
- わたしの母は終戦の年に生まれたので、
もうすぐ80歳になります。
母には2歳年上の兄がいるので、
母の母(祖母)は
終戦前から2歳の子どもと一緒に
夫(祖父)の実家近くで過ごしていたようです。
祖父は戦地に行かなかったけど、
戦闘機をつくる場所に従事していたので
家族の近くにはおらず、
祖母は気を遣う環境の中一人になりたいときには、
ご先祖のお墓に行っていたそうです。
妊娠している若いお嫁さんが
小さい子どもを連れて疎開している、という状況は、
大変だし心細かったことでしょう。
お墓に向かって
「早めに産まれますように」と祈っていたと
祖母に言われたことがあるらしく、
複雑な気持ちになった、と母は言っています。
当時の状況で、
早産で生まれると赤ちゃんは育たないかもしれない。
でも、おなかが大きい状態だと
2歳の子どもを全力で守れるかわからない。
たくさん葛藤したんじゃないのかな、と想像します。
祖父の実家は大分にあり、
長崎、広島に原爆が投下されたときは、
離れているとはいえ、
近くで起きた恐ろしい出来事に
生きた心地がしなかったのでは‥‥と、
50を過ぎた今のわたしは、
当時20代だった祖母を抱きしめたくなります。 - その後、祖母は無事出産して母が生まれ、
20数年後にわたしが生まれました。
たぶん当時は、どこにでもあるような
家族の話だったと思いますが、
もしかしたら自分が存在しなかったかもしれない、
わたしにとっての戦争の話です。 - (@A.W@)
2025-09-28-SUN

