「これまで歴史小説はあまり読んでこなかった」
という人に向けて、
直木賞作家の今村翔吾さんに、
歴史小説のススメというテーマで
授業をしてもらいました。
今村さん自身、
小学生のときに『真田太平記』に出会って以来、
歴史小説の大ファン。
池波正太郎さんに憧れていた中学生だったとか。
歴史小説に対して興味があるけれど、
これまで読んでこなかったあなたの
背中を押してもらえる授業です。
(ほぼ日の學校での公開授業の様子をお届けします)
今村翔吾(いまむらしょうご)
1984年、京都府生まれ。ダンスインストラクター、
作曲家、守山市での埋蔵文化財調査員を経て、
専業作家になる。
2022年 『塞王の楯』で第166回直木三十五賞受賞。
2024年10月に石田三成が主人公の『五葉のまつり』
(新潮社)を刊行する。
書店経営者としての顔もあり、
2021年には大阪府箕面市にある
書店「きのしたブックセンター」を
事業承継した。
2023年12月にJR佐賀駅に「佐賀之書店」をオープン。
そして2024年4月には東京・神保町に、
店内の本棚を作家や企業などに貸し出し、
借り主が選んだ本を販売する
シェア型書店「ほんまる」を開いた。
また同年、経済産業省の大臣と
書店振興プロジェクトチームを発足し、
減少が進む全国の書店の支援策に奔走している。
- 今村
- ぼくが歴史小説を読み始めたのは、
小学5年生からです。 - 京都府の木津川市というところで生まれました。
家から京都駅までは50分、大阪の難波駅までが35分、
奈良駅までが10分。
車で行けば3分で奈良県に行ける
京都府の端っこに住んでいました。
そういうわけで、文化圏的には奈良なんです。 - 小学生のある日、
母親と一緒に買い物に行ったときに
古本屋の前に、池波正太郎先生の『真田太平記』が
本が積まれていたんですよね。
それを見た瞬間、
今までほとんど本を読んだことがなかったのに、
母親に「買ってくれ」と言ったんですよ。
- 今村
- 上品なお母さんなら
「あなた、本を読むようになったのね。いいわよ」って
言うと思うんですけど、
うちはそんなことないから、
「あんた、これ中古でも1万円もするやんか。
本当に読むんか? もったいない!」って
読まへん前提で返事されたんですよね(笑)。 - それでも「読みたい!」って食い下がって、
買ってもらいました。
それが夏休み前ですかね。
そして夏休みが終わるまでの30日〜35日くらいで
全巻一気に読み切ったんですよ。 - 読み終えたら、その足で町の本屋まで走って行って、
池波正太郎先生の他の本を買って読み出しました。
そこから、毎年100冊ぐらい
歴史小説、時代小説ばっかり読むようになったんですよ。
真田太平記のあと
年100冊読む
年100冊読む
- 今村
- というわけで、『真田太平記』を読んでからは、
片っ端から歴史小説を読み漁ったわけです。
敬称を略して言うと、司馬遼太郎、
藤沢周平、山本周五郎、吉川英治、山田風太郎、
北方謙三、浅田次郎、平岩弓枝とか。 - 吉川英治全集とかも読みました。
全集は、まあまあお値段が張ります。
うちはそんなに裕福でもない
普通の家庭だったんですね。
でもね、「ゲーム買って」って言うと、
「ダメ」って言われるけど、
「本買って」は通る率高い。
おじいちゃんおばあちゃんに「本買って」は
交渉なして通る率が高いんですよ。
だからおじいちゃんが遊びに来たら
「本がほしい」って言うと、
そしたら「行こうかー」と言われて
1万円分買ってもらうみたいなこともありました。
図書館もよく行っていましたけど、
ぼくは本を買って自分の本棚に置きたいタイプでしたね。 - ところが年間100冊も読むと、
だんだん読む本がなくなってくるわけですよ。
で、歴史小説や時代小説の先生方は
だんだんお亡くなりになってくるんですよね。
吉川英治、山本周五郎はぼくが生まれる前に
なくなっておられて、
池波先生はぼくが5歳、司馬先生は6歳、
山田風太郎先生と藤沢先生は中学のときに
亡くなられた。
- 今村
- いわゆる、歴史・時代小説が一番盛り上がっていた時代を
支えていた、キラ星のようなエースたちが
だいたいぼくが小学校、中学校くらいのときまでに
次々とお亡くなりになっていく。
そうして書き手も減ってきて、
新しい本が生み出されなくなるから、
読む本が少なくなっていくわけです。 - 北方先生も浅田先生も、それから
宮城谷昌光(みやぎたにまさみつ)先生も
たくさん本を出していました。
とはいえ出版するのは年間3冊ぐらいですよね。
3人で年間約9冊でしょ。
ぼくは年間100冊読むでしょ。
読める本が絶対に足らんわけですよ。 - だから、もうとにかく
「浅田次郎さん、小説を書くのがんばってくれ~」
と思っている中学生だったわけです。 - 人生で初めて行った作家さんのサイン会は
浅田先生のサイン会だったんです。
浅田先生初の歴史小説となる
『壬生義士伝』(みぶぎしでん)が
単行本化されたとき、
京都のジュンク堂書店のサイン会に行ったんです。
当時16歳でした。 - 浅田先生に
「こんな若い読者がいるんだな~」
みたいなこと言ってもらえたのはよく覚えています。
「またこれからもいっぱい書いてください」
とお願いしました。 - それから20年以上経ち、
いまは「活字文化推進会議」で
委員長を務めておられる浅田先生の横に、
ぼくが座っている。
不思議なご縁を感じています。 - 浅田先生に、
「ぼくがサイン会に行ったこと覚えてますか?」
と聞いたら
「なんか若い子がたまに来てくれるのは覚えてる」
とは言ってくれてて。
今思えば、あのときサイン会で横にいた
編集者さんの顔も覚えてるんですよ。
ぼくにとっては、本当に衝撃的な作家さんです。
作法は池波先生に
教えてもらった
教えてもらった
- 今村
- 話を戻すと、ハイスピードで本を読んでいると
読むものがなくなってくる。
それで次は池波先生とか作家のエッセイを読み始めるんです。
池波先生って、食のエッセイが多いんですよね。
『武士(おとこ)の紋章』とか。『男の作法』とか。
『男の作法』は今のこの時代、
出版できるかなというきわどいタイトルやな(笑)。
でもぼく、そういうのを中学校くらいで読んでたんです。 - 池波先生は、一番尊敬している先生なので
エッセイで書かれたお店を巡ったりはいまだにしています。
例えば寿司屋さんに行ったときに、
今でこそ当たり前のようにしょうがのことは「ガリ」、
お茶のことは「あがり」と言いますけれど、
もともとは隠語だからで
基本的には使わないのがたしなみだよ、
みたいなことも、池波先生のエッセイで教えていただいた。 - だから、いまだにぼくは寿司屋にいって
お勘定のことも「おあいそ」と言わない。
「しょうが」も「しょうが」、
「お茶」は「お茶」と言うタイプです。 - あと、池波先生はタクシーに乗ったとき、
1000円札を出して、おつりはチップとして渡しておくと
いい巡りがあるよということを書いておられるんですね。
旅館とかに泊まって心づけをするときは
最後に渡すよりも最初に渡しておくほうが得だよ、と。
やっぱり人は人情で動くところもあるから、
お互いにとってプラスだよ、と。 - だからぼくは、中3で友達と卒業旅行に行ったとき、
ポチ袋に1000円を入れて渡すような
生意気な子どもになってたんですよ。
旅館の仲居さんは
「まあ、どこぞのお坊ちゃんなんですね~」って
言ってくださったんですけど、
「いや、池波先生の教えです」みたいな(笑)。 - こういう気配りのようなことをエッセイで学びました。
気配りって、俗に「昭和的」と言われますけど、
昭和じゃなくて、
実は江戸時代くらいから日本文化として醸成されていて、
それが昭和ぐらいまで生きていたという見方が
合っているかもしれない。 - むしろ、戦後に分断されたというか。
少なくとも戦後が転換点になって
日本の文化的なものの色合いが
薄れてしまったのは確かなんですよね。 - そう考えると、時代小説、歴史小説を読むことは
ぼくたちの失われた、もっといえば
忘れつつある感情を呼び戻す効果も
強いんじゃないかと思っています。
(つづきます)
2024-12-13-FRI
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桜田容子/ライティング