糸井 |
若い人の育てかたとして、
個人的に気になっているのは、
「住みこみ」という形態です。
この前にも、埼玉県で、宮大工さんが
仕事をしてる現場を見てきたんです。
話を聞くと
「三十歳過ぎたら、
なるべく辞めてもらう。
それ以上だと、
住みこみができにくくなるから」
とおっしゃるんです。驚きました。
小川三夫さんという棟梁は、
人間国宝みたいな人たちがやるような
むずかしい仕事を、三十歳以下の人に、
ちゃんと受け渡せているんです。
希望が見えたような気がしました。
きっと
「年取ったからわかったことだよなぁ」
と思っていることでも、
受け渡しができるはずなんです。
そのカギが「住みこみ」なんだと
考えはじめました。
寝食をともにする。
大工仕事だから
暗くなったらやめるんですけど、
いい仕事をするやつは、夜中まで、
ずーっとカンナを研いでいるらしいんです。
給料は高くないのに、
一千万円もするような
砥石を持っている若者たち。
全員が、料理番も掃除も経験したことがある。
メシを食べるのには、
三十分の休みがあるはずなのに、
みんな、走って現場に戻るんです。
その姿勢まで伝えるのは、確かに
「通いでは無理だ」と思ったんです。
「暮らす」ということのすごさがあった……。
もちろん、「住みこみ」って、
会社ではなかなかできないんですけど、
疑似的になら
取り入れられるんじゃないかと思うんです。
これは、方法論としても、考えてみたいなぁ。
フジテレビなら
「あのお台場の丸い部分の中に
宿舎を作って、五か月研修」とか……
いくつか、やりかたによっては、
うまくいくと思うんです。
実際、映画を撮る人たちって、
それに近いものがありますよね。
「三二時終わり」とかいうものが
平気である現場で、一緒に移動しては
撮影していきますから。
神奈川大学の駅伝監督の大後さんという方が
「チームが強くなったときに、
寄付が集まったので宿舎をよくしたら、
弱くなってしまったんです」
とおっしゃっていたんです。
イヤでも、自分でふとんのあげおろしから、
メシの準備までしていたときのほうが、
駅伝だけをやればいい生活を送るよりも、
強かった……条件をよくしたときに
失うものというのは、
ものすごくいっぱいあるんです。
このへんの話は、経営者が言うと
カドが立ってしまうから、
むずかしいんですよね。 |
三宅 |
フジテレビも、
制作費はどんどんさがっていくわけで、
そういう面の不自由さはありますが、
社員の給料はよかったりするわけです。
「そこはなんなんだろう?」とは思います。
結局、制作会社とか、弱いところに、
どんどん冷たくなっていきますから。 |
土屋 |
萩本さんは、ぼくたちに、
いろいろなことを
とてもわかりやすく教えてくれたんですけど、
やっぱり魂みたいなものは、
長く一緒にいたから
しみてきたんだろうなぁとは思うんです。
今度は自分が、三〇代や二〇代のやつらに、
伝えていかなきゃいけないんだろうとは
思うんですけど、三宅さんは、
そういうことを意識したことはありますか? |
三宅 |
月に一度、
若手の講習会みたいなものがあるんです。
「企画を出させて、
おもしろいものを、月に一度か
二か月に一度ぐらい深夜で流そう」
っていうシステムはあります。
実際作らせて、そこに出かけて、
なんか言うようにはしているんですけどね。
若い人は、表面的に帳尻を合わせることは、
ぼくらなんかよりもずっとうまいんです。
だけど
「これ、よくできているんだけど、
伝わってこないんだよな?」
といいますか……そのあたりは、
土屋さんが感じていることと
同じだと思います。
経験していかないとわからないことがある。
「番組、撮れた? どうだった?」
「撮れたんですけど……
台本どおりにならなくて、
番組の説明をするために、
司会者がおもしろかったところを
切らなきゃいけなくなっちゃいました」
「でも、そっちがおもしろかったんだろう?」
「はい」
「だったら、
次はおもしろいものを
やれるようにすればいいんだ」
うまくまとめようとするので、
自分の台本どおりに
合わせようとしちゃうんです。
現場でおもしろいことがあったときに、
ディレクターの意識としては、
それを認めずに
台本に戻そうとしてしまいがちなんだけど
「おもしろいほうが正しいもんだろう」
ということは、当たり前のことですよね。
「予想外だけど、おもしろいから、
そっちでやっちゃえばいいや」
そう思う強さもない。
失敗しないように
うまくまとめようというものは、
あんまりおもしろくない。 |
土屋 |
そういう「志」って
隔世遺伝みたいな感じはありませんか?
自分のすぐ下の世代って、割とダメというか。 |
三宅 |
うん、ダメですね。 |
土屋 |
ぼくは、違う局にいるけど、
意外と『ひょうきん族』の
子孫のような気がするんです。
「すごいなぁ。
こういうおもしろがりかたがあるんだ」
と思って、そこから
育った気持ちがありますから。
ただ、自分の経験から言うと、
「フジテレビの中にも
『ひょうきん族』の子どもは、
すぐ下にはいないのかもしれない」
と思ったんです。
『電波少年』のときに感じたんですけど、
手取り足取り教えちゃうと
ダメなんですよね……。 |
三宅 |
うん、うん。 |
土屋 |
ぼくのすぐ下で、
『電波少年』を一緒にやってたやつらって、
ぼくのやっていたことを
すごく見てたはずなのに、
けっこうダメなんです。
その下の子とか、遠くで
「いいなぁ」と思っていたようなヤツらが、
意外と魂を受け継いでくれているような。 |
三宅 |
それ、あります。
一緒にやっていた人は
「あれを壊しちゃいけない」
という意識が働いて、
枠を越えられないんです。
さんまさんの番組を、ADだったやつに
「好きなようにやっていいんだよ」
と任せても、どこかで
ぼくのやっていたことを
引きずってしまう……
これがもうひとつ下になると、
「思い」だけが届いている状態で、
平気で自分流にできるんでしょうけど。
「一代目が当たったら、
二代目はダメで、三代目がまたよくなる」
というのと同じで、
やっぱり三代目ぐらいになると、
違うところを目指そうとしますもんね。 |
糸井 |
守りを、
すぐに壊すことはできないんですね。 |
三宅 |
ええ。 |
糸井 |
下の世代には
「伝統を守りつつ斬新に」とは言えないんだね。
ただ「壊せ!」とだけ言うべきと。
そういうことなんでしょうね。
ただ、「壊せ」と言いつつ、
壊されるもんかと
こちらでは思っていないとダメでしょうけど。 |
三宅 |
そうですね。そこで勝負していかないと。 |