第6回 理屈でわからない部分。
糸井 映画とお芝居を比べると、
お芝居には、お客さんとつくり手のあいだに
「ここはこういうことでお願いします」という
お約束が成立すると思うんですね。
端的にいうと「その舞台は動かせない」というのは
お客さんとのつくり手の両方にとって
「お互い、困ったものですよね」っていう
暗黙の約束事ですよね。
三谷 まあ、そうですね(笑)。
糸井 ところが映画にはある程度の自由があるから、
逆に、お客さんが「もうちょっと‥‥」と言ったら
「お応えしましょう」というふうに
細かくやらなきゃいけなくなる。
「わかんない」っていう人のために
「ちょっとクド目にやっときました」
っていうことだってあるだろうし。
で、そういう匙加減でいうと、
今回の『ザ・マジックアワー』は、
ポイントになるようなところを
「1回だけ言うからね」という感じで、
ピタッ、ピタッ、と当ててる気がしたんですよ。
三谷 ああ、そうですか。ありがとうございます。
でも、100パーセント計算したうえで
そうなっているかというとそうじゃなくて、
それが、ちょっと怖いことなんですよね。
僕の中で、なんの理論立てもできてないし、
ある種、感覚なんですよ。
じつはそこが、僕自身はとても‥‥
糸井 不安ですか?
三谷 不安です。
僕はどっちかというと理数系の人間なので、
自分の中ですべて理屈で
把握できてないとイヤなんです。
だから、理屈でわからない部分が
たくさんある世界というのは、
とても不安なんです。
糸井 でも、他人が楽しんでる三谷さんの要素って、
理屈の外側の部分なんじゃないかな?
三谷 ああ、どうなんだろうなぁ‥‥。
糸井 それ、ご本人は絶対に
認めたくないかもしれないけど(笑)。
あの、三谷さんがピシッピシッとはめてる
理数系の部分で骨格はできると思うんです。
でも、たのしみの肉の部分というのは、
とっても感覚的だったり‥‥。
三谷 うーん‥‥それ、じつは逆もあるんです。
たとえば、僕がつくるお芝居とは真逆の、
はっきりしないお芝居があるとしますよね。
「理数系のパズルのようなもの」とは真逆の、
「世の中にはもっと割り切れないものがある」
というようなモヤモヤしたお芝居が。
糸井 はい、はい。
三谷 それを観に行ってみると、
やっぱりお客さんが笑うシーンはあるんです。
でも、お客さんが笑っているのは、
そのモヤモヤした中でも
もっとも理路整然としたところで
みんな、笑っているんですよ。
なんだ、けっきょくそれじゃないか、って、
思うことが僕はよくあるんです。
糸井 うーん‥‥でも、あると思いますよ、
理屈の外のおもしろさが。三谷さんの作品に。
三谷 ああ、だから、
モヤモヤした中の理路整然がおもしろいように、
理屈で固めた中のモヤモヤことがおもしろいことも
あるんでしょうねぇ、きっと。
糸井 だって、人や天候や、場の空気なんて
ある意味「自然」ですからね。
絶えず自然と対峙しているようなものでしょう。
三谷 そうなんですねぇ。
糸井 もちろんそれだけじゃないと思いますけど、
三谷さんが想像している以上に
三谷さんは「計算外のこと」を
きちんと役立てているような気はしますね。
それを前提にするのは三谷さんとしては
気持ちが悪いことかもしれませんけど。
三谷 あの、舞台をやっているときに
よく思うことなんですけど、
脚本を書いた人間が演出もやってる場合に
いちばんよくないことは、
もうそこに答えがあることなんですよ。
つまり、そのふたつを同じ人がやってるというのは
そこでその人は神様のようなものだから、
もう、ディスカッションにならないんですよ。
たまに、俳優さんたちが集まって
「このシーンは、こうじゃないか」とかって
議論になったとしても、
僕が「いや、違うよ」って言っちゃったら、
そこでもう正解が出ちゃうわけなんです。
糸井 ああ、なるほど(笑)。
三谷 だから、僕は言わないようにしてるんですけど、
でも、言ったら早く先に進めるっていうときは
答えを出しちゃったりするんです。
そしたら、たまに反論する人もいて、
「いや、オレはこう思う」
みたいなことを言うんですけど、
その時はもう
「僕がこう言ってるんだからこうなんだよ」
とねじ伏せる。
というか、そうなんだから。
ある意味論外。
糸井 いや、そうですよね。
三谷さんからすると、大いに論外ですね(笑)。
三谷 ええ(笑)。
でもね、同時にそういうふうに決めることが
決していいことではないような気も
してたんです。
糸井 あの、これは、
僕がなにかをつくるときの考えというか
個人的な好みになりますけど、
自分でも「わからない」という状態で、
それをそのまま投げ出して
「みんなに任せます」っていう手法は、
僕はあまり好きじゃない。
これはまず、たしかなんです。
三谷 はい、そうですね。
糸井 でも、自分としては、
ギリギリここまで近寄ったんだ、というあたり。
わからないけれどこのへんかな、
ここにあるんじゃないかな、というふうに
書くっていうのはいいと思うんです。
やっぱり、表現って、不完全さとの戦いですから。
三谷 ええ。
(続きます!)

2008-06-13-FRI



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