ひょんなことから、
ひとつの音頭がうまれました。
いろんな人たちと鳥たちが
協力しあってできました。
底ぬけにたのしい一曲です。
ゴールデンウィークにはじまる
「生活のたのしみ展2023」でも踊ります。
よかったらみなさんのお祭りでも、
踊ってみてください。
音頭の名前は「らいふいずトリドリ音頭」です。
ほぼ日という会社で働く身のうえでは、
関わることはないだろうと思っていた類の、
巨大トラックの荷台が閉じられ、
2022年の「生活のたのしみ展」は終わりました。
備品や棚が積まれたその車はあまり煙もあげないで、
あっけなく新宿の夜の街道を走り去っていきました。
終わった、たのしみ展が終わった。
25年前、1998年に生まれたほぼ日は、
両手で数えきれるほどしかいなかった
乗組員が(働く人たちを乗組員と呼びます)、
糸井重里といっしょに
台所つきの家のような場所に集まり、
家族のようなつきあいをしてきました。
これを書いているのは、ほぼ日在籍22年の菅野です。
そんな私たちほぼ日乗組員は、いま、ひそかに
「生活のたのしみ展」をこう呼びます。
「これは、あたらしいかたちの社員旅行だね」。
人数10人以内時代の乗組員は、伊香保やらバリやら
いろんな場所に旅に出ました。
夕飯もほとんど毎日いっしょに食べました。
しかし乗組員が100名を超えたあたりから、
全員の名前を覚えるのが難しくなってきました。
コロナウイルス感染症の流行を経て、
リモートワークも進み、
各プロジェクトがそれぞれの仕事を
集中して進めていくようになりました。
そんななかで、「生活のたのしみ展」は
全員でやらなくては
決して決して決して決して決して乗り越えられない、
おそらく唯一のほぼ日のイベントになっていました。
会場で、ふだんのネットのむこうのお客さまと
ふれあえるうれしさ、
年にいちどだけ会える
アルバイトさんと酒をくみかわすよろこび、
びっくりするような才能を持つ
出展者さんから受ける刺激、
そして、仲間の乗組員の
陰と表のふんばり顔を見るのが、
とてもたのしい。
しかし、旅行のような一大イベントは、
正直、たまにあることだから、
味わいぶかいのです。
そのため毎年、終了後は
「生活のたのしみ展」のことをみなすぐ忘れます。
わたしも昨年は、
直後にやってきたほぼ日周年企画などの
本業に没頭しました。
ちなみに今年、ほぼ日は25周年を迎えます。
「生活のたのしみ展」が終わったら
「生活のたのしみ展チーム」も、
一般のほぼ日乗組員になります。
しかし昨年、
彼らは「生活のたのしみ展」終了直後に、
本業に戻っていく乗組員の襟首を、
フック船長がグイッとまとめて
ひっかけるがごとくかき集め、
「来年も同じ場所、同じ時期に、
生活のたのしみ展をやります!」と
耳元で発表しました。
フックにひっかかったまま
足をジタバタさせているわたしたちに、
こうも告げたのです。
「次のたのしみ展のまんなかには、
やぐらを立てようと思います!」
なぜこの時点で、彼らのなかで
やぐら構想だけが固い決意になっていたのでしょうか。
思い返せば、
2022年の「生活のたのしみ展」の同じ場所には、
丸い形の広場と低めのステージがありました。
丸い広場は空間的に効率がよくない。
しかも低いステージでは、
会場の「天井高25m」を活かしきれておらず、
音声が届きにくいうえ、
そばに近づかないと
なんのイベントが行われているかわからない。
そういった理由がいろいろとあったのだと思います。
でもだからといって、
やぐらが初期の決定事項であることに
うっすらした疑問があり、
フックにひっかかったままのわたしは、
チームの杉山にたずねてみました。
杉山はこう答えました。
「そうです、いろいろ理由はあるけど、
なんか、たのしそうだと思って」
「わたしたち、お祭り好きだし」
一瞬「はぁぁ?」と思ったことは思いましたが、
まぁ、なんでもそうですね、
「なんか、たのしそう」
という思いつきで、ものごとは決まっていきます。
このように「生活のたのしみ展」の会場に
巨大なやぐらが組まれることは
早々に決まりました。
みなさま、ここで想像してみてください。
やぐらを組むと、
いったいどうなるか、ということをです。
広場がある。やぐらがある。
三角広場にお客さまが集まっている。
めあての品を選んでいるときも、
レジに向かうときも、
目の端で「やぐら」の存在を感じている。
「なんだなんだ、あれはなんだ」
「宇宙人が降りてくるのかな」
と気になってしかたなくなります。
やぐらというものは、たいていの場合、
そこから何かが発信されるものです。
鐘、太鼓、のろし、もしくは、サーチライト、メガホン。
そういったものがそこにはあるべきです。
「なんか、たのしそう」と言った
杉山にはすでに構想がありました。
「とりあえず、大太鼓を置きます」
全員が
「そうだよねー」
と言いました。
生活のたのしみ展には
メインキャラクターのほぼトリドリがいます。
わたしたちは、ごくナチュラルな発想の流れで、
やぐら上の大太鼓が活躍するような
トリドリをテーマにした音頭を
作ろうと盛りあがりました。
生活のたのしみ展で、
音頭をみんなで踊ったら、たのしいんじゃない?
そうフンワリ思いました。
全員が足並みそろえてフンワリ思うだけでは、
進展は皆無です。
それぞれがフンワリしたまま
一般乗組員に戻って本業に没頭していると、
なんということでしょう、
半年が矢のごとくすぎていました。
たのしみ展終了直後は余裕の構えで
やぐら宣言していた生活のたのしみ展チームは、
焦りはじめました。
「このままでは、やぐらを組むだけで終わってしまう!」
開催まで4ヶ月を切ったとき、
仲間に肩をゆすぶられ、
ゆらゆらの目で、わたくし菅野は
レ・ロマネスクのTOBIさんの番号を
プッシュホンしていました。
「TOBIさん、こんにちは。
今年の生活のたのしみ展で、
ほぼトリドリの音頭を作って演奏したいんです。
TOBIさんに作曲と歌を
お願いしたいです」
「えっ、音頭。なんで音頭ですか」
いくら多才なTOBIさんでも、
電話で急に得体のしれない音頭を
作ってほしいと請われ、
ひるむのは無理ありません。
「まず、自分で
音頭が得意なのかどうか、考えたいです」
「TOBIさんは音頭が得意だと思います」
「ちなみに作詞は誰がやりますか」
「糸井さんにお願いしようと思っています」
「糸井さんの歌詞‥‥?
いやぁ、それは緊張します。
あと、歌い手は、
ほんとうは民謡出身の方のほうが
いいんじゃないかなぁ。ああ、いいなぁ、それがいい。
そしたらわたしは客になってたのしませていただきます」
わたしたちはこれまで
レ・ロマネスクの楽曲に親しみ、
いかにたのしく聴きごたえある音楽かを
知っていました。
なにより、この音頭は、TOBIさんとたのしく作って
みんなでホイホイ踊りたい。
急に電話したにもかかわらず、
どうしてもTOBIさんでなくては嫌だ、
TOBIさんがやめるならわたしもやめる、
という気持ちになっていきました。
「TOBIさんの歌がいいんです」
「なぜ」
「ほら、えーと‥‥名前が、
とびー(飛)だから。
トリドリの音頭にふさわしい方だと思います」
「‥‥鳥しばりなんですか?!」
そして、この流れで
アレンジャーの人選に入りました。
音頭を音頭たらしめるには、
編曲の力がたいへん重要です。
「鶴という字のつく天才がいます」
というわけで、
この楽曲をしあげる編曲者として、
音楽家の鶴来正基さんに
白羽の矢がささりました。
鶴が来る、の鶴来さん。
鶴来さんもしょっぱなは
「なんで音頭ですか、なんでぼくですか」
と、なんだか距離を置きたいオーラを
出しておられましたが、
鶴だからという情報を入れて混乱させるように説得し
受けていただくことに成功しました。
しかし、わたしには
不安がありました。
それは、糸井さんのことです。
(明日につづきます)
2023-04-19-WED