糸井 | 『ピクミン3』をつくり終えたということが いまの宮本さんをずいぶん クリアーにしているみたいですね。 |
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宮本 | そうみたいですね。 |
糸井 | それはきっと、いい手応えとともに フィニッシュできたからでしょうね。 「もっとあそこをああすれば‥‥」 みたいな終わり方だったら、 そんなに晴れ晴れとしてないと思う。 |
宮本 | そうかもしれません。 |
岩田 | たしかに今回の『ピクミン3』は、 できたゲームの構造がすっきりしてるっていうか、 宮本さんが「うまく解けた」っていう表情で いろいろ語ってくれることが多いんですよ。 |
糸井 | 「構造がすっきりしてる」というのは? |
岩田 | やっぱり、ゲームの仕組みって、 「あちらを立てればこちらが立たず」とか、 「これとこれがこういう関係になってるから 駆け引きが生じておもしろい」、 みたいなことにが根本にあるんですね。 しかも、いまのゲームって、 そういうおもしろさの軸が 1本じゃなくて複雑に絡み合ってるんですよ。 |
糸井 | だから、「すっきりしない」。 |
岩田 | そう、「すっきりしない」んですよ。 |
宮本 | それは、簡単にいうと、 ふつうは安易に足すからですよね。 |
岩田 | 「足して、足して、足して‥‥」 っていう構造になってますから。 |
糸井 | 足すことで、お客さんはよろこぶに違いない っていう感じで構造が複雑になってるんですね。 |
岩田 | 最近は、とくにそういう傾向があると思います。 一方、今回の『ピクミン3』は 構造の根本のところがとてもシンプルで、 それゆえに、もともとやりたかったことが きれいにできたっていう感じなんです。 |
宮本 | ちょっと不安があるとすれば、 演出があんまり派手じゃないんで、 「盛り上がりに欠ける」とか「地味」とか 言われちゃうと思うんですよ(笑)。 |
糸井 | ははははは。 |
宮本 | けど、ゲームのなかで演出をつかって盛り上げると、 どの人の遊ぶゲームも同じになってしまうので。 ぼくらとしては、遊ぶ人がそれぞれの頭の中で 演出してくれたら理想なわけで。 |
糸井 | あーー、それは、わかるなぁ。 やっぱりそこは、お客さんを信じるんだよね。 |
宮本 | ですよね。 とくに、今回の『ピクミン3』は そういう気持ちがすごく強いんです。 だから、さっきも言いましたけど、 これがわかって受け入れてもらえるなら、 まだまだやれることがあるし、 逆に、わかってもらえなかったとしたら つぎのことを考えるのもいいかな、って。 |
糸井 | そういう気分はぼくにもありますよ。 違う道を考えるのも、 それはそれで悪くないぞっていう感じなんだよね。 ある種、建設的な気分というか。 |
宮本 | そうそうそう。 |
糸井 | ぼくもだから、そういうことを しょっちゅう小さい規模でやってますよ。 たとえば、お客さんを信じて、 あえていつもと違う方向へ振ってみる。 それで、うまく行かなかったときに、 「お客さんを信じて失敗しちゃった」って がっかりするんじゃなくて、 なんか、違う道具を持ってきて立て直すというか。 |
宮本 | うん。 じゃあこれでいこうかなっていう感じ。 |
糸井 | つまり、わかってることじゃなくて、 「まだ解説しきれてないこと」について 興味があるんですよね。 そういうエリアってじつはすごく広いんだけど、 解説ばっかり言ったり聞いたりしてると わかんなくなっちゃうんですよ。 また野球のたとえになっちゃうけど、 実際に野球場に行って野球の試合を観ると、 解説者の声もアナウンサーの声も 聞こえないじゃないですか。 |
岩田 | はい。家のテレビで観てるときには 実況や解説があるほうが当たり前だけど。 |
糸井 | 実際の野球場にはそんなものないんですよ。 だけど、4万人、5万人の人が球場で 解説のない野球をたのしんでるじゃないですか。 |
宮本 | ほんと、そうですよね。 だから、ぼくらもPRのときに 自分たちでつくってるものを 自分たちで解説しすぎてるかもわからん。 |
岩田 | (笑) |
糸井 | 話を「すっきりした構造」というところに戻すと、 ハリウッドのアクション映画なんかでも、 「足して、足して、足して」って盛っていくと、 「いまのところ、よくわからなかったな」 っていうことになるじゃないですか。 |
宮本 | はい、はい、はい。 |
糸井 | CGとワイヤーアクションを駆使して すごいんだけど、何が起こってるか イマイチよくわからない、みたいな。 そういうときに、ぼくとしてはやっぱり、 「みんなが理解できることが行われている」 ということを、取り返したい気持ちがあるんです。 |
宮本 | ぼくも、そうですね。 CGをどれだけつかっても おもしろい映画は、いまなにが起きているかが 観てるだけでちゃんとわかるから。 |
糸井 | そうそう、だから、 きちんとした表現ができてたら、 いろいろ足しててんこ盛りにしなくても いいんですよね。 |
宮本 | うん。 |
糸井 | あと、技術がほんとうに成熟したときって、 むしろ「減らせる」んですよ。 |
宮本 | ああー。 |
糸井 | たとえばね、みなさんお若いから おわかりにならないと思いますけど、 カラーテレビが家庭に入ってきた時代って、 ニュース番組を放送するときでも、 こう、アナウンサーの横に 大きな花瓶が置いてあったんですよ。 |
宮本 | (笑) |
岩田 | つまりそれは、色を使いたくて。 |
糸井 | そうなんです。 「7時のニュースです」って言ったときに、 机の上に花があるんですよ。 なぜなら、カラーテレビだから。 |
宮本 | それ、ぼく、 テレビ局の現場にいたら言いそうやね。 「ここに花ぐらい置かへんと、 カラーの意味がないやろう」って(笑)。 |
一同 | (笑) |
糸井 | で、これはメディアの話になると よく言われることなんだけど、 たとえば本なら「本でしかできないこと」を テレビなら「テレビでしかできないこと」を 追求して発見しろ、みたいに言うじゃないですか。 あれ、個人的には、疑ってるんですよ。 少なくとも、そこばっかりを追いかけるのは ちょっと違うんじゃないかと思う。 だって、そのメディアが成熟したら、 「ならではのこと」なんてなくなっちゃうから。 あえてモノクロの映画を撮る人はいるし、 3Dにしなくてもリアリティーは出るし。 だから、なにかをつくるときに、 「このメディアはこういう特徴があります」 みたいなことは、ぼくの距離感に限れば、 いつも無視しちゃってる。 |
宮本 | ああ、なるほど。 |
岩田 | 一方で宮本さんは、 取り組むプロジェクトに応じて 距離を変えてますよね。 近くに行ったり、遠くに行ったり。 |
宮本 | それはやっぱり、立場が変わりますからね。 ハードつくってる立場からすると、 特徴があったら絶対それを活かしたくなる。 でも、つくる人に向けては、 必ずしもそれをつかわなくてもいいですよ、 って言いたくなるんですよね。 つかわなくてもいいっていうんじゃなくて、 あって当たり前のものとして つかえばいいんじゃないかな、って。 |
糸井 | そうそう、そうそう。 |
宮本 | できたものから逆算すると、 ハードのその特徴がなかったら できないわけですから。 だから、ハードの特徴に振り回されるんじゃなく、 そのハードがあったほうが便利だと思えたら なんか新しいものがつくれるというか。 |
糸井 | 電子レンジがなくったって料理はできるし、 かまどで炊いたご飯が いちばん美味しいのかもしれない。 っていうことが、ぜんぶわかったうえで、 新しい電子レンジを買ったら、 さぁ、これでなにつくろうってなるわけで。 |
宮本 | そうですね。 だから、『ピクミン3』の取材を受けると、 「Wii Uのどこが活かされてるんですか?」 って訊かれるんですけど、 「いや、なかったらできないですよ」 っていうのが、いちばん正しい答えなんですよ。 |
糸井 | なるほどね。 |
(続きます) |