもしろい。
お笑い論でもあるし、
青春小説でもあるし、
読み終わるまで1回も止めなかったです。
- 又吉
- それは‥‥すごくうれしいです。
- 糸井
- トイレに行くときは
トイレに持って行きましたし。
- 又吉
- へぇー。
- 糸井
- 書くときはきっと、
止めて止めて書いてたんでしょう?
- 又吉
- そうですね。
- 糸井
- 読むほうは止まらなかったです。
又吉さんが小説を書いていると知ったときは、
芸能界で足の速いやつが
マラソンに本当に出ちゃったよ、みたいな
気持ちになったんです。
でも、なんとかなる可能性が
あるらしい‥‥あるかも? みたいな(笑)。
読んでみようと思ったのも、
ぼくが読み手としておもしろがれるのか、
「あれ? 全然おもしろくなかった」と言うのか、
そこも興味あって‥‥
だから、ぼくにとっても冒険でしたね。
- 又吉
- それはやっぱり糸井さんならではの
目線なんでしょうね。
- 糸井
- そうです。ぼくのキャラですね。
ぼくは人生を豊かにしてくれるものだったら
どんな嫌なものでも怖いものでも
取り入れるんです。
おもしろいものを見つけたくて
しょうがないから。
又吉さんの書いたものだって、
「俺は大嫌いなんだけど、あれは読むべきだ」
と言う可能性だってあった。
だけど、ぼくの好みに
ピタッと合っちゃったんです。
- 又吉
- あぁ、ありがとうございます。
- 糸井
- その理由の大きな一つは、
書き出しを花火大会の余興のシーンから
はじめたことじゃないかな。
あの冒頭のシチュエーションを
考えついたというのは、
あとの話を全部楽にしてくれましたねえ。
- 又吉
- そうかもしれません。
- 糸井
- 最初のシーンがすごく印象的で
ぼく、タイトルを間違って、
「『花火』って小説だけどさ」って
みんなに言ってたの(笑)。
- 又吉
- (笑)
うちの母親も、
「『花火』読んだよ」って。
- 糸井
- 言ってた?(笑)
実際はタイトルを『火花』にすることによって
主役2人の関係を象徴しているんだけど、
『花火』だと社会との関係が出ますよね。
売れないお笑いの人たちが、
花火の音にかき消されて
雑踏に溶け込まないようにしてるんだけど無理で、
突っ張ってるんだけどダメで、っていうシーン。
小説デビューも含めて何もかも全部が
あの冒頭のシーンに
入ってるんだろうなぁって。
- 又吉
- 実際には花火大会の余興で
お笑いをやったことはないんですけど、
似たようなことで言うと、
スキー場のゲレンデの
みんながすべってる傾斜の途中に舞台がある、
という状況を経験したことがあって。
- 糸井
- それ‥‥みんな通り過ぎちゃう(笑)。
- 又吉
- 「誰に向けてやってんねやろ」って(笑)。
いろいろ行きましたが、
スキー場より難しい環境はないです。
- 糸井
- スキーは、花火以上にすごいですね。
- 又吉
- 誰も止まらないですから。
- 糸井
- 止まらない(笑)。
言葉って流れちゃいけないものですからね。
ピンで留めていくものですからね。
それで、どうしたんですか。
- 又吉
- ネタをやるというよりは、
挨拶の部分を何回も‥‥。
- 糸井
- 「はい、どうも!」って感じで?(笑)
- 又吉
- 「来させてもらってます!」
みたいな感じでコンビ名だけ言って。
スキー場だけじゃなくても
商店街とか、人が通り過ぎていく環境は
けっこう難しいですね。
- 糸井
- ぼくはそういう状況は苦手なんですけど、
広告の仕事をしているときに
いつも思ってたのは
「お客さんは通行人だ」ということなんです。
広告を読みに来るという用事で
来るんじゃなくて、通り過ぎる人なんだと。
で、広告はその壁面に貼ってある
ポスターみたいなものなんだと。
その横を通り過ぎようとした人が
「なんかいいな」と言ったら最高だし、
ギョッとさせ過ぎるのは下品だし。
- 又吉
- あぁ、はい。
- 糸井
- 通り過ぎたんだけど、
「俺、いま何か読んだぞ?」って言って戻って、
「何これ」って言ってもらったら、
いちばんうれしいんです。
つまり、又吉さんが現場で踏んでた経験を
無理に脳内でやるんです。
ぼくの脳の中に町内会があって、
そこにポスターで言葉を貼って‥‥
というふうにイメージして、試す。
で、それに合格してはじめて
「この仕事のキャンペーンはこれです」
と言って企画として出せるみたいな。
- 又吉
- おもしろいですね。
そういうふうに考えると、
スキー場の中腹であっても
お客さんが止まってくれるかもしれないですね。
- 糸井
- うん、たとえば赤ん坊が
号泣してれば止まりますよね。
あと、裸になってみるとか、
その一瞬の本気さみたいなものを出すとか、
最初に止まってもらう「手」は
いっぱいあるとは思うんだけど、
プロはそれをまたできるかというのを
問われるんです。
- 又吉
- あぁ。
- 糸井
- たとえば、アマチュアな気持ちでいる人は、
裸になるの平気ですよね。
でも、プロの場合は裸になるというのを
またやれるかどうかなわけで。
一発芸でデビューした人たちって、
消えていく覚悟でスッ飛んできてるわけで、
プロは、
「あんなのやったら
来年はないから、俺はしない」って
思ってますよね。
- 又吉
- ああ、そうですね。
- 糸井
- そういう違いはあると思うんだけど、
いや、でも又吉さんのその落ち着き方は、
すごいなあと思います。
(つづきます)
2015-03-31-TUE