「うれしい日はみんなでごはんだ!」
と題して、おいしいごはんをたのしんだ
ほぼ日26回目の創刊記念日。
スペシャルゲストにおよびして、
特別な料理をふるまってくださったのが、
南青山の中華風家庭料理「ふーみん」の
お母さん、斉風瑞(さい・ふうみ)さんです。
かつて事務所とお店が近かったことから、
多くの乗組員が愛用していたお店。
東日本大震災が起こった日に、
ふーみんでごはんを食べさせてもらったという
忘れられないご縁がある、
ほぼ日にとって大事な場所でもあります。
料理をたのしんだあと
すこしばかりお時間をいただいて、お話を聞きました。

>斉風瑞さんプロフィール

斉風瑞(さい・ふうみ)

東京・表参道の『中華風家庭料理 ふーみん』オーナーシェフとして45年間厨房に立った後、70歳をきっかけに勇退。21年に1日1組限定のダイニング『斉』をオープン。著書に『ふーみんさんの台湾50年レシピ』(小学館)などがある。

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02 ふーみんと3月11日。

糸井
やっぱりぼくらとふーみんさんの縁が
ものすごく深くなったのは、
2011年3月11日の東日本大震災の日ですよね。
今日、ぼくはお母さんと
あの日のことを話したかったんです。
斉風瑞
今でもよく覚えています。
糸井
ぼくもです。
くわしく話すと、ぼくたちは3月11日に、
ふーみんで新入生歓迎会と送別会を予定してたんです。
だから、乗組員全員で、
ふーみんでごはんを食べようと
予約を取ってたんですけど、
大きな震災がありました。
会社にいた人たちは
そこまでビルの揺れがひどくなかったので、
幸いけが人は出なかったけれど、
道の向こう側の電柱とかが曲がって
倒れてたりしてて。
ぼくはテレビ局のスタジオで揺れて、
慌てて家に帰ってくると、
本棚から本が出て山積みになっているんです。
あと、犬がいなくなっていたんですよね。
斉風瑞
それは、心配ですね。
糸井
どこに行ったんだろうと探していたら、
ベッドの下でブルブルブルブル震えている
ところを見つけたんです。
よかったと、犬の安全だけ確認できて、
「さあ、どうしようか」と思っていたところに
「ピンポーン」って玄関のベルが鳴ったんですよ。
ぼくの家は12階で、
エレベーターも止まっているのに。
一同
(ざわざわ)

糸井
ざわつきますよね、
ぼくも同じ気持ちだった。
だって、何かしら用事があって
ここまで階段をのぼってきた人がいると
思うだけでも、ちょっと怖いわけですよ。
この状況で、そこまでして来る理由のある人が
いるんだろうかと。
斉風瑞
たしかにそうですね(笑)。
糸井
恐る恐るドアを開けたら、
女性の方が「ふーみんです」って言うんです。
電話も通じないし、エレベーターも動いてないので、
わざわざ歩いて来てくれて。
ひと言目が「今夜どうしますか?」って。
わざわざ(笑)。
斉風瑞
もう無理だろうと思っていたんですけど、
一応、糸井さんにご意向を伺うだけ伺いましょう
と、思ったんです。
糸井
そこの義理堅さが、たまんないんです。
斉風瑞
ありがとうございます。
糸井
すごくふーみんさんっぽいと思いました。
で、ぼくもまだ状況をつかめてなかったから、
犬を抱いたまま「そうですねぇ‥‥」って
思わず考え込んでしまって。
わからなかったんですよ、
なんて言ったらいいか。
斉風瑞
ええ。
糸井
聞きに来てくれた方も、
押しつけがましい感じもなにもない。
ただただお互いに状況がわかっていない中で、
「一応材料もありますし、
全部できるようにはしてありますけれども、
中止になっても私たちはどちらでも構いません」
って言ってくれたんです。
たぶんお母さんが「そう言ってくれ」
って言ったんでしょ。
斉風瑞
そうですね。
全部できるようにしてありますけれど、
どちらでも構わないと思っていましたから。
糸井
そう言われたら、
「食べたいだろうな、みんな」って思ったんです。

斉風瑞
ああ、そうですか。
そこで、そんな風に思ってもらいましたか。
糸井
もともとおいしいから行こうって
決めてたことだったので、
やっぱりぼくたちもたのしみにしていたんですよ。
で、どれくらいの人が会社に残っているのか聞いて、
ある程度の人が居たら行こう、と思いました。
家から犬を抱えたまま会社に行って、
「みんなさぁ、今日ふーみんの予定あるじゃない。
あれ今日夜食べたい?」って言ったら、
顔がパーっとあかるくなって。
あの日、居た人はいますか?
一同
(パラパラと手が挙がる)
糸井
ああ、あやちゃんは居たんだね。
どうでしたか? あのときの気持ちは。
(あやちゃん)
すごくありがたかったです。
今日は帰れるのかわからなかったし、
食べるものが何もなかったので。
糸井
そうだよね。
店を貸し切りにできるほど大人数ではないけれど、
何人かでお店にうかがいました。
奥の大きいテーブルにおいしいものを出してくださって、
みんなで囲んで食べて。
「この先どうなるんだろう」なんて心配もあったけれど、
とにかく目の前のふーみんさんの料理が
ものすごくありがたかったんです。
斉風瑞
私たちも、あの日のことはよく覚えています。
何人かがお店に寝泊まりして。
糸井
その時のキッチンの方々も、
帰れないわけですよね。
斉風瑞
そうです。
何が何でも帰ろうとしてた子が居ましたけど、
駅で散々やりくりした結果、お店に戻ってきて。
あの日だけ小原流会館もお店に泊まっていいと
許可を出してくれたので、
帰れない人たちはふーみんで一晩過ごしました。
糸井
ぼくらもほぼ日で寝た人がいますね。
斉風瑞
どこもそんな状況でしたよね。
糸井
なので、その日にあたたかい作りたての
ふーみんのお料理を食べられたっていうのは、
ぼくらとしてはもう本当に涙が出るくらいうれしくて、
あれから、妙に親しくなりましたね。
斉風瑞
はい。

糸井
ああいう時に、お母さんは
どういう判断をしようと考えていたんですか?
斉風瑞
もう、見通しがつかない事態だったので、
お客さん次第で決めようと思ったんです。
あの日は、ほぼ日さんに貸切でご予約いただいてて。
糸井
そうです、ぼくらが貸切でした。
斉風瑞
みなさんがいらっしゃるのは無理かもしれないけれど、
いちおう伺ってから、決めようと思いました。
なので「もし、いらっしゃれれば
作る準備はあります」とお伝えして。
糸井
その通りに言われました。
斉風瑞
そう思っていたんです。
糸井
ぼくらはお腹いっぱいにして、
それぞれに戻りましたけど、
ご自分たちも困ってたんじゃないかなって
後で思ったんですよ。
斉風瑞
でも、困っていたのは
帰れないっていうことで、困ってました。
来てくださったことは、
すなおにうれしかったです。
糸井
あれからしばらくは、
なかなか心細い状況が続きましたね。
斉風瑞
そうですね。
どうなるのか本当に考えられないというか、
先のことがわからない状態でした。
糸井
仕入れはどうしていたんですか。
斉風瑞
それでもやっていました、できる範囲で。
糸井
震災の後、わりと早くに復活して、
通常通り営業されていましたよね。
斉風瑞
はい。
私たちのできる範囲でですけど、
通常通りやろうって決めていました。

(つづきます。)

2024-07-05-FRI

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  • ドキュメンタリー映画『キッチンから花束を』

    Photography:Wakagi Shingo、ⒸEight Pictures

    斉風瑞さんと「ふーみん」を
    3年半にわたり追い続けた
    ドキュメンタリー映画
    『キッチンから花束を』が
    現在、全国の劇場で公開中です。
    ふーみん50周年をきっかけに
    撮影がはじめられた本作。
    「ふーみん」の歴史と
    50年にわたって愛される理由、
    なによりねぎワンタン、納豆チャーハン、
    豚肉の梅干し煮、豆腐そば……
    など“おいしい”がギュッと
    つめこまれている作品です。
    また、ふーみんママをとりまく人々との
    あたたかいやり取りにも、
    やさしい気持ちになれる映画です。
    ぜひ、劇場でご覧ください。

    監督 菊池久志
    語り 井川遥
    劇場情報はこちら

    Photography:Wakagi Shingo、ⒸEight Pictures