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糸井 |
映画とお芝居を比べると、
お芝居には、お客さんとつくり手のあいだに
「ここはこういうことでお願いします」という
お約束が成立すると思うんですね。
端的にいうと「その舞台は動かせない」というのは
お客さんとのつくり手の両方にとって
「お互い、困ったものですよね」っていう
暗黙の約束事ですよね。 |
三谷 |
まあ、そうですね(笑)。 |
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糸井 |
ところが映画にはある程度の自由があるから、
逆に、お客さんが「もうちょっと‥‥」と言ったら
「お応えしましょう」というふうに
細かくやらなきゃいけなくなる。
「わかんない」っていう人のために
「ちょっとクド目にやっときました」
っていうことだってあるだろうし。
で、そういう匙加減でいうと、
今回の『ザ・マジックアワー』は、
ポイントになるようなところを
「1回だけ言うからね」という感じで、
ピタッ、ピタッ、と当ててる気がしたんですよ。 |
三谷 |
ああ、そうですか。ありがとうございます。
でも、100パーセント計算したうえで
そうなっているかというとそうじゃなくて、
それが、ちょっと怖いことなんですよね。
僕の中で、なんの理論立てもできてないし、
ある種、感覚なんですよ。
じつはそこが、僕自身はとても‥‥ |
糸井 |
不安ですか? |
三谷 |
不安です。
僕はどっちかというと理数系の人間なので、
自分の中ですべて理屈で
把握できてないとイヤなんです。
だから、理屈でわからない部分が
たくさんある世界というのは、
とても不安なんです。 |
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糸井 |
でも、他人が楽しんでる三谷さんの要素って、
理屈の外側の部分なんじゃないかな? |
三谷 |
ああ、どうなんだろうなぁ‥‥。 |
糸井 |
それ、ご本人は絶対に
認めたくないかもしれないけど(笑)。
あの、三谷さんがピシッピシッとはめてる
理数系の部分で骨格はできると思うんです。
でも、たのしみの肉の部分というのは、
とっても感覚的だったり‥‥。 |
三谷 |
うーん‥‥それ、じつは逆もあるんです。
たとえば、僕がつくるお芝居とは真逆の、
はっきりしないお芝居があるとしますよね。
「理数系のパズルのようなもの」とは真逆の、
「世の中にはもっと割り切れないものがある」
というようなモヤモヤしたお芝居が。 |
糸井 |
はい、はい。 |
三谷 |
それを観に行ってみると、
やっぱりお客さんが笑うシーンはあるんです。
でも、お客さんが笑っているのは、
そのモヤモヤした中でも
もっとも理路整然としたところで
みんな、笑っているんですよ。
なんだ、けっきょくそれじゃないか、って、
思うことが僕はよくあるんです。 |
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糸井 |
うーん‥‥でも、あると思いますよ、
理屈の外のおもしろさが。三谷さんの作品に。 |
三谷 |
ああ、だから、
モヤモヤした中の理路整然がおもしろいように、
理屈で固めた中のモヤモヤことがおもしろいことも
あるんでしょうねぇ、きっと。 |
糸井 |
だって、人や天候や、場の空気なんて
ある意味「自然」ですからね。
絶えず自然と対峙しているようなものでしょう。 |
三谷 |
そうなんですねぇ。 |
糸井 |
もちろんそれだけじゃないと思いますけど、
三谷さんが想像している以上に
三谷さんは「計算外のこと」を
きちんと役立てているような気はしますね。
それを前提にするのは三谷さんとしては
気持ちが悪いことかもしれませんけど。 |
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三谷 |
あの、舞台をやっているときに
よく思うことなんですけど、
脚本を書いた人間が演出もやってる場合に
いちばんよくないことは、
もうそこに答えがあることなんですよ。
つまり、そのふたつを同じ人がやってるというのは
そこでその人は神様のようなものだから、
もう、ディスカッションにならないんですよ。
たまに、俳優さんたちが集まって
「このシーンは、こうじゃないか」とかって
議論になったとしても、
僕が「いや、違うよ」って言っちゃったら、
そこでもう正解が出ちゃうわけなんです。 |
糸井 |
ああ、なるほど(笑)。 |
三谷 |
だから、僕は言わないようにしてるんですけど、
でも、言ったら早く先に進めるっていうときは
答えを出しちゃったりするんです。
そしたら、たまに反論する人もいて、
「いや、オレはこう思う」
みたいなことを言うんですけど、
その時はもう
「僕がこう言ってるんだからこうなんだよ」
とねじ伏せる。
というか、そうなんだから。
ある意味論外。 |
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糸井 |
いや、そうですよね。
三谷さんからすると、大いに論外ですね(笑)。 |
三谷 |
ええ(笑)。
でもね、同時にそういうふうに決めることが
決していいことではないような気も
してたんです。 |
糸井 |
あの、これは、
僕がなにかをつくるときの考えというか
個人的な好みになりますけど、
自分でも「わからない」という状態で、
それをそのまま投げ出して
「みんなに任せます」っていう手法は、
僕はあまり好きじゃない。
これはまず、たしかなんです。 |
三谷 |
はい、そうですね。 |
糸井 |
でも、自分としては、
ギリギリここまで近寄ったんだ、というあたり。
わからないけれどこのへんかな、
ここにあるんじゃないかな、というふうに
書くっていうのはいいと思うんです。
やっぱり、表現って、不完全さとの戦いですから。 |
三谷 |
ええ。 |
|
(続きます!)
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