シリーズ第18弾の今回は、
福岡市美術館の近現代コレクションを拝見。
ウォーホル、ロスコ、バスキアからミロ、
松本竣介、桂ゆき、吉田博、中園孔二、
カプーア、グルスキー、塩田千春‥‥
そして菊畑茂久馬など九州派の面々など。
きらめきの所蔵作品の数々でした!
同館には見事な古美術部門もあって、
今回は取材できなかったんですけど、
2024年の
「ミュージアムキャラクターアワード」で
銀メダルに輝いた、
かの「こぶうしくん」には会えました!
お話くださったのは学芸員の忠あゆみさん。
担当は「ほぼ日」奥野です。

※展示替え等により、
現在は展示していない作品もあります。

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第4回 吉田博と菊畑茂久馬、山本作兵衛。

吉田博の版画作品 吉田博の版画作品

──
吉田博さんの版画、すっごくいいですよね。
以前、東京都美術館で、
吉田さんの展覧会をやっていたんですが、
作品を見たときに、
版画ってこんなにすごいのかと驚きました。
うつくしいですよね、本当に。
1点1点、抜かりない。
吉田は、久留米出身なんです。
だから福岡県立美術館さんや当館では、
かなりの数の作品を所蔵しています。
初代学芸課長は吉田博研究の第一人者でした。
吉田は、若い時期に、
アメリカやヨーロッパへ行くんですけど、
その時代の水彩画も所蔵しています。
めずらしい作品なので、
貸し出し依頼を受けることも多いんです。
──
けっこう昔の人なんでしょうけど、
ぜんぜん古びた感じがしないんだよなあ。
吉田は旅する作家だったので、
土地土地をテーマにした作品も多いです。
風景をきっちりデッサンして捉える、
という気合いが、
めちゃくちゃ入ってる作家ですよね。
──
吉田さんって「自摺り」の人なんですか。
ほとんどの版画作品の余白に
「自摺」と彫っています。
ただ一般的には、
絵を描いた本人が摺りまでやることを
「自摺り」と言いますが、
吉田の場合は、
摺りの職人さんを雇って、
自ら監督するスタイルだったそうです。
──
それも「自摺り」の一種なんですか。
へええ。
やっぱり、見れば見るほどいいですね。
何周かまわって
現代のアニメの絵柄にも通じるような。
あ、それ、わかります。
以前『平家物語』を元にしたアニメを
見たときに、
背景が吉田博っぽいなと思ったんです。
──
いまっぽい感じ、ありますよね。
はい、そう思います。
吉田は90年も前の作家ですけど、
いま求められている画風なのかもなと、
そのアニメを見て、思いました。
次の部屋も季節ごとに変わるんですが、
現在は
菊畑茂久馬さんを特集しています。

菊畑茂久馬《海道 十》1990 菊畑茂久馬《海道 十》1990

──
あ、九州派‥‥でしたっけ。
はい。福岡を拠点に活動していた
九州派という
戦後の美術グループに属していました。
福岡市美では、
いちど、大規模な回顧展をしています。
当館が九州派をいち早く紹介して、
研究してきたという自負があるんです。
だから九州派のメンバーの作品の数が、
当館には、とても多いんですよ。

【左から右へ】菊畑茂久馬《ルーレット(ヒーロー)》1964 菊畑茂久馬《ルーレット(ターゲット)》1964 福岡県立美術館蔵 【左から右へ】菊畑茂久馬《ルーレット(ヒーロー)》1964 菊畑茂久馬《ルーレット(ターゲット)》1964 福岡県立美術館蔵

──
ほかには、どういう人がいるんですか。
九州派というと。
たとえば、田部光子さん。
「人工胎盤」をかたどったオブジェで
有名な作家で、
フェミニズム的観点で表現してきた方。
他にも、オチ・オサムさんとか‥‥。
──
あ、思い出した。菊畑茂久馬さんの絵、
広島市現代美術館で見ました。
それは、大きくて真っ赤な作品でした。
《天河》のシリーズですかね。
──
それです! 
たしか、アンチ東京的な感じだったと、
そのときはうかがいました。

菊畑茂久馬《天河 十四》1999 菊畑茂久馬《天河 十四》1999

はい、そうなんです。
九州派は「東京への殴りこみ」を掲げていました。
表現的にも
アスファルトや廃材などを使っていて、
土着的なエネルギーを感じます。
──
具体美術協会とか、もの派とか、
あるいはシュルレアリスムとかって、
ポリシーみたいなことを
本人たちが言葉で説明していたり、
吉原治良なりブルトンなり
リーダーがいたりすると思うんですけど、
九州派の場合って‥‥。
はい。九州派には、決まったリーダーが
いたわけではありません。
また、反東京・アンチ権威のほかには、
明確なモットーのようなものも、
とくになかったはずです。
ただ、表現の方向性として、
どこか共通するムードがあります。
生活の中から表現する、というような。
──
こういったオブジェ的な作品もあるんだ。
ダダの村山知義さんにも、
なんか、こんな感じの作品がありますね。

【左から右へ】菊畑茂久馬《葬送曲 No.2》1960 菊畑茂久馬《奴隷系図 5-B》1963 菊畑茂久馬《ルーレット》1964 菊畑茂久馬《ルーレット(ターゲット)》1964 菊畑茂久馬《ルーレット No.1》1964  【左から右へ】菊畑茂久馬《葬送曲 No.2》1960 菊畑茂久馬《奴隷系図 5-B》1963 菊畑茂久馬《ルーレット》1964 菊畑茂久馬《ルーレット(ターゲット)》1964 菊畑茂久馬《ルーレット No.1》1964 

ええ、少し似ているかもしれないですね。
身のまわりにあるものや
大衆的なイメージを組み合わせたりして。
菊畑茂久馬さんは、
一時、筆を置いて研究をはじめるんです。
──
研究?
この炭鉱の絵を描いていた、
山本作兵衛という人について研究をして、
模写のプロジェクトをしたり、
本を出版したりしています。

──
へええ‥‥山本作兵衛さん。
なんだか、なんとも言えない魅力がある。
飯塚や田川のあたりの炭鉱を転々としたあと、
独学で絵を描いた人です。
毎日の炭鉱で目にしたものを描くことを、
自然にやっていたんです。
他方で菊畑茂久馬は、
60年代、
「何のために絵を描くのか?」と考えて
立ち止まってしまうんです。
──
おお。
その問いを突き詰めていく過程で、
この山本作兵衛の炭鉱の絵に出会います。
山本は、絵の勉強をしたわけでもなく、
自らの「必要」に駆られて、
自分の見たものを描いて、記録していた。
菊畑は、その姿に
「なぜ人は絵を描くのか?」への答えを
見出していくんです。
──
絵を描く、ということの「本質」を見た。
山本さんは、描いた絵を発表とか‥‥。
していないと思います。
まわりの関係者から「発見」されて、
書籍が発売されたり、
展示がされたりはしているんですけれど。
自分は表現者だ‥‥という意識は、
ご本人としては、あまりなかったんです。
──
ただ、描くために描いていた。
はい。そしておそらく「伝えるため」に。
山本の絵は、
現在ではユネスコの「世界の記憶」に
登録されているんですよ。

山本作兵衛《題不詳》1974 ©Yamamoto Family 山本作兵衛《題不詳》1974 ©Yamamoto Family

(つづきます)

2026-04-03-FRI

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