土屋 |
フジテレビの作り手たちには、
「ひょうきん族」の
DNAが生きているんじゃないかと、
はたから見ていると思うのですが、
いま、三宅さんが
若い連中とやられている中では、
そのへんの意識について、
どう感じていますか? |
三宅 |
渡辺琢という若いディレクターがいるんですが、
彼のように気の合う若い連中と
番組を一緒に作る雰囲気はありますね。
「いま、あの人がすごくおもしろくて」
と言いあうなかで、なんか
深夜に番組を作ろうということになる……
それがおもしろくなっていく、
という流れはあるんです。 |
糸井 |
フジテレビは、深夜の枠を、
それ用にあけてある感じがするんです。
他の局にも、それ用のグラウンドは
あるんでしょうけど、ぼくには
それほど目立っては見えないんですよ。
フジテレビだけ、
思いきり遊べるグラウンドがあるんですよ。 |
三宅 |
ぼくは、日テレさんで、
萩本欽一さんと
若手のディレクターが作った
『笑いの巨人』という番組をやられたとき、
あの午前二時の枠が、
すごくうらやましかったんです。 |
糸井 |
あの番組、短かい期間だったよね? |
土屋 |
二〇〇二年の、半年ぐらいですかね。
あの番組は、とにかく萩本さんと一緒に、
若いディレクターが「すいません!」って言って
作るだけの番組でしたけどね……(笑)。
でもその経験を
若い連中にさせたかったと言うことです。
いま三宅さんがおっしゃって、
フジテレビの後輩にも
脈々と受け継がれている
「まずはおもしろいことを」
という精神と対照的なのが、
「毎分視聴率を、コンマ1でもあげましょう」
みたいなことだと思うんです。
敢えてフジとうちとの違いを言うなら、
そこにあるのではないかなぁ、
と感じていまして。 |
糸井 |
ただ、例えば、
テレビ局は違っていても、
材料の肉や野菜は同じですよね。
タモリさんもさんまさんも、みんな
「この局には出ない」
と言っているわけではないですから。
材料が一緒だけど、
中華になったりお寿司になったり、
番組によっていろいろ変わるわけですよね。
条件は同じはずなのに、局によって、
どこかに料理の違いが出てくるところが、
おもしろいことなんだと思う。 |
土屋 |
そこは、局によって、
違いが出ないといけないですよね。 |
三宅 |
絶対に違わないといけない。
それが、秘伝の味つけだったりするので。
それを持ってないと……まずい。 |
糸井 |
さっきちょっと触れた
「大きな組織になる」
という過程がまずいのは、そこで
「誰でもできるようなことを積み重ねる」
という動きが出てしまうからですよね。
誰でもできるものを
やりはじめたとたんに
ダメになるものがあるから。 |
三宅 |
そうですよね。 |
糸井 |
広告の世界で、例えば
「招き猫が『いらっしゃいませ』
と言っているポスターを作る」
というアイデアがあったとします。
もちろん、この話自体は、アイデアとも
言えないぐらいなんでもないものだけど、
それにしても、
誰が絵を描いて、誰が写真を撮り、
どんな猫を使うのかによって、
ものすごい差が出てきますよね。
ものすごいすばらしいものにもなれば、
つまらないものにもなりうる。
仮にピカソが猫の絵を描いてくれたら、
やっぱり、
きっとそれだけですごいんです。
だけど、そこの
「誰がやるからすごい」というところは、
企画書の数字には
なかなか出せないことなんです。
もちろん、その「誰か」に
頼りすぎてはいけないんだけど、
少なくとも、
「数字で表現できないなんらかの力」
については、尊敬すべきだと思うんです。
同じことでも、
「おまえが言うとダメだけど、
あいつが言うといいこと」
って、あるじゃないですか。
クリエイティブって、
そういうことのかたまりなんですよね。 |
三宅 |
ええ、わかります。
糸井さんは、制作のときに、
「いくら費用がかかってもいいから、
好きなようにやれ」
というものと、
「これしかないからやれ」
というものとでは、
どちらがやりやすいですか? |
糸井 |
ほんとは、両方やりにくいです。
そんなことを考えないままやっているのが、
ほんとはいちばんいいんじゃないですか? |
三宅 |
ぼくの場合は、
「いくら使ってもいい」
となると、考えられないんです。
「……もう、これしかない!」
というときに出てくるのが
知恵だと思っていまして。
昔、
「深夜で予算がない時代劇」
っていうのを、やったことがあるんです。 |
糸井 |
(笑) |
三宅 |
出演者も若手の劇団の子。
衣装は、カツラしかつけさせないで、
「廊下を歩く足下のアップ」とか
「襖を開けるだけ」とか、
ぜんぶのシーンが
ほとんどアップだけなんです。
風呂場のシーンでは女性を裸にして、
衣装を使わないとか。 |
糸井 |
(笑)すごいなぁ。 |
三宅 |
おもしろがって作ったんですけど、
そういう考えは、
予算がないから出てきたことで。
実際は、カツラって高いから、
お金はかかったんですけど。 |
糸井 |
その番組って、タイトルは何でしたか? |
三宅 |
『そっとテロリスト』という番組です。
岸田今日子さんが司会で、
土曜の深夜に、いろんな人を呼んで、
いろんなディレクターが好きなことをやってました。 |
糸井 |
「金がないから考える」って、
永田農法みたいなもんですね。
肥料をたっぷり与えなければ、
植物が自分の方から、
栄養を取りにいく力が出てくるというか。
「永田農法と同じようなことを、
いま、人間に敢えてやる」ということは、
手間ヒマかかるけど、必要なんだと思います。 |
三宅 |
そうですよね。
それに、やっぱり、
テレビが優しく親切になりすぎました。
スーパーを逐一入れるとか、
写真を入れたり……。 |
糸井 |
きっと
「わかんない人は、どうするんだ?」
って言われちゃうのでやめないんだろうなぁ。
これもまた、苦情へのリスクに対する
「守り」のコストの話ですね。 |
三宅 |
うん。わかんないときに
「これって、何?」
とお母さんに聞くことで
会話が生まれるんだから、
わからなくてもいいだろうと、
ぼくは思っているんですけれど。 |
糸井 |
三宅さんのそういう考え方は、
フジの中では少数派ですか?
それとも、みんなが思っていることですか? |
三宅 |
だんだん、
広げてはいますけど、まだ少数派です。
ただ、スーパーを入れるにしても、
今は会話の「なぞり」ばかりじゃないですか。
意味があるところをやるから
効果的であって、とは思うんです。
まぁ、ただ形だけをマネしている
制作者がいるから、
われわれがまだやっていけるのかなぁとも
感じるんですけれど。
効果の意味さえわからないまま、
ただ同じようにやることをよしとして、
そっちばかりに
時間を割くことはどうかと思います。
「その時間があるなら、違うところに使えよ!」
というような番組が、今は多いですから。 |
糸井 |
土屋さんがふだん言ってることと、
ほんとに近い話だなぁ。 |
土屋 |
そうですね。 |