大竹昭子さん、写真のたのしさ、教えてください。

3妄想も自由。

── この本は、それぞれの写真に
大竹さんの文章がついてますよね。
その文章の中に、
ときどき大竹さんの妄想が入るのが、
読者として、とても好きで。
これは、大竹さん流の
写真を見るときの遊びなんですか?
大竹 (笑)私、妄想癖があって、
それが出てしまうんですよね。 
妄想と思い込みが体質化していて、
抜けられないんですよ。
── (笑)それって、写真を見た瞬間に
妄想が浮かぶんでしょうか。
大竹 そうです、妄想しようとして
そうなるんではなくて、
そう見えてしまうんです!
で、一度そう見えると、
それが自分の中に入ってしまって。
ちいちゃいときからの癖です。
── でも大竹さんの妄想は、
決して一方的ではないですよね。
大竹さんが、
妄想と現実の間を行き来しているのが
ちゃんと伝わってきました。
そして、写真の見方も自由ですよね。
たとえば、この空中ブランコは
すっごく自由な見方だなと思った一枚。
文章の中で
写真をひっくり返しちゃうじゃないですか。

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この写真はリクルートの転職広告に使われた。たしかに、
チャンスを逃すな! という感じは伝わってくるものの、
転職って危なっかしいものだなあ、とも感じてしまう。
たぶん両方の意味を込めての空中ブランコなのだろうが、
上下逆さまにして、
受け止める男を飛び移ろうとする役に見立てたほうが、
転職する人の必死さが感じ取れる気がする。
一方、受け止める役にまわる男は顔が見えず、
すらりと伸びた肢体が天から降りてきた「神」のようだ。
(本書、大竹さんの文章より)
大竹 あー、これね。
私、よく写真をひっくり返すんです。
写真だけでなく、
何でもひっくり返しますね、そう言えば。
用途から外れた見方をしたりするのが、
好きなんです。
── 写真をコピーして、
紙束にして持ち歩いていたから
というのもきっとありますよね。
大竹 たしかにそうですね。
分厚い写真集だと逆さまにしたり、
なかなかできないですものね。
B5サイズの紙束がよかったのかも。
それで、
なんでこの写真をひっくり返したかというと、
二人の立場が逆のほうが
転職のイメージに合ってるなと思ったの。
衣服が垂れる方向を考えると
理屈には合わないんだけど、
ひっくり返したほうが、
気持ちがしっくりこないですか?
── たしかに、そうかもしれないです。
ひっくり返して見ると、ネクタイの人の
衣類がめくれてるところなんか、
転職した必死さを物語っているように見えますね。
大竹 そう、一生懸命で、かっこつけてられない、
って感じがするでしょ。
── この「ひっくり返す」には、
ほんとうにビックリしました。
写真を見るときに考えたこともなかったです。
そして、写真を見るときって、
こうやって遊んでいいんだと
こちらの気持ちも、とても自由になりました。
大竹 写真の見方に正解はないんです。
国語のテストじゃないんだから。
作者が意図したこととちがうことを考えたって、
全然構わないんですよ。
だってそういうことは、
ふだんの日常にいくらだってあるでしょ。
たとえば、形を見ただけでは、
その使い道がぜんぜん分かんないものって
いっぱいあるでしょ?
── たしかに。青竹踏みとか、
はじめてそれを見せられたら、
これ何だ?って思うかもしれません。
大竹 青竹踏みは
日用品だから分かりやすいかもしれないけど、
たとえば工事現場の設備なんかはどうですか。
毎日、駅に行く道々で見ていて、
あれって何だろう、
って意識のはじに引っかかっているけど、
深く考えないものって多くないですか。
── あるような気がしてきました。
大竹 今日の帰りにでも、そのつもりで見たら、
いくらでも見つかると思いますよ。
ここを通るたびに一瞬だけ、
変だなあと思ってたっていうものが。

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どこにでもありそうな家の玄関口。
真っ昼間で、人の姿はなく、自転車だけが停まっている。
なにを撮ったものなのかわからず、とりつく島がない。
それでも、ちょうどうまい具合に
ドアが階段に隠れているな、とか、
手前の植え込みがぼやけているな、
などと思いつつ見るうちに、
凶々(まがまが)しさが漂ってきた。
妄想はいつも、日常の隙間から忍び込んでくる。
(本書、大竹さんの文章より)
── 自分が意識してないところに
ヴィジュアル的な不思議が潜んでいる。
大竹 そう、視覚的なフックがあるんです。
それに心がひっかかって意識が揺れている。
これに気づくと、ものを見ながら
いろんな対話をするようになります。
これが写真との対話の基本だと思うんです。
逆に何かを思い込みで見ていて、
それが崩れる瞬間もありますよね。
たとえば、
ある塀をひとつの家のものだと思って、
ずっと見ていたとしますよね。
でも、あるとき、
二つの家の塀がくっついていたことに気づく。
── ああ、うん、うん。
大竹 じゃあなんでこの塀を、
ひとつの塀だと思っちゃったんだろう、
って思いながら、その壁をよく観察すると、
二つがひとつに見えるように誘導した
視覚的な理由が、どっかにあるんですよね。
どちらの家の壁も
ちょっとレンガ色っぽかったとか。
── 色が似てるから、ひとつに見えてしまったと。
大竹 色以外にも、形や、光や影や、染みや、
ものすごくいろんなことに、
突然気づくんですよね。
小さなことでも、じっと見ることで、
大きな世界がひらけてくるんです。
だからまずは、
「何かを見てしまっている
 自分に気がつく」ことかな。
妄想することもあるだろうし、
あたたかな気持ちになることもあるし、
非現実的な境地になることもありますよね。
そんな、いろんな感情、
感覚が生まれてくる理由を、
目が見ているものと関係づけてたどってみる。
そうすると、写真を見るという行為が、
もっと自由で、
楽しいものになってくると思います。
(続きます)
2008-11-06-THU
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