大竹昭子さん、写真のたのしさ、教えてください。

4自分は写真を仕事にすることはできない。

── 大竹さんは、かなり熱心に
写真を撮ってらした時期があるんですよね。
いつぐらいから撮りはじめたんですか。
大竹 1979年にヨーロッパを3カ月ぐらい旅行して、
その後ニューヨークに渡って、
しばらく住んでいたんですけど、
そこで写真をはじめたんです。
「習った」わけではないんですけど。
── ヨーロッパを旅行中に撮ることもなく?
大竹 記念写真程度ですね。
持っていたのもコンパクトカメラだったし。
なんかね、旅先で写真を撮ることに
躊躇(ちゅうちょ)があったんですよ。
── 風景を、カメラではなく
自分の目に焼きつけよう、
みたいなことですか?
大竹 そうかもしれない。
きっと自意識過剰だったんでしょうね。
若いときって、
自分の体験にすごく重きを置くでしょう。
写真を撮ると、
カメラに代行させているような感じがしたんです。
── 自分の体験が減ったみたいに
思っちゃうんですよね。
大竹 そう、そう。
とても濃密に感じていることが、
フレームに収めた途端に、
これっぽっちのものになっちゃう感じが
耐えられなくて。
絵画の展覧会を見て感動すると、
逆に絵はがきや図録が
買えなくなっちゃうんですけど、
それと似てるかもしれない。
なんかちがうって思っちゃうんですよね。
それで旅の写真も撮らないまま、
ニューヨークに渡って、
なんの目的もなく、
行き当たりばったりの生活をしていたんです。
その日のスケジュールが、
その日の朝に決まるみたいな。
今から思えば、自分の内部に
写真が溜まっていくような
状態だったのかもしれないですね。

※クリックすると大きい画像をご覧いただけます。
広大な窪地である。
でも自然に出来たものではなく、
石を切り出した跡ではないだろうか。
採掘後にゴミ捨て場になり、
いまは放牧場としても利用されているのが
中央にいる牛馬の姿でわかる。
彼らのすぐそばには、低所得者用と思われる
安普請(やすぶしん)のブロック住宅があり、
それより一段上には、それ以前に建てられた
もう少しましなレンガ造りの建物が並んでいる。
ひとつの場が転生していったさまが、
縦割りに図解されている。
(本書、大竹さんの文章より)
── 実際に撮るようになったきっかけは何ですか?
大竹 ニューヨークは、
とても写真的に親しみやすい環境なんです。
写真ギャラリーがたくさんあるし、
ICP(国際写真センター)や、
MOMA(ニューヨーク近代美術館)など、
写真を見ることのできる場所が
いっぱいあるんですね。
今では日本もそうなってきているけど、
80年代初頭はまだまだ
写真を展示している場所は少なかったから、
ニューヨークではじめて写真を身近に感じました。
それとあの街の鋭角的な光ですね。それが
写真を撮りたい気にさせるのではないかと思う。
気がついたら、写真を撮りたいという
止むに止まれぬ思いがつのっていて、
天命を受けたように
一眼レフカメラを買いに走ったんですよ(笑)。
── そうでしたか(笑)。
カメラの選択に結構悩まれたんじゃないですか。
大竹 何も知識がなかったから、
カメラに詳しい友達に来てもらって、
選んでもらいました。
それからはもう夢中に。
私、小さいとき、
無意味な行動の多い子だったんです。
いつも「無意味なことはやめなさい」って
怒られてた。
でも写真は意味のないものを
いくら撮ってもいいんです。
それがものすごい歓びで、
人生でこういうことは二度とないだろう
と思うくらい熱中しました。
カメラを買ったのは秋で、
その冬はとりわけ寒さが厳しかったんだけど、
カッカしちゃってるからぜんぜん寒くないの。
── まさに「我を忘れて」ですね!
大竹 しかも、写真を撮りに行くところは、
カメラを外にさらしちゃいけないような
危険な場所ばっかりで、
ダウンジャケットの中にカメラを隠して、
撮るときだけジッパーを下げてカメラを出して、
スパイにみたいにして撮ってましたね。
── カラーで撮ってたんですか。
それともモノクロ?
大竹 モノクロです。
それで暗室作業も同時に始めました。
── 暗室もですか!
大竹 はい。
写真に飽きた人から道具をゆずりうけて、
暗くなるのを待って、
床にベッタリと座ってやってました。
── その興奮はいつ頃まで続いたんですか?
大竹 クリスマス頃がピークでしたね。
パーティーの誘いが多い時期だったけど、
写真をやってる人が来れば行くし、
いないなら無視って感じで、
写真がすべての基準でした。
── パーティーに行った場合は、
写真の話をするわけですか?
大竹 自分のプリントを持っていって見せるんですよ。
どうだって感じで。
今思うとほんと無邪気でしたねえ。
そうやって冬が過ぎて、春が来て、
一年くらい写真に恋している時期が続いて、
あるときにふと思ったんです。
「写真って、大変なものだな」と。
わりに、ぱっと分かっちゃったんです。
写真の本質というか、しんどさが。
これは本気になったら大変だぞと。

▲大竹さんご自身がニューヨーク滞在中に撮られた写真
(大竹昭子著『アスファルトの犬』より)
※クリックすると大きい画像をご覧いただけます。
── 何がそんなに大変だと‥‥。
大竹 ずーっと待ち続けるっていうのか、
運を自分に引き寄せる大変さ。
自分で自分に仕掛けていく大変さ。
たとえば、文章を書く場合は、
文章の腕が上がっていったり、
考えが深まったりというふうに、
何かが蓄積されていく歓びがありますよね?
── うまくなっていくことに自分が励まされる、
ということですか?
大竹 そうそう、なんか分かってきたぞっていう
歓びがあるけど、
写真の場合、そういう蓄積は
かえって逆効果なことが多いんです。
シャッターを押すだけだから、センスさえあれば
初心者でもいい写真が撮れます。
でも、こう撮れると分かってくると、
初期の興奮や気持ちの弾みが消えていくんです。
そのとき、
自分が絶好調だっていう感覚があったから、
これからはゆるやかに下降していくのかあと思って。
でも写真をやり続ける限りは、なんとかして
また自分を初期化しなければならないわけで、
「円熟の境地」と
ベクトルが反対を向いているんですよね。
これはすごいことだなと思いました。
── 仕事として写真を撮ることは
まったく考えなかったんですか。
大竹 職人として写真を撮るというやり方もあるけど、
それは自分には合わないと思ったから。
── それはなぜでしょうか。
大竹 写真との出会いが、最初から
ど真ん中のストライクゾーンだったんですね。
「これぞ写真」っていう、
あまりに本質的なものを見いだしてしまったから、
のるかそるかの選択しかなかったんですね。
仕事としての写真もこなしながら、
自分の写真を撮るというような器用さはないし、
これは生業(なりわい)にはならない
と思ったんです。
写真と生きることとは、
銀紙のようにぴったり貼り付いていて
引きはがせないから、
動機を失わずに続けていくには、
よほど好きじゃないとだめです。
はじめるのも簡単だけど、
やめるのも簡単なメディアですから。
だから私は、
自分の写真を撮り続けている写真家には、
とても敬意を払ってるんですよ。
生命の凄みを感じます。
── 写真について、
そこまで深く考えたことはなかったです。
すごいお話を聞いちゃった。
(続きます)
2008-11-07-FRI
前へ   次へ