ピン芸人の鈴木ジェロニモさんは
「歌人」としても注目を集めています。
お笑いと短歌を結ぶもの、
短歌を始めてから変わったことなど、
「ほぼ日の學校」公開収録でお聞きしました。
じわじわとおもしろいトークに聞き入っていると、
1000年以上短歌が詠まれてきた理由が、
ふと垣間見えた。
そんな、充実の授業でした。
全4回でお届けします。

>鈴木ジェロニモさんプロフィール

鈴木ジェロニモ(すずきじぇろにも)

1994年生まれ。
プロダクション人力舎所属のピン芸人。
《お笑い賞レース歴》
2022年1月 「R-1グランプリ2022」
準々決勝進出
12月 「おもしろ荘2023」
最終オーディション進出

2023年1月 「R-1グランプリ2023」準決勝進出

《短歌について》
〈活動歴〉
2019年8月から短歌を作り始める。
2021年2月、ピース又吉直樹氏、
せきしろ氏とトークライブで共演。
2023年1月、トークライブ
「第2回ジェロニモ短歌賞」を開催。
芸人界隈で
「分かりやすくて面白い」と好評を博す。

2月、「ジェロニモ短歌賞」でのコメントが
歌人の山田航氏による連載
「短歌時評」(朝日新聞)に掲載される。

11月、プチ歌集『晴れていたら絶景』を
インディーズ出版。
歌人・穗村弘氏の
文藝春秋ウェビナー
「短歌のあなた」にゲスト出演。

2024年2月、月刊誌「NHK短歌」にて
穂村弘氏と対談。

〈短歌賞歴〉
2022年
2月 「第4回笹井宏之賞」最終選考
7月 「第65回短歌研究新人賞」最終選考
9月 「第2回あたらしい歌集選考会」十人十首選
12月 「第一回粘菌歌会賞」受賞

2023年
2月 「第5回笹井宏之賞」最終選考

《その他》
2023年7月、YouTubeに投稿した
「水道水の味を説明する」という動画が話題になる。
株式会社明治からオファーを受け、
新商品広告として
「『チョコ脱いじゃった!きのこの山』の味を
説明する」という動画を投稿するなど、
精力的に活動中。

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第2回 顔が2倍になる。

──
ジェロニモさんのお笑いのスタイルについて
お話しいただきましたが、
「短歌」の分野でも活躍なさっていますね。
鈴木
恐縮です。

──
初歩的な質問になりますが、
短歌とはどういうものか、
ご説明いただいてもよろしいでしょうか。
鈴木
基本的には「5、7、5、7、7」の
31音で表現するものですね。
それから、俳句は季語を入れますが、
短歌には季語を入れる必要はありません。
──
ありがとうございます。
私も短歌が好きなのですが、短歌の特徴は、
自分の個人的な世界を短く表現して、
読んだ人と感覚を共有できることだと思っています。
そのように考えると、短歌をつくることと
ジェロニモさんの「説明」は、
近い関係にある気がして。
鈴木
そうですね。
そもそも「説明する」シリーズの源流は、
短歌の「一首評」というものなんですよ。
──
一首評、ですか? 
鈴木
はい。
一首評というのは、
短歌一首についての評を書いたり、
お互いの短歌を読み合う「歌会」という場で
一首の歌に対して評を言い合ったりすることです。
「この歌はここがいいと思いました」とか
「この言葉遣いがこういう効果を生んでいる
気がします」というふうに。
でも短歌は、散文などのように、
最初から意味がわかりやすいように
つくられているものばかりではないんですよ。
けっこう、感覚的なことが詠まれていたりして。

鈴木
だけど、短歌に限らず
「はっきりしない感覚的なことなんだけど、
なんかわかるなぁ」
ということってありますよね。
そういう
「明確に言語化されていないけど、
なんか好きなんだよな」
という感覚を、なんとか言語化していくのが
一首評なんです。
自分の「なんか好き」という感情をさかのぼって、
どういう心の動きをたどって
この歌をいいなと感じたんだろうか、
というところを、
それこそ「説明」するんですね。
だから僕としては、シリーズの最初に出した
「水道水の味を説明する」という動画は、
水道水の味に対する一首評をしている感覚でした。
なので、
短歌をつくることと「説明」が近いというよりは、
短歌を読んで評するときの感覚が
「説明」に転化されている感じです。
逆に、短歌をつくるときに
「どういうふうに評されるか」から逆算して
「この言葉を入れたら、
こういうイメージを想起させられるんじゃないかな」
と考えることもできるかもしれないですね。
──
「説明」が短歌に活かされているというよりも、
短歌が先にあって、
そこから「説明」のシリーズが生まれたんですね。
鈴木
自分としては、そういう感じです。
──
なるほど。
どうやってあのシリーズを思いつかれたのか
気になっていたので、
お聞きできてうれしいです。
単刀直入な質問ですが、
ジェロニモさんの思う短歌の魅力というのは
どういうところでしょうか。
鈴木
短歌は、つくっている人の顔が見えないんですよ。
僕はそこがおもしろいと思っています。
芸人としてネタをやるときは、
基本的には自分の肉体ですべてを伝えます。
最初にもすこし触れたように
「この見た目、この顔の人がなにを言うか」
が大事なんですね。
よく芸人が「顔だけでも覚えて帰ってください」
なんて言いますが、まさに
「顔が見えた状態である」ということが、
芸人としての表現の肝で。
そういう世界に入って2年くらい経ったあとに、
僕は短歌を始めたんです。
それ以前の、芸人になったばかりのころは
「思いついたすべてのことをお笑いのネタにしよう」
というスタンスでした。
でも、だんだん
「思いついたけど、
別にこれは自分のネタに入れなくていいな」とか
「おもしろいと思うけど、僕が言わなくていいな。
僕の見た目でこのネタをするより、
ほかの人が言ったほうがおもしろくなるな」
と、取捨選択をするようになりました。
芸人をしているうちに、
自分のビジュアルに合った言動、合わない言動が
わかってきたんですね。

鈴木
そうなってくると、
自分の見た目でこれを言っても
お客さんを笑わせることはできないだろうな、
という思いつきは、
なかったことになっていきました。
そのときに、たぶん
「このビジュアルじゃなかったら言えたこと」が
自分のなかに蓄積していったんだと思います。
ちょうどそんなタイミングで
短歌というものに出会って
「あ、この場所だったら言ってもいいな」
「ここだったら顔が見えないから、
自分の見た目を気にせずに言えるな」
と感じたことが初期衝動となって、
短歌を始めました。
ですが、いまは逆に
「顔が見える短歌」というのもいいな、と
思うようになったんです。
──
顔が見える短歌、というと、
作者の見た目を知ったうえで読む短歌
ということですか? 
鈴木
そうです。
お笑いの評価において、
よく「ニン(人)が出ている」
ということが言われるんですよ。
芸人自身の人柄が表れているのがいいね、
みたいな意味ですね。
それが短歌でも言えると思っていて。
さっき「顔が見えないのがいい」と言ったのに、
人柄が見えてくる短歌がいいってどういうことだ、
と思われるかもしれないんですが、
じつは同じことなんです。
「顔が見えない表現だからこそ、
2倍顔が見せられる」と、僕は感じています。
──
その人のいろんな面を知れる、
ということでしょうか。
鈴木
はい。
顔が見えない表現だからこそ、
普段見せている顔だけじゃなく、
別の側面も見せることができるんです。
「見えないはずなのに顔が見えてくる」って、
そうとう見えてますもんね。
──
たしかに(笑)。
鈴木
自分自身も、
顔を見せていないはずなのに
自分の顔が色濃く見えてくるような歌をつくれたときに
すごく喜びを感じますし、
顔を知っている人の短歌を読むと
「ああ、この人がこういう歌をつくったんだ」と、
よりその人に興味が出てきます。
だから、結局、僕が感じている短歌の魅力というのは
「顔が見えない」ということです。
芸人仲間と短歌のイベントを
開くこともあるのですが、
もともとその芸人を知っているお客さまが
「この人、こういう短歌をつくるんだ」と
新鮮に感じてくれることで、
お笑いのネタもまた違ったふうに
見えてくることがあるようなんです。
例えば、
わりとイケイケなネタをする芸人でも、
じつは繊細な面があるんだと知ってから見ると、
ネタがよりおもしろく感じられます。
顔が見えない「短歌」という表現を
いちど通すことで、そういった、
いい意味でのギャップが生まれるのかなと思います。

(つづきます)

2024-07-02-TUE

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  • こちらの授業では、
    ジェロニモさん流の「説明」や
    短歌をつくる実践もおこないました。
    ジェロニモさんがR-1グランプリで披露した
    「空耳ボイパ」の実演も! 
    「ほぼ日の學校」では、
    全編を動画でご覧いただけます。