糸井 |
新感線の場合って、
再演って形で時間経ってから
またやるの多いですよね。
それも自分との戦いがあって、
なかなか大変だろうなと思うんですけど、
染五郎さん自身も2度やったことってありますよね。 |
染五郎 |
『阿修羅城の瞳』を再演しました。 |
糸井 |
そういう場合はどうですか。
|
染五郎 |
いや、けっこう最初お話がちょこっとあったときには、
「いや、あれはあのときの自分でないと
できなかったことだから」
と思ってたら、
僕以外の役をすべて変えるということで
話が来たので、「ああ、じゃあ‥‥」と。 |
糸井 |
オーケストラ入替えですよね、
1人でソロで歌うのに。考え方としてはね。 |
染五郎 |
ええ。「じゃあ、ありえるな」というふうに思って。
また、ここの社長さんもなかなかの方で、
持っていき方もうまいんですよね、すごく。 |
糸井 |
染五郎さんに絶対出てほしかったってことだよね。 |
染五郎 |
断る要素がどこにあるのか、
どこにもない、っていうようなことを
持ってきますからね、
もうそれは「やりたい」って言う以外、
どういう答えがあるんだっていう
持っていき方ですからね。 |
糸井 |
で、やってみたらどうだったですか。 |
染五郎 |
いや、やっぱりまったく前のことを意識せずに、
また違う作品をやってるような感覚ではありましたね。 |
糸井 |
結果的に同じ考え方をしてたんだなって場所が
あちこちに出てくるわけでしょう? |
染五郎 |
ありますね。そこはもう逆にいのうえさんも、
「いいとこはいいんだから、そのままやろうよ」
みたいな。もう役者も変わったりするから、
そういう部分はもちろん当然自然と変わってくるけど、
ここはもう同じだと言われても、
これしかないからやろうぜって。
なんか自然に前のことを踏襲するというか、
いつも本当に自然な形なんですよね。
だから、同じことでも抵抗なく、
「前どうやってたかな」
とか考えることもなくそれができちゃってたり。 |
糸井 |
前のを忘れちゃってるはずなのに
同じことをやってたっていうのは、
やっぱり相当染み込んでるというか、
いい芝居なんですよね、きっと。 |
染五郎 |
うん、うん。 |
糸井 |
それは、僕らの仕事でもあるなあ。
もうまったく前のこと忘れてるのに、
「これいいだろ」つったら、
「それ前も言いましたよ」って(笑)。
それはもう絶対いいですよね。 |
染五郎 |
そうですね。
そこまではあえて避けて
違うことをしなくてもってありますよね。 |
糸井 |
そうですね。そういうのを
どのくらいちゃんと大事にできるかってのは
やっぱり経験ですよね。
だって思えば芝居って、
昨日と同じことをやってんですもんね。
そのパターンを時間を4年とか置いたら、
その再演になるわけだ。 |
染五郎 |
うん、そうですね。だから、
再現という意味の再演はしたくないというか。 |
糸井 |
うん、なるほどね。 |
染五郎 |
再演であれば、
もちろん前見た人はやっぱり比べることは
あると思うんですけども、
でも、「あれと違う」と言われても、
「だって違うんだもん」っていうことだけで、
今回は今回での自分でやるというような、
それが自然とできた感じはありますね。 |
糸井 |
自分の経験が増えていくことで、
考え方とか感じ方とかって
多少変わってきますよね。 |
染五郎 |
変わってくると思うんですよね。 |
糸井 |
そこは面白かったでしょうね。 |
染五郎 |
面白かったですね。
入り方もそういう入り方だったんで、
なんか新鮮でしたね、すごく、やってて。 |
糸井 |
それ、もっとまた時間置いたら、
また面白いでしょうね。 |
染五郎 |
そうですね。ですから、その
『髑髏城の七人』のときも、
僕がやったのはアオドクロといって、
同じ年にアカドクロを古田さんがやってたとき、
7年前にほぼ同じメンバーでやってるんですよね。
それは僕も見てるんですけど、
7年経った古田さんの『髑髏城の七人』というのは、
もちろん7年分の年は取ってる
『髑髏城』だったんですけど、
なんか初めて実感として、
「再演ってカッコいいな」
というふうに思ったんですよね。
もちろん芝居もやっぱり
違うふうにはなってるんですけど、
なんか同じ芝居を7年前と
同じメンバーでやるっていうのが
すごいカッコいいなって実感しました。
|
糸井 |
それは僕も、ずいぶん年とってから
そういうことをカッコいいと思えるようになったな。
やっぱり絶えず新しいのを作るっていうことに
気を取られてる季節ってありますよね。 |
染五郎 |
ああ、なるほどね。 |
糸井 |
ずいぶん前だけど、野田秀樹が20何歳のときに
書いた芝居をもう50も近くなって再演して、
「20何歳のときに書いた芝居は今は書けない。
だけど、今の演出は20何歳のときにはできない」
っていう言い方をして、
これはものすごいピンと来ましたね。
そこの変化を両方肯定できるという。
今日お話ししてて、最初のときに
「フレッシュさ」とかっていうのは
出せないって話と同じで、
両方面白いんですよね。 |
染五郎 |
そうですね。
もう変化してるっていうことですよね。
昔のことに頼ってというか
すがってることではない復活の仕方といいますか、
作り方っていう。 |
糸井 |
そうだなあ。体調最悪のときの
芝居の中にいいのが混じってたなんてことは
当然あるでしょう?
力が抜けてましたみたいな(笑)。 |
染五郎 |
そうですね。 |
糸井 |
じゃ、体調悪くすりゃできるかって、
そんなことはできなくて(笑)。 |
染五郎 |
そうじゃないんですよね。
それも不思議ですよね。
それは正直、やってみないと
わからないとこがあるんですよね。 |
糸井 |
わからない。で、失敗の失敗もあるし、
失敗の成功もあるし。 |
染五郎 |
そうなんですよね。 |
糸井 |
でも、失敗できなかったような人生を送ってきたら、
それはもう何も学べないわけだし、
上手に失敗できるってカッコいいですよね。 |
染五郎 |
そうですね。 |
糸井 |
芝居の人たちって
毎日新しい日を迎えるわけでしょう?
お日様が昇ってきたのを知ってるのに、
「昇ったぜ!」って言うわけじゃないですか(笑)。
で、それは、みんながその気持ちを
味わえたらいいだろうなと思うときありますよ。 |
染五郎 |
ああ、そうですね。
前にも何度か、
「毎日同じことやって飽きないですか」
って言われたりするんですけど。 |
糸井 |
それ言う人は間違ってますよ(笑)。 |
染五郎 |
それは考えたこともないんですよね。 |
糸井 |
でしょうね。 |
染五郎 |
そんなことはないっていう以前に、
考えたことがないですね。
もちろん体力的には
疲れがたまっていったりはしますけど、
そういうことは考えたことがないですね。 |
糸井 |
その「考えたことがない」っていうのを、
普通に生活してる人に味わってほしいね。
つまり、お日様昇ることへの感動と同じですよね。 |
染五郎 |
そうですね。知ってることなわけですからね。 |
糸井 |
うん。だから、すごいちっちゃい例でいうとさ、
新幹線から富士山見たときにさ、
「おお、富士山」って見るじゃない?
あれ俺、自分でもその自分好きなんですよね。
見ちゃう自分が。
「富士山だろ?」って言ってるやつは、
やっぱりつまんないよね。 |
染五郎 |
そうですね。そうですね。 |
糸井 |
いや、芝居の人たちの
その相手のセリフに驚けるっていう感性というか、
それはカッコいいなあ。
僕はそういう仕事したことがないもんだから、
スポーツマンに対する憧れみたいに、
踊りとか芝居の人たちに対して無条件で憧れますね。 |
染五郎 |
いや、でも、逆にそれが怖さだったりするんですよね。
例えば、そうやって自分自身も
本当に怒るって感情になったり、
本当に泣くっていう感情になったり、
芝居なのに(笑)。
で、それを見てるお客さんも笑ってたり泣いたり、
何のきっかけも言わずに一斉に拍手をしたり、
それってなんか、ときどき怖いと思ったりしますね。 |
糸井 |
すごいことですよね。
つまり、魂を仕事に使ってるわけですからね。
そんな、そんなんかなわんっていうとこありますよね。 |