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三谷 |
僕は、基本的には脚本家ですから、
そんなに人と交わらなくても
なんとかやっていける仕事ではあるんですよね。
ただ、やっぱり自分の中だけにはいたくない。
だから小説家には絶対ならないんです。 |
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糸井 |
ああ、なるほど。 |
三谷 |
みんなと関わりを持っていたいんだけれども、
でも、ひとりでもいたい。
そういう意味からいうと、脚本家というのは
ちょうどいいポジションにある気がしますね。 |
糸井 |
しかし、監督になると、
そうも言ってられないですよね。 |
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三谷 |
監督は、ちょっとそうはいかないですね。 |
糸井 |
そこをなんとかしてるのがすごいなぁと思う。 |
三谷 |
それは、「監督という役」を
与えられたからできるんだと思うんですよね。 |
糸井 |
そうか。で、まずはスーツを着て。
だから、目印なんですね、スーツは。
「スーツの監督」って役なんですね。 |
三谷 |
そうですね。で、ずるいのは、
「脚本家、あるいは舞台の人間が映画を撮ってる」
という役を自分でつくっちゃったんです。
だからすごく楽なんですけども、
さすがにちょっと罰が当たるような気がして、
それで少し悩んでるんです。それでいいのかって。
まわりにいるのは、本当にもう、
映画のプロの人たちですから。 |
糸井 |
ああ。だから、今度の映画の中では、
映画のプロの人たちを
ものすごく丁寧に描いてますね。
弾着屋さんとか、クレーンの人とか、
雨を降らせる人とか。 |
三谷 |
はい。やっぱりすごいと思いますし、
単純にカッコいいですからね、プロの方。 |
糸井 |
わかりやすくいえば、
「映画と映画を支える人へのオマージュ」
といいたくなるようなところが
『ザ・マジックアワー』にはあふれてましたね。 |
三谷 |
好きなんですけど、
同時にちょっと気恥ずかしかったりするんです。
なんか照れくさいんですよね。
「映画愛」なんて言われると、恥ずかしい(笑)。 |
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糸井 |
でも、お好きなわけでしょう? |
三谷 |
でも、僕は外の人間ですからね。
実際に映画の世界にいる人たちは、
みなさん本当に映画のことを愛してらっしゃる。
僕もそうなのかっていうと、
やっぱりどこか「外の人間」っていう
意識があるものですから、
ちょっと冷めているというか、
客観的であるような気がするんです。 |
糸井 |
でも、そうやって少し距離があるからこそ
見えてくるものってありますよね。 |
三谷 |
そうなんですね。たとえば、まぁ、
ぜんぜんスケールは違いますけど、
ビリー・ワイルダーが
『サンセット大通り』を撮れたのは
彼自身がアメリカ人じゃなかったからだというのも
なにか似たようなものを感じますけど。 |
糸井 |
昔、聞いた話なんですけど、
ニューヨークをテーマにした有名な雑誌があって、
それをつくっている編集長というのは
ニューヨークから100キロ離れているところの
出身だったそうなんです。
個人的な話になりますけど、
僕は、東京から100キロ離れた
前橋というところに生まれたものですから、
その距離感というのはとてもよくわかるんですね。
都会って、こう、遠くに見えるんですけど、
自分のいる足もととは違うんです。
だからこそ、東京というのが意識できるんですが、
中に住んでると、ただの地元になっちゃう。 |
三谷 |
なるほどね。 |
糸井 |
三谷さん、たしか東京出身ですよね。 |
三谷 |
僕は世田谷です。 |
糸井 |
だから、「東京を表す」なんてことを
ぜんぜんしようとも思ってないですよね。 |
三谷 |
そうですね。意識してないですね。 |
糸井 |
してないですよね。
東京の子ってみんなそうなんです。
「東京」っていうことばを‥‥
なんていうんだろう、呑み込んじゃってる。
だから、わざわざ使うこともない。 |
三谷 |
うん、そうですね。 |
糸井 |
東京タワー、登ったことありますか? |
三谷 |
‥‥ありますけど、
僕にとっての東京タワーっていうのは
「蝋人形館」なんですよね。 |
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糸井 |
ああ、なるほど(笑)。
東京の象徴としてのものではなく。 |
三谷 |
そうですね。
タワーの部分はあまり関係ないですね。
蝋人形館、大好きだったんです(笑)。 |
糸井 |
いや、それは東京の人たち独特の
「都会の住み倒し方」だと思いますよ。
僕は三谷さんを見てると、
「ああ、東京の人だな」
って思うときがよくあります。 |
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(続きます!)
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