── |
三浦さんの「三角屋」さんに対しては
ずっと「かっこいい!」という
あこがれ目線で、拝見しておりました。
|
三浦 |
あ、ありがとうございます(笑)。
|
── |
たった3人なんですけど
それぞれにスペシャリストの3人が
完成まで10年もかかるような
大きな仕事を請け負ったりとかして。
|
三浦 |
はい。
|
── |
役割分担というのは、あるんですか?
|
三浦 |
ぼくは、比較的「住宅」が多いですね。
施主やクライアントと話して
スケジュールやお金のことを詰めたり‥‥
あとは
三角屋の経営面を任されています。
|
|
── |
設計以外にも、そんなに、いろいろ。
|
三浦 |
ぼくといっしょに三角屋を立ち上げた
清水というパートナーは
三人の中では、いちばん「現場」に近いです。
そして、どちらかというと「店舗」が多い。
|
── |
住宅とお店とでは、何かちがうんですか。
|
三浦 |
ちがいますね。
材料選定、仕事を進める速度やサイクル、
それはもう、あらゆる面で。
|
── |
そうなんですか。
|
三浦 |
最後に朝比奈親方は、木材や石などを調達し、
それらを管理しながら
職人をぜんぶ‥‥とくに大工を見てます。
進行している全プロジェクトについて、
ぼくとはちがう目線を持って
材料の段取りをし、
職人に具体的な指示を与える役目です。
|
── |
そのチームで、
もう、何年くらいやっているんですか?
|
三浦 |
ぼくと清水が、
前の勤め先から独立して、15年。
朝比奈親方に
本格的に代表として入ってもらってから
8年です。
|
── |
それまではみなさん、
有名な、中村外二工務店にいらして。
|
三浦 |
そうです。
朝比奈親方には、独立当初から
いろいろと助けてもらっていたんですが、
8年前、
正式に代表を引き受けていただいて。
そのとき、社名も三角屋に変えたんです。
|
|
── |
朝比奈さんと清水さんと三浦さんで、三角。
ずっと気になっていたんですけど
以前のお勤め先である
中村外二工務店のことを、教えてください。
|
三浦 |
はい、中村外二工務店というのは
数寄屋建築‥‥
具体的には旅館や茶室、
非常に手の込んだ木造住宅などに特化した
京都の工務店です。
京都にある料亭や旅館、
あるいは「裏千家」などお茶の世界で
重要な仕事をしてきました。
|
── |
どのあたりが、すごいんでしょうか。
|
三浦 |
素晴らしい材料、
とくに木材を大量に持っておられますし、
そして、何と言っても
素晴らしい職人を多く抱えています。
日本屈指の、木造建築の工務店です。
|
── |
三浦さんは、そこで何年‥‥。
|
三浦 |
3年ほど、お世話になりました。
ぼくが中村外二工務店に入って3年後、
中村外二親方が亡くなられました。
その半年後に、辞めて独立したんです。
|
── |
歴史も古いんですか。
|
三浦 |
先代の親方が興された工務店ですから、
今の代で、二代目です。
もっともっと歴史の古い工務店ならば
他にたくさんありますよ。
|
── |
じゃあ、一代でそういう評価を得たと。
勉強不足な感想で恐縮ですが
中村親方は、すごい人だったんですね。
|
三浦 |
いやあ、すごい人でした。
たった3年お世話になっただけですが
あらゆる面に渡って、一流。
|
── |
あらゆる面、といいますと?
|
三浦 |
クライアントとの相談ごとから
材料、大工、現場、図面、お金について‥‥
すべてを
一人でコントロールされていました。
|
|
── |
まるでスーパーマンですね。
|
三浦 |
そう、さきほど申し上げた、
三角屋の3人がそれぞれ担っている役割を
ある意味、たった一人でね。
ちょっと、想像できないです。
|
── |
へえー‥‥。
|
三浦 |
施主に鍛えられたんだと思います。
この仕事は、
いいクライアント、いい施主に
育ててもらう、鍛えられるという側面が
多分にありますので。
|
── |
そうなんですか。
|
三浦 |
もともとは富山の方ですけれど、
京都で出会った施主に
鍛えられて、鍛えられて、鍛えられて‥‥
どんどん
クオリティを上げていかれたんだろうなと。
レベルはぜんぜんちがいますけど、
ぼくらも
現場で教えられたり学んだりすることが
すべてですから。
|
── |
あの、朝比奈秀雄さんについても
うかがいたいです。
以前「ほぼ日」にも出ていただきましたが
棟梁というか‥‥親分というか。
|
三浦 |
ええ。
|
── |
こう言っては何ですが、ちょっと怖そうな‥‥。
|
三浦 |
怖いですね。
|
── |
三浦さんから見て、どのような方ですか。
|
三浦 |
ずっと中村外二親方について、
ともに動いてきたのが、朝比奈さんなんです。
木や石などを調達して大工に渡すという、
建築の骨格をなす、
いちばん大事な部分を担ってきた人です。
|
|
── |
なるほど。
木や石を調達して大工に渡す‥‥ことが
建築の「骨格」なんですね。 |
三浦 |
当時、中村外二工務店には
毎年2人くらい新人が入ってきてましたが
5年間は
朝比奈さんにつくことになっていました。
つねに若手を近くに置いている親方で、
極めて厳しいけれども、
それが決して理不尽な厳しさではないから、
納得感があるんですよ。
|
── |
怒られても。
|
三浦 |
でも、やはり‥‥厳しいです(笑)。
|
── |
そうですか(笑)。
|
三浦 |
仕事に対して決して妥協を許しません。
でも任せると言った部分は、任せます。
だから「経営は三浦がやれ」と言ったら、
本当に、すべてを任せる。
ちょっとくらい言ってほしいと思うけど、
ぼくに、すべてを任せるんです。
|
── |
徹底してらっしゃるんですね。
|
三浦 |
そして
言うべきことは誰に対しても言う人です。
クライアントや施主に対しても、
言いたいことはぜんぶ。恐ろしいですよ。
|
── |
数年前、社員全員で
三角屋さんを見学させていただいたとき、
木と石の量に、圧倒されました。
|
三浦 |
そうでしょう。
|
── |
あの材料を仕切ってらっしゃったのが、
朝比奈さんだったんですね。
「ほぼ日」のインタビューでも
北野天満宮の門の下にあった石だとか、
2000年前の中国の石だとか、
イギリスのウィンザー城の石だとか‥‥。
|
三浦 |
気仙沼の仕事がそうなんですけど、
ぼくの場合は
この人、この場所で何か起きそうだ‥‥と、
そういう予感がまずあって、
数年後ようやく、かたちになるんですね。
|
── |
ええ、ええ。
|
三浦 |
朝比奈親方の場合は、素材でそれをやってる。
何に使うか考えもつかないような、
未知数の素材を、わんさか集めています。
|
── |
何しろ「ウィンザー城の石」ですものね。
|
三浦 |
以前、いらしたのは4~5年前ですよね。
あのときは木が多かったと思うんですが、
いまは、石が同じくらいあるんです。
|
── |
あ、そうなんですか。
|
三浦 |
というのも、建築だけでなく
庭の仕事も任される機会が多くなってきて
そうなると、
朝比奈親方、三角屋に持っていけば‥‥って、
歴史を持っている石、
ストーリーのある石が、いろんなところから。
|
── |
ある意味、勝手に集まってくるんですか。
わくわくしますね。
|
三浦 |
ぼくも、そういう素材を誰と結婚させよう、
そんなことを考えるのが、楽しくてね。
|
── |
先ほどから何度も話題に出ていますが
数寄屋建築、木の家って
やっぱり「素材」の話になるんですね。
|
三浦 |
だから、われわれ三角屋は
どれくらい未知数の素材を持つことができるか。
それが、自分たちのキャパだと思ってます。
|
|
── |
なるほど。
|
三浦 |
ぼくが人と会って話すのも、
清水が
「この職人とやったらどうか」と考えるのも、
朝比奈親方が未知の素材を調達するのも、
どれも何かに結実するのは、ずっと先のこと。
|
── |
ええ。
|
三浦 |
いま、それぞれに考えていることが
何年かのちに、ぱあっと花を咲かせるんです。
|
── |
じゃあ、あの、木と石であふれかえった
三角屋さんの敷地って、
いろんな可能性の詰まった場所、なんですね。
|
三浦 |
うん、可能性だけ。100%可能性の場です。
<つづきます> |