石見銀山群言堂の松場忠さんにご案内いただきました

こんにちは、ほぼ日の奥野です。
2025年の4月なので‥‥
えーと、ま、1年以上前になるんですけど、
石見銀山の町をめぐってきたんです。
石見銀山でうまれ、いまや全国に展開する
群言堂の松場忠さんにご案内いただいて。
その後、えー、いろいろ立て込んでしまい、
原稿にまとめたのが最近なんですけど、
驚いたことに、いまでもまぶしいんですよ。
石見銀山の思い出全体が。
いい町で、いい人たちに出逢ったなあって。
あの日のまぶしさとうれしい気持ちが、
できるだけそのまま伝わればいいのですが。

>松場忠さんのプロフィール

松場忠(まつばただし)

1984年、佐賀県鹿島市生まれ。株式会社石見銀山群言堂グループ 代表取締役。佐賀県立鹿島高等学校卒業、文化服装学院シューズデザイン科卒業。シューズメーカーで靴職人として勤務。その後、骨董屋で店番をしながら、靴の企画の仕事を一人で始める。その後、妻の両親が経営していた株式会社石見銀山生活文化研究所(群言堂)に入社。飲食店の立ち上げ、広報、新ブランド設立などを担当し、2019年、地域観光に特化した株式会社石見銀山生活観光研究所を設立。2022年、株式会社石見銀山群言堂グループ代表取締役に就任。2024年、行政と連携した地域経営をテーマに株式会社石見銀山地域経営研究所を設立。

 

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第3回 次の世代へ渡していくこと

──
もともと東京で靴をつくっていた忠さんは、
石見銀山で「町づくり」に関わるとは‥‥。
松場
思ってませんでした(笑)。
──
ですよね。でも結婚されて、移住してきて、
いまの仕事というか、
群言堂の跡取りかつ
石見銀山の町づくりの一員となる大仕事を、
自然に受け入れたってことですか。
松場
いやいや、ぜんぜん。
そもそも結婚当初は「フリーター」でした。
結婚式の友人代表スピーチでも
「彼はいま、フリーで活躍している」って
言ってくれて(笑)。
──
わはは、いいように言った(笑)。
松場
ありがたいことに(笑)。
でも、結婚の前にはじめて石見銀山へ来て、
この町に住む人や
この町自体の価値を知って‥‥。
はじめは、東京のお店を任されたんです。
JR高尾駅の店なんですが、
最初、東京駅のエキュート出店のお話が
あったんですけど、
創業者の松場大吉が、
古い駅舎のほうがいいと言って流れまして。
──
えっと、つまり、東京駅を断って?
松場
そうです。
木造駅舎のJR高尾駅に店を出したんです。
東京駅とくらべたら
お客さんの数もぜんぜんちがうんですけど。
おかげさまで、もう15年になります。
──
たしか、パン屋さんと‥‥。
松場
カフェと、アパレルをやっています。
2店舗あるんです。
──
その高尾店の店長さんとして、最初は。
松場
はい、立ち上げの店長をやりました。
そんなこと、やったこともないのに。
辛うじて
カフェでアルバイトしたことがあったので、
そのときの経験をフル動員し、
このあたりにコーヒーマシーンを置いたら、
動線的に大丈夫かな‥‥みたいな。

──
わはは、すごいなあ。
高尾店には、どれくらいいらしたんですか。
松場
1年半かな。
あるていど、お店が軌道に乗ったところで、
今度は西荻窪で飲食店の立ち上げをやり、
そこでも1年。その後ここへ来た感じです。
子どももできて、
妻もこっちへ戻りたくなってきていたので。
──
石見銀山での初仕事は、何だったんですか。
松場
最初は、
お店のPRとか販売促進的なことです。
チラシをつくったり、
ウェブサイトをどうしよう‥‥だとか、
そういう仕事をやってました。
──
実際に暮らしてみて、どうでしたか。
松場
最初は、まわりの人はぼくを知ってるけど、
ぼくは誰ひとり知らないわけです。
だから、みなさんの顔と名前を覚えること、
この人は
どんなことをやってる人なんだろうという、
そのあたりを頭に入れるところから。
誰と話せばどんなことが起きるのか、とか。
──
なるほど。
松場
ただ、すごくがんばっていたわけでもなく、
まあふつうに、
会社の仕事と家の生活と、
町内会的な役割をやってたって感じですね。
──
すぐに仲良くなれたって感じですか?
昨日も、
いろんな方を紹介してくださいましたけど、
みなさん、
ウェルカムな雰囲気の人ばっかりでしたし。
松場
はい。
はじめから「張り切りすぎなかった」のが、
もしかしたら、よかったのかも。
──
でも、そういう「はじまり」から、
いまの忠さんみたいに、
石見銀山をこんなふうにしていきたいって
一段上のスイッチが入るのには、
何かきっかけとかってあったんでしょうか。
松場
群言堂の創業者の思いに触れて、
自然とそうなっていった部分もありますし、
あと、ちょうどそのころテレビで、
北海道夕張市の財政破綻の番組を見て、
いわゆる「2040年問題」を知ったりとか。
──
2040年問題?
松場
はい。2040年には
日本全国の自治体のうち「半分くらい」が
財政破綻するかもしれない、
というようなレポートが出たんです。
この町を保存する活動は、
当然、ぼくたち民間のちからだけでなくて、
行政の協力がなくてはならない。
そう考えると、
当時は2015年くらいだったんですが、
あと25年後、
子どもたちが自分の年齢に近づくころには、
自治体が破綻してるかもしれないのか、と。

──
危機感。
松場
先輩方に、こうして町を残していただいて、
その恩恵を享受しているけど、
次の世代に渡すことができないってことが、
意外と真面目に来るかもな、と。
だから、
できるだけ自立してやっていける町を
つくらなきゃならない。
それから、
ちょっとずつ自分なりに学びはじめました。
──
たとえばどういうことをしてきたんですか。
具体的には。
松場
最初は勉強会みたいなものから、でしたね。
他の地域で、同じような問題意識から
活動している人たちのところへ行って
いろいろ教わったり、
ここへ来ていただいて話をしてもらったり。
そういうことを、
まずは群言堂の中だけでやってた感じです。
ただ、自分の会社の中だけでは
そんなに変わるものでもないと思いました。
なので、地域全体でやる流れに
少しずつ拡張していったって感じですかね。
──
まわりの人に声をかけたりとかして?
松場
ええ。2019年には
「石見銀山生活観光研究所」という会社を
立ち上げて、
組織として町づくりに取り組み出しました。
──
それは町のPR、
つまり石見銀山の魅力を伝えたりしながら、
他方で、
町そのものを「素敵にしていく」みたいな。
松場
そうですね。
当時もそれなりに素敵ではあったんですが、
もう少し新しい流れの中に位置づけたり。
あと、世界遺産登録前よりも
商売が厳しくなったという、
この町の事業者たちの声もあったんですね。
──
なるほど。
松場
そうであるなら、どうしてそうなったのか
理由も探らなきゃとか、
そんなようなことをあれこれ考えていたら、
翌年20年に、コロナが来ました。
──
わあ、そうか。そういうタイミング。
松場
計画していたことが、ほぼできなくなって、
しかもその状態が2、3年続いた。
だから、その間に地域事業計画書をつくり、
地域住民の間の合意形成を高めたり、
町全体の勉強会として
石見銀山みらいコンソーシアムを立ち上げて、
月に一度の勉強会を開いたり。
まあ、そんなふうにして、
地域のキープレイヤーのみなさんの目線を
合わせてきた感じですね。
──
そこには忠さんと同じような年齢の人も。
松場
ええ、いますよ。
──
石見銀山の昔からの雰囲気の中に、
外部の人をすんなりと迎え入れることって、
いい作用を及ぼしてると思いますか。
そもそも、
忠さんご本人が外の人だったわけですけど。
松場
そうですね。
コンソーシアムも半分はIターンの人だし。
もともと外の人だったメンバーが
積極的に地域づくりをやっているところが、
この町のおもしろさだと思います。
年配の先輩方も、
外からの若い人のやることを見守りながら、
いろんな調整役を担ってくれているんです。

(つづきます)

2026-06-06-SAT

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  • 東京をはじめ全国30箇所以上の店舗を展開する
    アパレルブランド群言堂の創業者・
    松場登美さんが、
    愛犬・フレンチブルドッグの福ちゃんとつづる、
    石見銀山の暮らし。何気ない日常。
    ぼくは旅から帰ってきてから読んだんですが、
    すっかり「郷愁」にかられました。
    滞在していた2日間も、
    町をぶらぶら歩いていると、
    おさんぽする登美さん&福ちゃんを見かけたり。
    訪れる前に読んでも、帰ってきてから読んでも、
    どっちも素敵な読書になると思います。
    どっちにしても、石見銀山が恋しくなる本です。

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