── |
三浦さんって
日本中を飛び回っているようなイメージが
あるんですけど、
だいたい、どれくらいのプロジェクトを
同時に動かしているんですか?
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三浦 |
20くらい、ですかね。
大きいものは、もう10年かかってますし、
短いものは数ヶ月‥‥
そういう大小がいろいろで、20くらい。
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── |
そのうち、気仙沼と陸前高田で‥‥。
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三浦 |
いまは、9つ。
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── |
知っているだけでも
気仙沼の斉吉商店さんのお宅だとか、
八木澤商店のなまこ壁のお店だとか、
いくつも、あります。
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三浦 |
もちろんチームで取り組んでいますが
ぼくの仕事のなかでも、
ひとつの地域に
これだけ集中しているケースはありません。
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── |
東北でのお仕事というのは
震災後に、はじめられたわけですよね?
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三浦 |
そうですね。地震のあと、
糸井さんが気仙沼に事務所をつくるって
うかがったとき、
「現地の御用聞きに行くんだ」って。
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── |
ええ。
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三浦 |
そのとき、やらせてもらったのが
ここの「気仙沼のほぼ日」なんですが‥‥。
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── |
三浦さんが、はやてのようなスピードで
内装工事を進めてくださって
相談をしはじめていくらも経っていない、
2011年11月1日に完成しました。
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三浦 |
自分に何ができるかはわからないけど、
自分のできることで
被災地のニーズに応えられないか、という
その発想が、いいなあと思ったんです。
ですから、ぼくも、
建築しに来ましたというスタンスではなく、
まずは「御用聞き」をさせてほしいと。
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── |
京都からだと、来るのにも大変ですよね。
東北へは、どのぐらいの頻度で?
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三浦 |
月に3日と決めて、来ています。
そのなかで、やるべきことをやってます。
そこは、頑なに守っていますね。
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── |
他のお仕事だってありますものね。
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三浦 |
最初のころは
「月に4日」の休みのうちの「3日」を
東北に充てていたんですけど、
1年くらい前から
「月に4日の休み」に戻しました。
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── |
つまり、1か月のスケジュールのなかに
「東北の3日間」を組み込んだと。
三浦さんのなかでは
ある意味で「ボランティア」的な意識も
あるんでしょうか?
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三浦 |
そういう言葉で捉えたことはないですけど、
たしかに
商売をしようと思って来てるわけでもない。
設計料にしても
きっちり決めてやってるわけではないので。
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── |
そうなんですか。
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三浦 |
相談相手のような存在なんだと思います。
ふつうに仕事の依頼を受けて成り立つ
クライアント関係ではなく、
おたがい、もっと「フラット」なんですよ。
言いたいことを言い合える感じ、というか。
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── |
当然、無料でやっているわけじゃないけど、
ふつうのクライアントとも、ちがう。
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三浦 |
そのことで得るものはたくさんありますが、
もちろん、マイナス面もあります。
たとえば
ぼくが出した設計のプランにたいしては
ダメと言いづらいかもしれない。
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── |
ああ‥‥なるほど。
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三浦 |
ですから、打ち合わせで図面を出した瞬間に
「うわあ、いいなあ!」とか
「すごい、これ!」って言われないときには
失敗だなって思って、やっています。
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── |
ふつうのクライアント関係なら言えることが
「相談相手」なだけに、
逆に「言いづらくなる」可能性もあると。
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三浦 |
で、それはメールだと、わからないんです。
でも、お会いして表情を見ながら話したら
いいか悪いか一発でわかるじゃないですか。
その意味でも「通う」必要性があるんです。
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── |
商売のことをひとまずおいて、
初期には月4日の休みを1日に削ってまで
東北に通うのって、
お金以外に、何か別の得られるものが‥‥。
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三浦 |
あると思っています。
やはりひとつには、こんなにもいっぺんに
建物がなくなってしまった‥‥ということ。
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── |
はい。
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三浦 |
そこでは、たくさんの人たちが
住まいや会社やお店を、求めています。
そんなシチュエーションに遭遇するのは
そうそうないことだし、
ぼくの人生では、一度きりかもしれない。
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── |
ええ。
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三浦 |
そういう場面に、
建物づくりを生業にしている人間として
立ち会わせていただくこと。
その経験は得難いものですし、
自分の得意なことが
少しでも誰かの役に立ったらいいなと思って
やらせていただいてます。
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── |
そうか、あの地震や津波の光景って
建築に関わる人にとっては
また別の衝撃が、あったんでしょうね。
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三浦 |
それに、よりフラットな関係なので、
ぼくのやりたいことも
納得の上、やらせていただいていて‥‥。
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── |
あ、八木澤のなまこ壁。
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三浦 |
とか、ですね。
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── |
三浦さんの東北のお仕事のなかでも
いちはやくかたちになったのが
陸前高田の八木澤商店の新店舗ですけど
建物向かって左側の壁が
全面、本物の「なまこ壁」なんですよね。
あれは、三浦さんがそうしたいと言って
やられたと聞きました。
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三浦 |
はい、どうしてもやりたかったので、
うちの自腹で‥‥。
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── |
え。
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三浦 |
八木澤さんの計画にはなかったので
余分なお金ですから
八木澤さんにはご迷惑かけず、
でも、自分たちも納得がいくように、
やらせていただきました。
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── |
そこは、こだわりとして。
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三浦 |
そう、三角屋のこだわりとしてね。
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── |
なぜ、そうしたかったんですか?
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三浦 |
津波が来て流されてしまったけれど、
かつての陸前高田にあった
歴史ある八木澤商店さんの店の佇まいを
壁面一枚だけでも
どうしても、再現したかったんです。
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── |
なるほど。
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三浦 |
で、そのためには
どうしたって「本物」じゃないと、ダメ。
黒と白の塗装でやるような、
中途半端な偽のなまこ壁もありますけど、
八木澤さんの店舗は
一面、本物のなまこ壁でやりたかった。
左側の一面しかできませんでしたが、
それでも、
一面でも「次」に繋がると思ったので
やらせていただいたんです。
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── |
次、というのは、先ほどおうかがいした、
三浦さんが大切にしている
「次世代に引き継ぐ」という発想ですね。
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三浦 |
木や石の話と同じですけど
本物の職人が本物の素材で壁をつくったので
「これから」が変わります。
今後10年、20年、30年、40年‥‥と
年月を経ていくわけですが
「なまこ壁の柄を塗装しただけの壁」と
「厚みのある本物の漆喰のなまこ壁」とでは
できあがった時点から、
どんどん、その「差」が開いていくんです。
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── |
三浦さんの言葉を借りれば
かたや「劣化していく」ものに対して
かたや「よくなっていく」ものだと。
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三浦 |
もうひとつ、八木澤さんの店舗の南側には
たいへん素晴らしい建物があるんです。
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── |
あ、ぼくも見せていただいことがあります。
相当、古い建物ですよね。
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三浦 |
ええ、たぶん築後100年は経っていますから
古いことはたしかですけど‥‥
本当に繊細なつくりで、素晴らしい仕事です。
なにしろ、あれだけ大きな地震を経験しても、
まったく骨格がおかしくなっていない。
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── |
そうなんですか!
建ててから100年後に巨大地震に遭遇し、
それでも、きちんと建っている。
あの建物よりぜんぜん新しいけれど
壊れてしまった家だって、当然あるのに。
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三浦 |
ええ。で、さきほど言いましたように、
木造建築というのは、ちゃんとつくってあげれば
100年や150年は、もつんです。
あの建物の場合、50年後くらいには
いちど裸にするくらいの改修は要るでしょうが‥‥。
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── |
逆に言えば、あと50年、大改修は必要ない?
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三浦 |
それくらい、しっかりしてます。
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── |
本当に、すごいですね。
100年前、あの家を建てた大工さんたち。
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三浦 |
ていねいにつくってあるんだと思います。
建物を載せている地盤もしっかりしていて、
一部、石垣が崩れていますが、
そこ以外はピーンと背筋が伸びているから。
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── |
佇まいが上品ですものね。
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三浦 |
むかしから「気仙大工」といって、
あの地域には
極めて高い技能を持った大工がいたんです。
彼らの仕事が、いかに素晴らしかったかは
あの建物を見れば一目瞭然でしょう。
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── |
なんか、襖の枠がカーブを描いてました。
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三浦 |
そう、曲がった床柱に沿うようにね。
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── |
いまみたいなお話を聞くと、
リスペクトの気持ちが湧いてきます。
むかしの職人さんにたいして。
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三浦 |
本当ですね。
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── |
震災前、八木澤商店で使っていた「木桶」も
150年以上の歴史があって、
それだけの年月を経ても、
1枚1枚の板の継ぎ目が、桶の中心で
ぴったり交差していたという話を聞きました。
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三浦 |
ですから、ぼくたちも
先人の遺してくれた素晴らしい仕事から
もっともっと学んでいきたい。
そして、100年後の人に
同じように思ってもらえるようなものを
つくっていきたいなと思っています。 |
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<つづきます> |