BUSINESS
恋はハートで。仕事はマジで!

第15回
By definition,「楽しい仕事」などない!
その3


(前回からの続きです。これをお読みになる前に
その1その2、をお読みください)


そう、3年先の目標に向かってひた走るのである。
で、3年後にこの3年間の自分を振り返って、
正すところは正す、更に強めるところは強める、
という「反省と次の目標設定」を行なうのだ。

こう言うと、
「それではがんじがらめの苦しい人生ではないか」
と思われるかもしれないが、決してそうではない。
もちろん人生は(一面では)「苦しい」ものだが、
これは程度の問題である。
「なんとなく」でも良いから
「必ず」目標を「持つ」ことが必要だ。
なんでもよい。
これが「ある」「ない」では生き方がガラッと変わる。

それと、最後にもうひとつ、人生を素晴らしく
生き抜くために重要な考え方をシェアしたい。
「人生はバランスが大切だ」ということである。
このバランスをいかに調節するかが
人生の醍醐味だと言ってもよい。
「よく働きよく遊ぶ」という言葉があるが、
簡単に言えばそういうことだ。

ただし、「バランス」という言葉には、
by nature、「甘え」を含んでいることが多い。
これはどんな世界においても言えることだが、
「最高」を目指して頑張っても、それを実現できない場合に
「でも人間はバランスが大事だから、
そこまでできなくてもいいよ」という文脈で
「バランス」が語られることがよくあるのだ。

そう「逃げ」に使われてしまう。
すべてのプロスポーツ選手、ミュージシャン、
その他偉業を為しえた人々は、
おそらくは「高次元のバランス」は保っているだろうが、
見た目には恐ろしく人間としてバランスを崩したことを
しているものだ。
少なくとも、目標達成のためにひとつのことに
恐ろしく時間を使い、努力し、苦痛に耐えているはずである。

要は、あるべき「人生のバランス」とは、
恐ろしくバランスを逸した複数のベクトル
(向きと大きさをもったものという意味)を
2次元の平面に落としたとき、その大きさが
差し引きゼロ(程度)になっていることなのだと思う。

また、別の言い方をすると、人間の一面を見たとき
「あるひとつのことに注力して成功している」場合、
必ずその裏にその方向とは思いっきり逆の活動が
あるはずなのだ。
ただし、差し引きが+1だったとしても、
その要素が、2―1=+1
(2のプラス方向の事象と1の
マイナス方向の事象を差し引いて結局1になるということ)
だとするとかなり寂しい。
プラスの方向にもマイナスの方向にも、
何もしていない、ということになる。
これではまるで「ぼ〜っとしている人生」だ。

10000のプラス方向の事象と、
9999のマイナス方向の事象で、
結局10000−9999=+1が成り立つという
バランスが望ましいと思う。

プラスもマイナスも、あるいは右も左も、上も下も、
あらゆる「方向と大きさ」を持っている事象は、
「違う方向にできるだけ大きい」ほうがいい。
それぞれ精一杯にやってのけることが必要なのだ。
一見非常に不安定なバランスであるが、この緊張感が
人間を常に「生き甲斐」へ導いてくれるのだと考える。

もっと具体的にわかりやすくいうと、
日本古来からある「文武両道に長ける」という概念は
正にこれであろう。
また、レオナルド・ダビンチが「万能人」を目指した
と言われるが、これもまた当てはまる概念である
(彼は芸術家であったと同時に自然科学にも通じており
数々の発明を成し遂げている)。

私の場合、「仕事」を一方のベクトルだとすると、
もう一方は「音楽活動」「自動車趣味+外車中古車鑑定」
および「魚釣り」(これは完全な趣味であるが)
ということになろう。
「仕事」でつき合っている人は、
「もう一方」のことには微塵も気づかないだろうし、
「もう一方」のことでつき合っている人は
「仕事」で何をどれだけしているかなんて、
知りもしない、知りたくもないだろう。
(例えば、「いつも」はハードロックと酒に
身を投じている奴が、実は銀行でカネを勘定しているなんて
思いたくはないものだ……、こういう場合、どっちが
「いつも」なのかが問題になるが)

しかし、この2つが
高次元で不安定にバランスしていることで、
両方の中身がより濃くなるのは間違いない。
ありきたりの言い方をすると確実に「幅が広くなる」。

次回以降は、こうした「人生の幅」が、なぜ必要なのか、
および「人生におけるひずみ(歪み)」が
どれほど大切か、についての考察を深めたい。

1999-05-14-FRI

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