日本のすばらしい生地の産地をめぐり、
人と会い、いっしょにアイテムをつくる試み。
/縫う/織る/編む/」。
「桑都(そうと)」と呼ばれる八王子で、
技術のつまった風通織のストールを作ってもらいました。

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「/縫う/織る/編む/」 風通織のシルクストールの 制作現場へ行ってきました。澤井織物  澤井 伸さん&里村 果南さん インタビュー

八王子に伝わる「多摩織」の
唯一の伝統工芸士でもあり、
「現代の名工」と称される
澤井伸さんが率いる創業120年の老舗工房。
ここで、風通織のシルクストールは作られています。

澤井織物さんのシャトル織機で織られた
シルク100%の風通織のストールは、
極薄でやわらかく、二重織りなのに軽く、
独特の透明感があり、
身につけたときに目立たせる部分で、
がらりと印象が変わります。
なんといっても驚くのは、表と裏でまったく異なる柄行です。
見れば見るほどどう作られているか不思議なくらい。
その不思議な風通織をもっと知りたくて、
八王子の澤井織物さんにうかがいました。
お話してくださったのは、澤井伸さんと里村果南さんです。

"


澤井織物とは
伝統的な手法を生かした、
風通織のストールができました。

──
今回つくっていただい風通織のストール、
本当にステキです。ありがとうございます。
風通織は八王子地方で、
昔からある伝統的な織物だそうですね。
澤井
もともとは、袴(はかま)の生地の織り方なんです。
八王子で織られる袴の生地には2種類あって、「変わりつづれ」と、
もうひとつがこの「風通織」なんですよ。
──
風通織って、
二重織の一種だと思うんですけれど、
二つの布を重なった状態で同時に織って、
その二つの布が、途中で交差というか逆転している。
見れば見るほど不思議な織物です。

澤井
そうそう。
こんなふうに風が通るような隙間がある。
──
風が通る‥‥、ああ、だから風通織というんですね。
澤井
この隙間が風通織の特長です。
ストールもこの技術を応用しているわけです。
──
大きな二重織りのストールなのに、軽いことにびっくりしました。
そして、手ざわりがなめらかで気持ちいいです。
素材は、シルクの極細の糸だそうですが、
この糸は、どんなふうに選んだんですか。
澤井
生地の厚さとか、織りあがったときの風合い、
それと、このストールに関しては洗濯ができる、
それがわりとポイントかな。そういう糸を選びました。

里村
洗濯ができるっていう前提なので、房を撚り房にしています。
これがふつうの結び房ですと、洗濯していくうちに、少しバラけてきたり
表情が変わってしまうので。
──
今回できたストールのデザインは、
澤井織物さんの定番柄1つと、
ほぼ日オリジナルの柄を2つ、
あわせて3柄つくっていただきました。

里村
ほぼ日さんのオリジナルの柄は、
けっこう今までの中でも苦戦したというか。
──
そうでしたか!
里村
経糸(たていと)の並びと、
緯糸(よこいと)の進みかたと、
交差するときの糸の出方や出てくる位置とか、
いろいろ考えなければいけないことが多くて、
複雑なんですよ。
本当に難しくて(笑)。
──
おかげさまで、すてきな仕上がりになりました。
ありがとうございます!
創業120年。
養蚕から和服地、そしてストールに。
──
澤井さんは創業120年だそうですが、
創業当時から織物をされていたんですか。
澤井
うちは、最初は養蚕をやっていたんです。
近くに400年ぐらいたっている
桑の木がまだありますよ。
──
おかいこさんを育てるのが一番最初。
澤井
ですね。この近在も養蚕の方が多かった。
私がまだ小さい頃ね。覚えているのは、
繭がとれたら集会場みたいなところに
みんながそれを持ち寄って、
そこから出荷していた。
──
織物を始めたのはいつ頃から。
澤井
今、私で4代目なんですけど、
織物は、先々代からですね。
祖父が八王子にある染色の学校の2回生で、
桐生の方にも勉強に行ってたみたい。
大正12年の、古い資料があるんですよ。
こういうかすりの織物をやっていた。

里村
カタカナで書いてある(笑)。
「カワリカスリヲオモトシタルモノ」って。
澤井
これのあたりの伝統織物が5種類あって、
まとめて「多摩織」と呼びますが、
これはその中の1つの「お召織」の原型ですね。
たてのかすりを応用しいてます。

──
和服の生地を作られていたんですね。
澤井
そうですね。
ほとんど和服の生地ですね。
「滝山紬」っていうちょっと違うつむぎも
並行してやっていました。
そのころ、高島屋さんで
「百選会」っていう呉服の催事があって、
京都の龍村織物(龍村美術織物)さんと
うちとで、よく一緒に賞をとっていたんです。
──
お作りになっていたものは、美術工芸品に近いんですね。
澤井
まあ、けっこう凝ったものをつくっていましたので。
──
澤井さんご自身は、
最初からおうちのお仕事を継がれたんですか。

澤井
そうですね。
大塚テキスタイルっていうところに勉強に行って、
うちの家業を手伝いながら、
そこで知り合った人と
ちょっと違う着物をつくり始めたりして。
そのときに紬がブームになってきて、
ブームが終わるのがちょうどバブルが弾けた頃。
平成になると紬はちょっと斜陽化してきたので、
そこからストールをつくり始めたんです。
──
ストールが主軸に。
澤井
そうですね。
その頃にね、たしか「みやしん」の宮本英治さんが関係して、
発表会みたいなのをやったんですよ。
うちはそのときに「楊柳(ようりゅう)」で
ストールをつくったんですね。
それがストールを始めるきっかけになったのかな。
ちょうどイッセイミヤケさんのプリーツと同じぐらいの時期で。
注文をいっぱいいただいて。
10年ぐらい楊柳をやっていました。
その後、楊柳はちょっと下火になるんですけど、
最近また、楊柳が復活してきているんですよ。
今、新たに違う展開で楊柳を始めたところです。
──
多摩織には風通織とあわせて、5つの織り方があると訊きました。
今、それを織ることができるのは澤井織物さんだけだとか。
澤井
ほかのところがやってないので、
結局うちだけになってしまった感じです。
伝統工芸品から、
Googleのウエアラブルデバイスまで。
──
澤井さんのお仕事ってすごく多彩で、
伝統工芸の織物をつくられるいっぽうで
太い銅線を手織りした工業資材とか、
Googleのウェアラブルデバイスに技術提供とか、
アパレル以外のことをたくさんされていますよね。
それはなにかきっかけがあったんですか。
澤井
基本、断らない。
どうしてもできないものは別ですけどね。

──
なるほどー!お好きですか、新しいことに挑戦するの。
澤井
いや、好きっていうか、
先方が期待して声かけてくれるので、
じゃあ、それに応えなくちゃいけないな、
みたいな感じでやるんですけど。
今も宿題があって、取り組んでいます。
──
里村さんが印象に残っている依頼はありますか。
里村
うーん、
ありすぎてパッと思い浮かばないけど、
あっ、ヒジャブとか。
澤井
そうだね、ヒジャブ。
アラブのほうに売り込みたいとかって言われて。
里村
シルクで、すっごい細くて、
二重で織るっていう。
──
ええーすごい。
澤井
今はウールのちょっとザックリしたもので
インテリアに使うものを、って言われて。
140センチ幅にしたいっていうので
じゃあ、機械からつくらないと、みたいな。
──
機械をつくるところから‥‥。
澤井
手織りの織り機をちょっと幅を広げて。
──
はあ‥‥。そこまで。断らない、ですもんね。
それは好奇心もあって? 
澤井
私が若い頃、うちで働いていた人って
みんな職人だったんですよ。
職人って自分の仕事以外のことは
やりたがらないのね。
これつくって、って言うと、
こんなのやりたくない、みたいな。
でもそこが崩れないと発展性がない。
私が一番はじめに頼まれた
西武デパートの仕事が、インカの布を、
かすりで表現できないかって言われて。
クッションかなんかつくったんですよ。
職人さんは、
俺、こんなの嫌だって感じでしたけどね。
でも、それをやって、
そこからまた仕事が広がった。
これしかできない、っていうやり方では、
どうしても仕事の幅が狭くなってくるんですよ。
だから、来た依頼は基本、断らない。できる範囲で。

──
澤井さんは海外の展示会にもよく出展されています。
海外で日本の生地ってすごく評判がいいって訊きました。
澤井
そうですね。
──
日本の生地のどんなところが優れていると思いますか。
澤井
やっぱり手間をかけている感じかな。
うちでつくるのもそうだけど。
織機のことで言えば、例えばレピアで織れば、
一晩中回せるから効率はいいけど、目が届かない。
うちはシャトルと、あとは手織りもやっていますから、
どちらも人がそこについてなくちゃいけない。
そういう点ではモノのつくり方がちょっと違うんですよ。
織った布の仕上げの整理加工もそうで、
整理屋さんにお願いして終わり、ではなくて、
最後の仕上げはうちでするようなこともある。
それからストールの撚り房がそうですけど、
撚り房って機械でもできるんですけど、
機械だとちょっと隙間があく部分ができちゃうのね。
その隙間があると、モノの価値が半減するんですよ。
細かいとこかもしれないけど、
そういうところを大事にしているのが違うかな。
里村
房結びがね、わりと大変なんですよ。
手でやっているから、
1枚に2時間以上かかるんです。

若い人が集まる、ものづくりの場を。
──
八王子は繊維の町として歴史がありますけれど、
今の八王子の産地としての動きはどうですか?
澤井
産地としてはね、今、染屋さんが2軒、
プリント屋さんが奥田さんと、
もう一軒プリント屋さんあって、
撚糸屋さんが2軒ぐらいなんですね。
それが現状。
だから産地としてはちょっともう難しい。
撚糸屋さんの後継者がいるか、いないかとか、
染屋さんのあとがいるか、
いないかとかっていうと、
ちょっと難しい状況にはなってきています。
うちは、昔からここで全部完結できているので、続いていますが。
──
全部、完結できるってすごいですね。

澤井
ある程度は知識もあるので、
糸をどこかでつくれば、
うちで精練して染色して整経して‥‥って
全部ここでできるんですよ。
だから、分業で回していく、っていう
昔の工場のようなやりかたじゃなくて、
工房みたいな形に
だんだんなってきそうな気はしますね。
里村
そうだと思います。
あと、家族経営のところも多いから。
澤井
社員を雇わないで、身内だけでね。
だから仕事も広がりにくいし、
なかなか難しい。
若い人に興味を持ってもらうことも大事で、
そのためにはまず、人が来てくれないと。
どうやったら人が来てくれるか、ですよね。
あそこに行くと
すごくおいしいものがあるんだとかね。
そうするとけっこう離れた場所でも、行く人っている。
そういう場所をつくらないといけないのかなと。
──
直接お仕事につながるかどうかは別として、
まず知ってもらわないと、ですね。
澤井
うちは、伝統工芸の織物もやっているので、
今年から特別に藍の葉っぱを育てていますけど、
それを使って染めの体験と手織りをセットにして
やってみたいなって思っているんですよ。
織物組合では、隔週土曜日に
手織りの体験をやっていますね。
産地に人に来てもらって見てもらう、
それが大事かなっていう気がします、すごく。
──
こちらには若手の里村さんがいらっしゃるから、
心強いですね。
里村さんはこちらに来て何年ぐらいたちますか?
里村
7年か8年ぐらいですね。
──
里村さんに教えるときに、
澤井さんはどういう点を
重視して伝えていらっしゃるんですか?
澤井
里村さんはもうある程度知識があるので、
私はあんまり教えはしないですね。
ただ、先方から依頼された仕事があって、
里村さんにつくってくださいって頼んで、
できますよね。一つのものができる。
また違うところからの依頼がある。
ちょっと難しそうだけど、でも任せるんです。
ひとつの仕事が終わると、いろんな経験するでしょ。
そういう体験ができれば、
自分の中ではすごく自信になりますよね。
自信になったらまた次のまた難しい仕事を、
次、またちょっと難しい仕事を。
その積み重ねで里村さんが
ステップアップしてくれればいい、と思っていますね。

──
里村さん、同世代で同じようなお仕事をされている方って
いらっしゃるんですか。
里村
減りましたけど、います。
──
減りましたけど、ですか。
澤井
モノをつくる仕事っていうのは
3Kに近いところがどうしてもあるんですよ。
きつい・汚い・危険。
ものをつくるのが好きでいてくれる子もいれば、
やっぱりちょっと大変だねって
いうところもあるし、
そこがね、ちょっと難しいとこです。
自分としてはこの会社がまた100年続いていけるように、
そんな形を考えたいとは、いつも思っていますけど。
──
わあ、素敵なモノづくり、もっともっと見たいです。
ありがとうございました。

(澤井織物 おわりです)

明日は、織物工場の、
大原織物さんのインタビューをお届けします。

2024-10-08-TUE

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  • 販売日|2024年10月17日(木)午前11時より
    販売方法|通常販売
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